hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

 仏教は宗教ではありません

回答数回答 5
有り難し有り難し 68

 12月5日付の新聞報道にアインシュタインの手紙が競売に付され高額で落札されたとの記事がありました。

 その手紙に宗教の神に対する否定的な見解が示されていました。

 仏教は神がいないことで、宗教ではないと言えます。

 仏教の基本は真理と論理による宇宙の真実が語られています。

 真実とは、宗教の信仰の有無や宗教の種別に関係なく、すべての人に等しく適用されるものです。

 真実の中身は、宇宙のすべてが空で構成され(色即是空、諸法空相)、現実の世界は空が物質に変化したものである(空即是色、諸行無常)と説明しています。

 そして論理(縁起の理法)により、身体はその構造が複雑で故障しやすく死に到りますが、構造の簡単な心は死ぬ要因ががなく、通常の心境ではいつまでも生き続けます(輪廻転生)。

 涅槃(心を空に戻す)に依る以外に四苦から逃れることが出来ないと言う、瞑想から得た真実の悟りをすべての人に知ってもらう為に、仏教として広めたのです。

 心境のレベルによって、涅槃を求める方法が多岐にわたるため、宗派が分かれたと思います。

 アインシュタインも、深い洞察でその見解をえたのではないでしょうか?


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

仏教は間違いなく宗教です。

何故なら宗教という言葉は本来、仏教用語だからです。古い経典にも見られる単語です。
仏教が宗教ではないのではなく、20世紀にreligionの訳語に宗教を当ててから『宗教という言葉のイメージが変わってしまった』のです。
本来の宗教の意味は「教え」です。

このような事こそを後の世代の方がたに伝えてあげて下さい。

追記

仏教には神がいます。天部です。天部とは、インドにおいてはヴェーダの神々であり、日の本においては八百万の神々です。

>真言(まこと)をかたり
いかることなく
乞われなば
持つものよし少なくとも
おのれのすべてを与うべし
この三事によりてこそ
ひとひとは神々に
近づくを得ん
(友松訳『発句経』224)

これが原始経典のお釈迦さまの言葉です。確かに神への信仰は仏教の中枢ではありません。しかしお釈迦さまはこの偈に限らず何度も何度も神々に言及しています。
仏教の魅力は『懐の広さ』であり、仏教の特色は『中道』です。神を盲信するか全否定するかというような両極端の発想はお釈迦さまの教えに最も反する態度です。

そして『懐の広さ』ゆえに『時に信仰を否定し、時に信仰を勧めて相手の目線に合わせて教えを説かれた』のがお釈迦さまの『対機説法』です。そしてその延長線上が宗派です。

その中で「お釈迦さまは神を否定した。肯定する人はお釈迦さまの教えを歪めている」と一部分だけを切り取ってパッチワークする学び方が一番、何よりもお釈迦さまの教えを歪める学び方です。
残念ながら、そうやって批判さえしていれば格好いいという風潮が、20世紀の後半に流行してしまったのですけれども…。残念ですが、今、所有していらっしゃる本は全て処分なさったほうが良いです。末法の産物です。

{{count}}
有り難し
おきもち

曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
このお坊さんを応援する

「自灯明」

来生様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

確かに仏教では、他の宗教と違っている明確な点が幾つもあります。創造主の否定、空の見解など。

更に仏教は、ただ信仰するだけの教えでもなく、「自灯明」とも申しますように、己が実際にその道、仏道を歩まなければならないのであります。

よくダライ・ラマ法王様もご法話にておっしゃられておりますように、「師の教えを、ただ尊敬だけをもって受け入れるべきではなく、金細工師が、その扱っている金が本物か偽物か、その金を焼いて、切って、磨くことをもって慎重に吟味するように、そのようにして師の教えも受け入れていくべきである」として、しっかりと一つ一つの教えを批判的、合理的、論理的に検証しつつ、得心して進めて参りたいものとなります。

川口英俊 合掌

{{count}}
有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
このお坊さんを応援する

追記 宗(むね)とする教え

「宗教」という言葉は、宗とする教えという言葉であり、元々は仏教をさす言葉だったと聞いた記憶があります。

信仰対象を崇めるような教えの宗教もあれば、真理の探求や悟りを目指した修行をする宗教もあるということでしょうね。

追記9日(日)
失礼ながら、
お礼コメント欄を拝見していると最初の質問からテーマがそれてきているように思われます。
とても興味深い内容で、もったいないので、
新しい質問を立てられてはどうでしょうか?

