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不平不満は言ってはダメなの?

回答数回答 4
有り難し有り難し 75

子供の習い事で一緒のお母さん達とたまたま出ていた不満を、あるお母さんが指導者へ「こんなやり取りをしている」と打ち明け、事件に発展しました。
指導者は激怒で私達を叱責。
メールでのやり取り等を見せていたようで…。

関係の無い保護者の前でそのメールの内容を明らかにし出しました。

勿論、不平不満を抱き、話した私達がいけなかったかもしれませんが、関係の無い外へはそれは漏らしたわけでない為、それくらいはと思っていたのですが、その行為をよく思わなかったのでしょう、一人が指導者と言う強い立場の人間へ話しました。
誰がどんな事をするのかもう分からなくなり、信用が出来ません。
不平不満は絶対に人間は言ってはいけないのでしょうか。不満に思ったことはどうしたら良いのでしょう。教えて下さい。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

不平不満を最終的にどこに向かわせるか。

別に言っていいのです。
ですが、言っていい人になるにはある資格が必要です。
それは菩提心という心を持つことです。
菩提心とは、どんなに悪い心でも良い方向へ向かわせるこころです。
お釈迦さまも、祖師方も、その心があったからこそ人生の苦しみを転じて悟りに向かわれました。
私も菩提心があるから人生のどん底も地獄の辛酸の日々も魔界の呪いも最悪な人間関係も今や転じて笑い話にできます。
芸能人が自分のイタい体験をすべらない話にして笑いにするように、あなたも自分の負の状況をただ悪いものばかりにしないことです。
菩提心という向上心があればその嫌な状況をも良い方向へもっていこうというエネルギーになります。
菩提心という好転する力があれば、今の嫌な境遇もいい形で不平不満にすることができます。
「こんなことやってられるか!」と「あたしはこんなことでつぶされない!」とよい怒りになって奮起することだってできるのです。
あなたが今、どこかを悪者にしていたり、正当化しようとしていたり、くすぶる心があるはずです。
その心をこそ、そのままにせずに、前に向けてより良い方向へ進ませるのです。
今の状況にとどまっているから不平不満がやまないのです。
さらに一歩を進めて、状況を今より良い方向へ進めるべきでしょう。

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済んだことは戻らないので、これを機に次回からはメールなどに残すのではなく、不平不満を会話でするようにすることですね。

私たち人間は「煩悩具足の凡夫」といいまして108つの煩悩があることから、不平不満はでるものです。
その不平不満を会話の一部として、まとまった意見を直接、指導者へお伝えすることが事故を防ぐことに繋がりますね。しかし、中々直接不平不満をお伝えするのも難しいものと存じます。私も同じです。

他人を信用するのは難しいです。表と裏がある人も少なからずですよね。

ですから、不平不満を誰かに打ち明けられたときに、しっかり腹を据えて、相手に攻撃されたときは言える環境も作っておく準備(心がけ)をしておくこで、問題は少なくなります。

よく夫婦喧嘩などで、この事をいったら喧嘩は肥大化してしまい、あえて言わないようにするといった場面はないでしょうか?
同じように、今回の件もメールなどで言ってしまうと誰かに漏らされてしまうという問題点も観点に置きながら、会話にお少し気をつけてみては。

もしくは人の繋がりがない他府県などにいる仲の良い友人に聞いてもらうことも一つの案とも思います。

一日もはやく嫌な悩みより解脱されますようお祈り申し上げます。

合掌

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そういうことは当たり前にあります

一緒に愚痴っている「仲間」から告げ口されるということは、いくらでもあります。私もたくさん酷い目にあってきましたので断言できます。私も今後、注意しなきゃいけないし、あなたも油断なさらないことです。また、ラインとかメールとかが第三者に見られているのは周知の事実ですからあなたもよくご存知でしょう。だから、こうしたところからいうと、不平不満は言ってはならないことになります。

次に違う視点から不平不満を言っていいか悪いかを考えてみましょう。結論からいうと、不平不満はどうしようもなく出てくるものだけど、出さない方がよい、ということかと思います。

私たち夫婦の仲人さんは、私が所属するお寺の前住職葬儀の夜、私に「お念仏さえ称えておればどんなことでも喜びにかわたいくものだ」と豪語しました。しかし、彼はとっても愚痴っぽい人間です。養子なので、彼のお寺の前住職が生きていたときはいつもオヤジさんのことでグチっていました。舅の方も愚痴っぽいのでよく養子のことでグチっていました。両方とも方々に出掛けては養子や舅の悪口を言ってグチっていましたので、私たちの宗派の坊さんのなかでは、彼らのグチり合いはよく知られていました。これをみると、愚痴というのはとめどなくでてくるものであって、止めることが困難であることが分かります。お念仏を称えていてもこんなもんです。

では、不平不満を垂れ流していてよいのかというとそうではないと思います。それでは何も解決しません。陰で不平をいってもコーチが変わるはずがありませんものね。また不平を言うことで発散できるということは確かにあります。しかし、仏さまの教えからいいますと、その行為は不平不満をいいたくなるという心の傾向をますます強めることにしかなりません。つまり不平を言えば言うほど、あなたの性格が悪い傾向を強めるということです。上述の義父子はお世間で互いを愚痴りあっていましたが、最初は遠慮がちだったものがどんどんエスカレートしていったものと思います。家庭環境が違う人間が養子になって寺に入って家族兼同業者になるのだから、ある程度の愚痴は実際のところ、仕方ないのでしょうけど。

お釈迦さまは、愚痴のタネに近づかない(遠ざかる)、愚痴らないという立場をとっておられました。ことに近づかない(遠ざかる)を大切になさっていたようです。愚痴らないのは辛いですからね。

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不平不満で終わらず改善案を考えてみる

こんにちは。亀山純史と申します。

不平不満は言わないほうがいいのです。それは人の悪口になるからです。でも一方で、私たちは不平不満を言わないとストレスを溜めてしまします。それは私たちは悟っていないからです。ではどうすればよいのでしょうか。ひとつの案としては、不平不満で終わらず、改善案を考えてみることです。不平不満で終われば、それは単なる人の悪口です。改善案を考えてみることは悪口ではありません。一般にクレーマーと呼ばれる人たちは、不平不満に基づき、自分たちの主張はしますが、改善案を提言することはないと思います。もしも、改善案を提言すれば、クレーマーとは言われないでしょう。

以上が私からの回答です。ご参考になさってみてください。

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質問者からのお礼

回答頂きまして、ありがとうございます。
この事件が起きた時は本当に何とも言えない感情に押し潰されそうになり、不平不満を言った自分を責めました。が、不平不満は出てしまうもの。それをどんな風に出すかに問題があると言うこと。また、不平不満に近付こうとしない事が心穏やかに過ごせるのかもしれないなぁと昨晩読みながら考えました。
まだまだスッキリするには時間が必要だと思ってます。
皆様の温かいお言葉を頂き、今一度整理して消化できたらと思ってます。ありがとうございました。

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