生きてて良いのでしょうか?
ただ、笑って暮らしたいと思ってやってきました。
でも、私には足りないものだらけだったと気がつきました。
私と暮らす子供に申し訳ない。
頑張っているつもりでも、足りない。頑張り方がまちがっている・・・
自分から死を選ぶということ、間違っているのは分かっています。
でも、どうやって生きていくのか?間違いを正すにはどうしたらよいのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
考えや思いのオプションを付随させないこと
人間、自分の気持ちが最優先だと苦しいんですよ。
物事が思い通りになってほしいけど、思い通りにならない。
ウマくいってほしい期待を手放してみましょう。
車でいうとニュートラル状態で無駄にアクセルを踏んでいるように、思いの無駄ぶかしは体に毒ですからお控えください。
ヽ(^o^)丿相手のコトを気遣っておられるようであっても、
ひょっとするとご自分の気持ちでいっぱいいっぱいになっておられるのかもしれませんよ。
まず「わたし意識アクセル」を踏まないことから始めてみましょう。
わたしなんか わたしなんか
わたしの わたしの
わたしが わたしが
ああ、わたし ああ、わたし…
「わたし意識」をやわらげましょうヽ(^o^)丿
◎悟った人と、迷っている人との違い
日々の出来事に自分意識を運んできて、わたし化させている人が、迷いの人です。
「自己を運びて万法を証するを迷いとす」 道元
イメージ、意識を中心に物事を見ているから、ニュースを観るにしても、お子さんとのやりとりにしても頭の上でアレコレわたし意見を加えてしまう。
まっさらな彼をそのまま受け止めず、私フィルター越し情報として色を付けて見ているのです。同じ一日を過ごすのに、なぜ楽しい時と、暗い時があるのか。
それは、出来事に暗い思いを重ねてものを観ているからです。
では、悟った人や悩みの少ない人はどのように物事を見ているかというと、
出来事、出会っている目の前の現実を「思いを重ねずにそのまま」みています。
「わたくし意見」を主人公としないのです。
「できごとだけ」を主人公とさせた生活をしているのです。
たとえば、人と目があったときなど、「この人私のコト悪く思っているのでは?」などと自分の思いを相手にかぶせてしまうと人間は実物に出会うことができません。
目の前にあるものをご覧ください。
机もスマホもPCも何もあなたに文句も、悪口も言っていませんヨ。でしょう?
常日頃から、ものそのものを受け止めず、なにか思いのオプションを付随させることが習慣となっているのです。それをカットしてみましょう。
子供さんそのものを、そのままに、受け止めるということがあなたの課題です。
自分の中から沸き起こる悪いイメージを相手にオプションとして付随させなければ、こころはとってもラクです。ヽ(^o^)丿
人生まんざらでもないですよ。
こんばんは。
足らないから人間なのです。
足りてたら仏です。
仏からご覧になれば、我々は救いの対象なのです。
救わずにはおれん…と、いつも見ていて下さいます。
だから生きてていいのです。
生きててくれと、仏様は我々に願いをかけて下さっています。
私はいつもそのように考えて生きています。
貴女のような思い、私もずっと繰り返して生きていましたよ。
信仰を持っていてもそのように何度も思ったりしました。
でも、そのことは同時に、
信仰を持っていて良かったと思える瞬間でもありました。
生きるということは、
多分、楽しいことよりもしんどいことの方が多いと思います。
その理(ことわり)は2500年前に、釈尊が明らかにされています。
そう…
私もホントに死にたいと思うことがありました。
というか、消えて無くなりたいと思った、といった方がより正確です。
でもね、死ぬ勇気が無かったのです。
結局、この命が惜しかった、勿体なかったのでした。
死ぬ勇気を与えてくれなかったのは、信仰を持っていたお陰です。
それが仏から頂いた“御利益”なのだと思います。
間違いを正す…そんな簡単なことではないでしょう、きっと。
もし、それができないからという理由で“死”が選択肢に入ってたら、
それこそ間違いを正すどころではありません。
正すどころか、正す道筋を自ら絶ってしまうことにもなりかねません。
まだまだ続くであろう人生、そんなにさっさと結論は出ません。
紆余曲折の人生です。
でも、貴女が最初に書いておられるように、
笑って暮らしたいと思ってられるし、
実際に笑わない日が永久に続いての今日ではないはず。
「笑い」は仏からの賜物と考えてみて下さい。
貴女が笑っている時は、仏も笑っておいでです。
そして貴女の悲しみを、
ちゃんと分かって下さってる存在があることも確信してみて下さい。
ここに書き込みをするようにし向けて下さったのは、
仏力によるものと私は感じています…。
決して頑張る必要はありません。
しんどい時は、ずっと立ち止まってられていいのですから…。