{{count}}
有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
このお坊さんを応援する

英語の「宗教」と日本語の「宗教」は意味が違いますからね。なので西洋の人が「仏教は宗教ではない」というのも当然ですよ。英語の「宗教」は「神との結びつき」という意味ですからね。

追記
横やりを入れるようで申し訳ないのですが、少しだけ話すことをお許しください。大慈さんへのお返事の中で「仏教の根本である「輪廻転生」も日本仏教はその否定も許されているようです。」とあるのですが、輪廻転生は仏教の根本ではありません。仏教以前からあるバラモン教の思想になります。
お釈迦さまは対機説法でしたから、相手の苦しみや悩みを取り除くために、輪廻転生の話を用いて説いた方がいい相手には用いて説き、輪廻転生の話を用いずに説いた方がいい相手には用いずに説いたのですね。
お釈迦さまにとって大切なことは、目の前の相手を苦しみや悩みや絶望から救い、前向きに生きてもらうことだったのだろう、と私は思います。

追記
バラモン教に否定的でなければそもそも仏教は生まれていませんよ。お釈迦さまもバラモン教のままでよかったのですから。お釈迦さまはバラモン教を全てではありませんが、否定しています。例えばカースト制度に対しても平等を唱えています。しかし単に否定しては、当時バラモン教という先入観があった人々には誰も話を聞いてくれませんね。なので、真のバラモンとはこういう人なのです、と人々に分かりやすく仏教を説いたのです。
また、見込みのありそうな人には、来世は無記として、修行することを勧めていますね。
輪廻転生を否定したら死ぬしかないとお思いのようですが、そうではなく、お釈迦さまは基本的に、生きている間に修行して覚りなさい、というスタンスですよ。ただ、それができそうにない人々には輪廻転生など来世の話もして、より良き道を歩めるように説いているのですね。
つまり、相手によってあえて輪廻転生を説く場合もあるし、あえて説か無い場合もあるということです。お釈迦さまの狙いはその更に先にあるのだと思いますよ。

{{count}}
有り難し
おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

願誉浄史 様  ご指摘を有難うございます。
 
 信仰を伴うものが宗教と思っていましたので、思い違いをしました。

 「仏教の教えの中身」と改題したいと思います。

 (改題の仕方が判りませんので取り合えずここだけの改題です)

大慈様 ご回答を有難うございます。

 願誉浄史 様からも同じご指摘を頂きましたので改題したいと思います。

川口 英俊 様 ご回答を有難うございます。

 確かに釈尊の御遺言が「自燈明 法燈明」でした。

大忍貫道 様  ご回答を有難うございます。

 色々ご指導を受けますのに、気を悪くすることはありませんのでお気遣いなく。

 私は初期経典は全く知らず、大乗経典の一部だけの知識しかありません。

 般若経に勝る初期経典とはどんな内容の経典でしょうか?

 大変興味深いです。

三宅 聖章 様  ご回答を有難うございます。

 英語ではあながち間違いでは無かったのですね。

 でもここでは日本語の「宗教」の意味で話すべきだったので、誤解でした。

大慈 様   追記を有難うございます。

 神がいないとは、神を信仰の中心に置いていないという意味の積りでした。

 梵天勧請と言う逸話もありますから、あの世では何でもありと思っています。

 中道を前面に押し出すのは危険だと思います。人間は本能に心地よい思考を優先する傾向にあります。

 中道を根拠に正論に反対することが多いようです。

 釈尊は「如来は真実を語る」と断言しています。

 如来の言葉も中道と言う理由で意訳することが日本仏教では多く見られます。

 例えば「色即是空」は忠実に訳しても「空即是色」は意訳で語句に忠実ではありません。

 中道で総て許されるのでしょうか?

