質問です
NHKでみたのですが、永平寺での修行はとても大変そうですね
修行していた方、どうでしたか?
並の人ではとても耐えられないような修行ですがどのような気持ちで修行していたのですか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
色んな人に導かれて
永平寺出身ではありませんし、その番組も観ておりませんので回答しづらいですが、なかなか回答がつかないようですのでお邪魔します。
私は總持寺の出身で、私が上山した年は最初の3ヶ月を耐えられずに逃げた者が二桁に上り、やり過ぎたと問題になった(と後になって耳にした)年でした。
私もいつも帰りたいと思っていました。しかし上山順で隣にいた仲間のお陰で逃げずにいられました。彼は群を抜いて出来が悪く、どういうわけか箒の使い方も知りませんでした。ゴミを右に掃いて左に掃いてを繰り返して一歩も動かない…そんな修行以前の問題という次元でした。
何をやってもそんな具合。こいつに修行生活は無理だ…先輩和尚さん達が目の敵にして彼を追い返そうと攻撃しました。でも彼は決して逃げ出しませんでした。そんな奴が隣で辛抱しているのに、私が先に逃げ出すなんて出来るわけがありませんよね。
仲間がそこにいる。ただそれだけで励みになる。その存在の力を「大衆の威力」(だいしゅのいじんりき」と言います。
あと、数メートル四方の箱庭に植わってる小さな桜の樹が、毎日変化していく姿を心の慰めにしていました。あの桜…今はもう無いんですよね…
他にも雑巾がけしてゼェゼェふらふらしていた時、パッと頭を上げると1人のお婆さんがニコニコしながら私を眺めていました。その笑顔を故郷のお檀家さんに重ねて合わせてモチベーションにしたり。
またある日はすれ違った見知らぬ奥さんが「おはようございます」と笑顔で挨拶して下さいました。その笑顔で思わず涙があふれ、もの凄く救われました。笑顔って、ただそれだけで人を癒やす力があるんですね。
OBの方からは「今日のことだけ考えろ。今日一日を乗り切れたから、明日一日だけ我慢しよう。それを毎日繰り返していけば、気付いたら1年2年経ってるからな」と言われました。
あとは、總持寺の老師に「辛いということは正しい状態だ。慣れない修行生活をして辛くないなら、それはどこかでサボっているからだ。辛いということは、君達が真面目に頑張っている証拠なのだ。そう思って胸を張りなさい。」と言われ、それが心の支えになりましたね。
そうやって誤魔化し誤魔化し数ヶ月経った夏前の集中修行期間(伝光会摂心)の夜、老師との問答で私が思い込んでいた世界がパッと一変し、それから前向きに修行生活を送るようになりました。
行って良かった。けれど二度と行きたくない。
こういった内容のご質問があったことに、気づきませんでした。
申し訳ありません。
『並の人ではとても耐えられないような修行ですが』
同じ修行道場でも、配属先や対人関係によって見方や環境が違いますので
修行の意味そのものも、個人的な修行体験も
捉え方は、十人十色だと思います。
私は師匠に3年行ってこい、と送り出されて平成23年2月に上山。
3年どころか最初の3か月でどうなることかと思いましたが、最終的には、目標にしていた部署を経験することができ、2年9か月で下山しました。
どのような気持ちでと言われましても、そのあいだ様々な思いがあり1000字以内で全部申し上げることはできません。
楽しいことも新鮮なことももちろんありました。
真冬の、あたたかい陽射しのあたたかさとか。
雪の降る音が聞こえたりとか。
お昼どきの参拝客の体臭がきつい(ケモノっぽい)とか。
あいつ、こっそりチョコ食ったなとか。
実家や友人から届いた手紙を開けるときの高揚感とか。
修行仲間の彼女に、いつのまにか新しい恋人ができてたとか。
昭和初期の雲水さんの手帳見つけて、今と同じことをやってたんだ、とか。
年一度の外出許可をもらうためのお経点検がたまに「AKB48の全員の名前」(当時)という理不尽とか。「五十七人の仏さまの名前が言えるなら、48人くらい言えるだろ?」とか。
お前ら永平寺に何しに来たんだ!と怒鳴られたり、
お参りに来るカップルを見て「お前ら永平寺に何しに来たんだ!」と荒んだり。
厳しい、ということだけなら
世間の方が数倍厳しいことがあるでしょう。