道半ばは過ぎていますよ
たかさま。
なごみ庵の浦上哲也と申します。
短い文中からも、何か思い詰めていらっしゃるような切実な思いを感じ、何があったのかと胸が締めつけられるような思いがいたしました。
楽天的な意見と思われるかもしれませんが、私はご質問の文を見て、すでに道半ばを過ぎているのではないか、と感じました。
私たちは、自分の姿はよく見えないものです。分かっているようで分からない、見えているようで見えていない自分の姿。
しかし、たかさんは「足りないものだらけ」と気づき、「子供に申し訳ない」と頭が下がり、「間違いを正すにはどうしたらよいのか」と問いをお持ちになりました。そこまで辿り着けたことは、素晴らしいことだと思います。
具体的なことは書きづらいかもしれません。私を含め、直接の連絡を頂いても結構です、という方も何人もいらっしゃいます。また他の相談場所や、身の回りに力になってくれる方もあるかもしれません。
「間違っているのは分かっている」、それ以外の方法で、良い方向に向かえるように進んで参りましょう。
生きているだけでまるもうけ
この言葉を使って、笑いをとっている有名タレントさんがおいでですが、お笑いのネタというだけでなく、
意識の持ちようとして、この言葉は当を得ているように思います。
丹下師も書いておられるように、ときに私たちはマイナス方向にばかり意識を向けてしまい、スパイラルのように落ち込みに向かってしまうことがあります。
ちょっと視点を変えてみてください。
本当にマイナスのことばかりなのですか?
同じことでも、プラスととらえることができるものはありませんか?
足りないものがあるということは、足りているものもあるのではありませんか?
暗い闇の底に沈んでいるような感覚をお持ちなのではないかと推測いたしておりますが、
どこかに明るい光がさしているものです。
その光を見つけていっていただきたいと思います。
実際にご相談へと出向かれてみられますことをお勧め致します。
たか様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
切実なお悩み・・息子様のことで先だってもご質問賜われました、たか様であるかと存じますが・・
とにかく、あまり一人で抱え込まず、気丈に一人で頑張ろうとなされずに、積極的に助け、協力、支援を求めてみられるべき時期ではないかと存じております。
親類、友人、知人、また、行政、民間と第三者機関の窓口も幅広くございますので、とにかく一人で悩まずにご相談をと存じます。hasunohaだけでは限界もございますので、実際にhasunohaの登録寺院へと事前にお問い合わせ頂いて直接に相談へと伺うのも良いでしょうし、下記のように家庭問題に積極的に取り組んでおられるお寺もございます。
てらネットEN
http://www.teranet-en.org/index.htm
いい寺.jp
様々な悩み事に対して相談所を設けているお寺のリンク集
http://e-tera.jp/kakekomi/kakekomi.html
それらのお寺さんからも、更により具体的な解決方法をお聞きすることもできますでしょうし、これまでのご経験から、しかるべき先の紹介もして頂けるのではないかとも存じます。
是非、ここは実際にご相談へと出向かれてみられますことをお勧め致す次第でございます。
また、自ら死を選んで、本当に迷い苦しみから脱せれることができるか、楽になれるのかと申しますと、拙生は非常に懐疑的でございます。むしろ、仏教的には、より更に迷い苦しむことになってしまうように存じております。それは、やはり間違いであると言わざるを得ません。
とにかく、足りないものだらけであると気付いた今こそ、まさにチャンスでもございます。同じ失敗を繰り返さないように、前を向いて進んでいくべき時ではないでしょうか。
誠に月並みな表現で申し訳ありませんが、「明けない夜はありません」、「止まない雨はありません」。この困難を乗り越えたきっとその先には、笑って暮らせる日々が待っているのではないかと存じております。
川口英俊 合掌
残念!私も同じことを思っております。
たかさん、私は悔しいですわ。私も最近まで、実は今でも同じことを思っていますわ。先に質問されてしまった。残念!
私は毎日でも笑って過ごしたい。でも、周りがそうさせてくれない。辛いわ。正解ない世の中。正しいこと言ったつもりなのに、目上の人の言った意見に周りの人たちは同意してしまう。後で陰で「あなたの気持ちとおなじよ。」何て言われても手遅れ、「その時言えよ。」と言いたくもなる。
でもね、大勢の人とかかわるうちに、あっちのコミュニティの人たちは私のことを分かってくれたりするの。そのとき気付いたことが1つ。解ってくれない人達のコミュニティから理解を得る努力よりも別のコミュニティに入り、自分のことを分かってくれている人達に囲まれるのも悪くはない。
結論、嫌なことから逃げ出すのもいいが、その前に別の世界を見てからにしませんか。