 仏教の根本である「輪廻転生」も日本仏教はその否定も許されているようです。

 少なくとも、釈尊の言葉は、意訳なしに忠実に解釈すべきだと思います。

 例えば般若心経に「彼岸に往けり」と言う記述がありますが、彼岸が実在しなければ「往けり」と過去形で言う筈がないと思います。

三宅 聖章 様   追記を有難うございます。

 一番紛れやすい点をついて頂き感謝します。

 輪廻転生は確かにバラモン教の思想ですが、釈尊が仏教を開いたときにこの思想を批判したことはありません。

 もしバラモン教の思想が間違いであったならば、その間違いを空と同じ時間を費やして反論したはずです。

 何故ならその当時のインド社会は輪廻転生が常識であったからです。

 釈尊説教の多くは弟子に対する問答です。常識との違いには詳細な説教が行われますが、常識的な話は一切語られていません。

 従って経文の中で、輪廻転生の文字を見つけることが困難です。

 前回は「前世、現世」という言葉を金剛般若経で見つけたので、問題を提起したつもりです。

 横道にそれますが、般若心経でもそのことが窺えます。

 「諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減・・・・」の前に「諸法実相 生滅 垢浄 増減・・・・」があるべきですが、それすら常識ですから省略され、誤解の元になっています。

 本題に戻って、般若心経の「照見五蘊皆空 度一切苦厄」で四苦から解放されたとあります。

 現在我々は既に生を享けていますから、絶対に四苦を逃れることはできません。

 釈尊も四苦を逃れず、病死しました。

 いつ四苦から解放されるかと言うと、次の生を防ぐしかありません。

 だから釈尊が涅槃を勧め、我々は涅槃を求めて修行しなければなりません。

 次の生があるということは、輪廻転生が仏教の基本で無ければ、仏教は成立しません。

 即ち輪廻転生を否定するということは、死即涅槃ですから、仏教を学ぶ必要はありません。

三宅 聖章 様  追記 (2)を有難うございます。
 
 三宅 聖章 様も輪廻転生を否定しながら、釈尊がその話をしていると仰っているではありませんか。

 釈尊は真実しか語らないと自ら断言しています。

 たとえ話で輪廻転生を語ることはありません。

 生きている間に覚る人が何人いるとお思いですか?

 99%よりはるかに多くの人が輪廻転生するのです。

願誉浄史 様

 追記9日(日) を有難うございます。

 衆生の暴論に興味をお持ちくださって恐縮しています。

 あとは釈尊の言行から推定する程度ですが、お勧めに従って質問を立ててみましょう。

「宗教について」問答一覧

伝統と原理主義の境。不幸=神仏の怒り?

 いつもお世話になっております。  私が尊敬する情報科学の先生がXで、 「未だに、天災や気象現象を『神仏の怒り』と考える人は多く いる。しかも議員になれてしまうほど支持率が高い。なんでも かんでも『神仏のせい』にすれば、自力で考えなくて済むから。 だから自分は、宗教の原理主義的なものは嫌いだ」 とおっしゃっていました。  私は、宗教は「生活規範」「安心と励ましを与えてくれるもの」 と捉えています。  昔の人は、不幸な事…災害の発生や疫病の流行が起きると、 「仏様神様がお怒りになっている」 と捉えたと聞きます。  しかし、私は、 「地震だ!身を守れ!備蓄はあるか?火は出ていないか?神仏が見守って くれている。頑張って知恵絞って、みんなで力を合わせて乗り越えよう」 と捉えています。  私は、原理主義…つまりそのまま文字通りに経典等を捉えることは、 思考停止、理解が浅いと思っています。理解の浅さや霊感商法にも 繋がると思っています。  私は、宗教とは、経典を生活規範としつつ、いかに世渡りをして いくかを説いてくれているものだという認識です。  「宗教やってる奴なんて狂人」とネットで言っている人がいました。 私は、昨今のゆがんだ宗教観が原因でそういった認識も広まったと 思っています。霊のせい、神仏のせい、墓があるせい、方角が… お告げが…  お告げに至っては、現代ではメスカリン、アヤワスカの作用や 精神疾患が原因と分かっています。  また、ある工学の先生は、 「自分の感覚では、宗教は『頼る人』と『信じる人』に分かれると 思う。頼る人は、自己分析不足で盲信的、信じる人は客観的な 自己分析ができ、自分の非力さを理解したうえで、足りないところを 宗教の裏付けで上手くバランスをとっている印象がある」 とおっしゃっていました。  私は原理主義者、「頼る人」ではなく、伝統墨守、「信じる人」と いう立場でいたいです。原理主義者にならず、伝統を守りつつ、 世渡りをしていくにはどうしたらよいでしょうか。