修行でさえ、かえって人の温かさを知る場合があって
修行したから偉いとか、評価を下すためにあるものではない以上
「厳しい」ということばかりクローズアップしてほしくない、という気持ちもあります。
永平寺は現役の雲水さんが修行を振り返る作文が、月刊で『傘松』(さんしょう)という機関誌に寄稿されています。私のもどこかにあると思います。それでさえ修行の全てを表しているかどうか分かりませんが、よかったら読んでみてください。
ただ、一言でいうなら
「行って良かったな」と言えるように
今を生きています。
世間のみなさんと一緒だと思います。「生きていてよかった」と言いたいじゃないですか。
南無釈迦牟尼仏 合掌
こんにちは。
曹洞宗には、福井の「永平寺」と神奈川の「總持寺」の二つの本山があり、(正確な統計はわかりませんが感覚的に)9割の僧侶が、この本山のどちらかに安居(「あんご」と読む。修行の事。以下「修行」とします)します。その割合は(これも感覚的に)半々です。残りの1割はその他の修行道場です。曹洞宗は、これらのうちどこかの修行道場において一定期間修行をしないと僧侶の資格がとれません。つまり、曹洞宗の僧侶の4割ほどが永平寺に修行している事になりますが、なんでだろう?なかなか回答がはいりませんでしたね。たまたまhasunohaで回答を入れているのは、總持寺かその他の僧堂出身の僧侶が多いようです。(私も總持寺です)。ごめんなさい。
どうだったかについては、思い出したくないので書きませんが、牢屋で強制労働させられているようなものです。体力的にかなりキツかったです。でもね、その分、今でも当時の仲間とは強い絆で結ばれているんですよ。
7年修行しておりましたが・・・
取り敢えず、結論は楽しかった。しかし、慣れないうちは大変でした。特に起床時間が早い3:30が基本で、4と9のつく日は1時間遅くの起床時間で、それが幸せでした。
修行の内容はテレビも何もないところで皆と同じことを沈黙の中で行うことは非常にありがたい環境でした。
僧堂は坐禅から食事、睡眠を行う場所で66名以上が入っても、騒がず只管1つの事を行う雰囲気は最高でした。その気になれば人がたくさんいても静かに出来る力があると私は思いました。
夜坐禅をしているとコノハズクが「仏法僧」と鳴く声が静けさを倍増させます。永平寺の周りの庭を掃除しているとブッポウ草が咲いている姿を観てホッとしたり。5年目位から一生居ても良いかなと思うようになりましたが、自分のお寺の都合で送行[そうあん](永平寺を下りること)したことは今でも寂しく思います。
注意してほしいのは、修行で精進料理を食べ、坐禅をするからと言って、健康になれるわけではありません。世間はそこを勘違いしておりますが、健康になるかならないかは最後は自分の心がけです。修行は健康か不健康かに関わっている暇無く、修行で得られたものは今でも見えないところで生かされております。敢えて言うなら、掃除の仕方が他の人と違うと言われました。自分では意識してないのでよく解りません。
ちょうどこの時期は托鉢の時期で福井県内の至る所に永平寺の修行僧が集団で並んで托鉢をしていると思います。縁起があれば出会えるかも・・・。
質問者からのお礼
お二方の和尚様、回答ありがとうございました
總持寺の事もテレビで見た事があります
確かその時は外国人も修行していました
相当辛い修行なんでしょうね
私なんか絶対に出来ない事なので尚更尊敬してします
若い雲水さん達が厳しい修行、座禅で得るものは何物にもかえがたい経験だと思います
そのような経験をした和尚様は眩しく感じます
本当にありがとうございました
吉井様、回答ありがとうございます
大きな勘違いをしていました
雲水さんや修行されている方は無条件に高尚な方々だと思い込んでいました
考えてみれば(考えなくても)皆さん『人間』なんですよね
嫌だなぁ、帰りたいなぁと思ってたりしても当たり前なんですよね
それでもやはり尊敬します
本当にありがとうございました
大鐵様、返答ありがとうございます
楽しかった…厳しい修行も楽しんでされてたのでしょうね
山の中の環境も素晴らしいのでしょうね
修行される和尚様達は覚悟を決めて腹をくくって望まれるのでしょう
福井県は私の住んでいる所からは大変遠いのですが、一度は永平寺に行ってみたいです
本当にありがとうございました