有り難し有り難し 9
回答数回答 2

牧師、神父、イエスキリストが信じられない

仏教のサイトでキリストの話をするのは筋違いだと思いますが、お話しします。 イエスキリストを心の底から信じられないのです。 というか、私は私が所属したい教会がわかりません。 宗教ジプシーで、十数個の宗教を渡り歩いてきました。 でも、どこの神様も心から信じられないのです。というか、どこの教会も心から信じられません。 牧師にもそのことを話しました。 どこの教会が真理かと。 で、聖書を読んでいるかと牧師に問われて、新興宗教の教会に通っていることを打ち明けると、とても馬鹿にされました。 すごく悲しかったし、本気でキレてしまいました。 新興宗教というか、キリスト教の教会にも行かなく成りました。 なんだか、「クリスチャン」が信じられないのです。 もちろん私が知り合ってきた人には、良いクリスチャンもいます。でも、ネットでクリスチャンを自称している人は嫌いです。 ガンジーが「クリスチャンはキリストのように生活してねーじゃん」とツッコミを入れているように、私はクリスチャンが善人ばかりではないことを悟りました。 私はどうしたらいいんでしょう。 もう宗教が嫌になっています。 嫌というか、何かすごい心がモヤモヤします。 どうしたらあの嫌な牧師を赦せるのでしょう。汝の敵を許せと聖書にはあります。 でもどれだけ祈っても聖書を読んでも牧師を赦せないのです。 カウンセラーにも牧師を赦せないことを話しました。 でも、心理学や精神医学を使ってもあの牧師を赦すことができないと私は思ってしまいます。 カウンセラーに助けを求めましたが、正直あまり救われたと思えないのです。 どうすれば人を赦せますか。 お坊さんは、こいつ殺してやりたいと思う奴をどう赦すのですか?そもそも人を殺したいほど憎みますか? また、どうすれば、私は私が納得する教会というか、教えに出会えるでしょうか。

有り難し有り難し 11
回答数回答 1

科学と宗教の棲み分け。仏教は科学否定?

 いつもお世話になっております。  ある日、仲良くなった女子神主さんと話していて、 「科学じゃ説明できないこともたくさんあるのよ」 「お医者さんも信用しきっちゃだめよ」 と言われました。  私はこの神主さんを怪しみ、あえて科学界隈の精神科の先生に、 神主さんからこう言われた、と伝え 「先生、科学で説明できないことって何だと思う?」 と尋ねてみました。  「たくさんあるじゃない。精神の現象なんて最たる例だよ」 と言われました。 「個々人の物事に対する捉え方とか、病気を治したいっていう 気持ちを起こさせたりとかは、科学が干渉できないってこと?」 と聞いたら、その通り、科学はあくまで目に見えるものを探求する 学問だと言われました。同時に、 「みんな、科学に期待しすぎ」 と。  精神科の先生のことは信頼しています。でも、科学のプロが 「科学に期待しすぎ」という考えなのはどうなの?とも思います。  以前こちらで、宗教心、仏教心とは何か、と質問したら、 「当たり前のことを分かるようになり、惑いをなくすこと」 とお答えいただきました。目を開けたら見える、おならは臭い、 というようなことだとご説明いただきました。  しかし、世の中の人は、 「どうしてこうなるの?どうすればいいの?怖い!」 とあらゆる事に惑います。  科学は、 「これはこうだからこうなるんだよ(当たり前の提示)。こうすれば 怖くないよ」 と人々に教えてくれます。  そして、素直にその事象を受け入れ、科学で明らかになった対応策を、 (例えば病気の治療)ありがたく実行させていただく。この謙虚さと やる気を起こさせるのが、宗教心だと思うのです。  こちらのお坊様も、 「仏教では、物事には必ず科学的原因があると説く」 「科学の発展なしに、現代社会はあり得ない」 とおっしゃいます。  時折、「科学が人を貧しくした!」と言っている宗教家を 見かけます。私は、こういう人は危険だと思うのですが。  ちなみに精神科の先生は、「僕を100%信用しないで」と言い、 神主さんも、医者を信じきるなと言いつつ「治らない人は、治そう としない人よ」と言います。  実は、長年の疑問です。私は、仏教は科学を否定する危険な宗教 だと思いたくないです。  

有り難し有り難し 15
回答数回答 2

宗教について

お付き合いをして3年目、結婚を将来的に考えている20代後半の彼氏がいます。 結婚に向けて話を進めていく中で、 彼氏のお母様が熱心な新興宗教の信者なことが発覚しました。 彼氏は生まれた時から強制加入されているようですが熱心ではなく活動などにも参加していません。幽霊会員のような状態です。 彼氏はお母様の熱心さに嫌気がさして出身地から遠い所で暮らしているので日常生活で相手の親御さんが尋ねてきたり勧誘してきたりはあまりないと思っていますが… 私の父親が宗教関連断固拒否派です。 彼のことはずっと知らせていて近々食事だけでもするという話も出ていました。 私自身は信仰の自由はそれぞれ個人の自由かと思っているので勧誘されても入らないことは頻繁に伝えて固い意思でお断りすれば良いかなと思っていますが… 彼氏のお母様は私の入信を望んでいる様子だそうです。 (彼氏は宗教関連の話を一切私にしないで欲しいとお母様にきつく言ったようですが聞かない様子だそうです) 父親の反応が怖くてその件を言い出せない状態ですが、母親にも相談したところ「考えが甘すぎる」と言われてしまい結婚は愚か食事会すら猛反対されてしまいました。 私の結婚に対する考えは甘いのでしょうか?

有り難し有り難し 3
回答数回答 1

なぜ祈る?祈りと願いの違いとは?

 いつもお世話になっております。  最近、気になっています。人は、なぜ祈るのでしょうか?  私は毎日、私がお世話になっている精神科医療スタッフさんが 安全にお勤めできるように、また、ストレスのため体を壊して しまった友人が早く回復しますようにと祈っています。  最後に自分のために祈ったのは、いつだったか。といった ところです。  あるお坊さんが、 「祈りとは誓い。『私は、○○をします。お見守りください』と、 神(仏)だのみではなく、自分が頑張るのを見守ってもらう」 とおっしゃっていました。私は、本来の仏教は神秘主義に傾倒した、 現実逃避の教えではないんだ。と安心しました。  しかし現実は、祈りや寄進が「自己愛の増幅」に繋がってしまって います。 「私はこれだけ○○様にお祈りしてるんだワ!」 「私はこんなに○○寺にご寄進したんだワ!」 と、ナルシストになってしまっているのです。  だから、信者間でのモラルハラスメントや、不倫や性暴力の 横行といった、これが宗教者かと思われる、アリエナイ事態 が各所で乱発しています。彼ら彼女らからは、本来宗教者が 持つべき「謙虚さ」が欠落しているのです。  現に私は、色々なお寺で色々な嫌な事をされています。  まともに祈って努力して頑張っているのは、医学生さんや 法学生さんくらいでしょう。  現に仏教系の大学は、偏差値が低い所ばかり。まあ、偏差値 というのは倍率のような側面もあり、志望者さんが多い学校ほど、 「きりがないから優秀な子から…」と高くなるようですが。  昔、陰謀論は宗教が担っていたそうです。陰謀論にはまる人々は、 「私は真実を知っている」「世界は間違っているが、私たちは正しい」 と驕ります。そして彼らは、科学が嫌いで怠け者です。  仏教では、 「あらゆる事象には科学的な原因があるから、呪いやたたりなど 怖くない」 と説いていると聞きますが、これを理解している人が、どれだけ いるでしょう?  もっと言いたい事はありますが、長くなるのでここまでに します。  私は祈りを捧げるとき、周りへの感謝、そして、頑張ります、 という気持ちを大切にしたいと思っています。そして、祈ったら、 次は現実的なアクション。間違っていますか?

有り難し有り難し 4
回答数回答 1

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