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初期経典

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大忍貫道 様  ご回答を有難うございます。

 追記を見落としまして失礼しました。

 私は初期経典は全く知らず、大乗経典の一部だけの知識しかありません。

 般若経に勝る初期経典とはどんな内容の経典でしょうか?

 大変興味深いです。

2018年12月9日 19:48

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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

追加質問は新しく立てて下さい。字数制限と書き直しの不推奨

対比として般若経について書かせていただきます。

般若経典群には数多くの般若経を冠する経典があります。一例として大正新脩大蔵経の分類で言えば42の般若経を冠する漢訳経典があります。

般若経典群は大乗仏典の先鋒であり、一番バッターです。そのためしばしば「大乗仏教はお釈迦さまの教えではなく、新しく創作されたものである」とする大乗非仏説の槍玉にあげられます。これは日本仏教側からの批判ではなく、アンチ日本仏教側からの批判です。
その論拠は上座部の最大セクトである説一切有部との比較にあります。すなわち説一切有部は「一切の法の実在」を説いたのに対し、般若経典群は「諸法の本性は無自性・空」である説いたことに依ります。

また初期経典に見られる縁起思想は「渇愛を増長する者は無明を増長する。無明を増長する者は苦を増長する。」という、言わば一人一人の心の問題でした。それが後世において過去・現在・未来における全宇宙のあり様にまで大きく説かれるようになります。これは大乗のみならず上座部でも同様です。ここに初期経典と後世の経典を結びつける上での文献学的な無理が生じます。言わば後世の経典の成立そのものが釈尊の教えの意訳です。

特に般若経典の空思想は龍樹(2世紀前後)を祖として、5世紀ごろに明確な形をとった『中観派』と呼ばれる学派によって強く拡大・展開されました。『現代の般若経典群の解説書は通常、初期経典の釈尊の教説ではなく、中観派の注釈書に基づいて執筆されます。』

なお、般若波羅蜜の語には「彼岸到」の意があり、般若経典は彼岸・此岸を特に前面に出した経典であると言えます。
一方で初期経典には「彼岸もなく此岸もなく、彼岸此岸もなく、怖れもなく、束縛もない人、かれをわれはバラモンと呼ぶ。」という偈『も』見られます(発句経385)。バラモンは異教徒ではなく、古い言い回しで聖者の意です。同時にパーリ語の註解ではこの偈での彼岸は眼耳鼻舌身意、此岸は色声香味触法を指すとされます。

念を押しておきますが勝劣の話ではありません。あくまで般若経典で釈尊直伝を説く人はいないという話です。
そして深く誤解されているでしょうが、私は大乗経典を初期経典からの連続として読む側の人間です。
https://hasunoha.jp/questions/11964
それでも般若経が釈尊直説だと口にするのは無理です

2018年12月9日 23:48
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有り難し
おきもち

曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み) 最近YouTubeを...

ご質問を読ませて頂きました。
始めにお断りしておきますが、私は大乗経典と初期経典に内容的な優劣があると言っているわけでも、原理主義者なわけでもありません。
般若経に勝るというのは内容ではなく、前回の回答に記したように「仏教思想を総じて語る論拠として」ですので、ご留意下さい。

今日、初期(原始)経典と呼ばれるものはパーリ五部と呼ばれる経典群を指します。
パーリ五部の構成は、「ディーガ・ニカーヤ(長部)」「マッジマ・ニカーヤ(中部)」「サンユッタ・ニカーヤ(相応部)」「アングッタラ・ニカーヤ(増支部)」にそれ以外の小典を集めた「クッダカ・ニカーヤ(小部)」から成り、クッダカ・ニカーヤには最古層の経典と推定されているスッタニパータやダンマパダ(法句経)が収録されます。
また、パーリ五部という名が示すように釈尊が用いていたマガダ語に近似したパーリ語を用いて記されています。パーリ語は言語としてサンスクリット語よりも古い俗語であり、それによって記されたパーリ五部のうち小部のスッタニパータは釈尊の没後100年過ぎには成立していたという説もあります。
パーリ五部の漢訳である阿含経の阿含は「アーガマ(伝承されたもの)」の音写であり、その事が示すように口伝で伝承されたものが徐々に筆記されたものがパーリ五部ですので、成立にはバラツキがありますが、その分、古ければ古いほど釈尊のオリジナルの思想を示すと考えられます。
けれども、最古層の経典であるスッタニパータにはジャイナ教とすこぶる近似している箇所が散見されるため、仏教以外の思想が混入しているのか、それとも初期の仏教は現在ほどオリジナリティが無かったのか、現在も検討が重ねられています。

内容に関しては膨大な量ですので、是非ご自分の目でお確かめ下さい。
まずは、ちくま学芸文庫より古層である相応部を中心に収録された『阿含経典 増谷文雄訳』全3巻が読みやすいかと思います。

2018年12月9日 21:13
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有り難し
おきもち

臨済宗寺院の住職です。皆様の良き御縁となる事が出来れば幸いです。

一切の経に勝る経は如是経

あらゆる経巻は釈尊の悟りから生まれたもの。
文字を追うと今日の内容はだしがらを舐めるようなものになるという面もあると思います。
今日の中身になれば自己の宝蔵から無限の経が湧きます。
要は坐禅なり仏行して自己意識を忘ずるところあらゆるお経が自己にそなわっとったじゃないかという事が明らかになり大量のお経を置く場所に困らなくなりましょう。
文字の経より、自身の経。現前の経。
如是経とは今この身が触れているあらゆる出来事全てです。悟らぬうちは人はこれらに見解を添えてみる。だから経本を読んでも見解越しに読むから般若心経一つにしても真意を読めない。
修行して見解の炎を消し尽くせば自己と法と等しくなる。自身が経典経巻そのものになる。そのものになった人でなければ経巻はいくら有名な大学教授が訳したものを読んでもちっとも意味が分からないし、無味乾燥。ありがたみも何もない。それは訳者が文字の意味として訳しておられるからお経の中身になっていないのです。お釈迦さまの時代にはお経本はなかったのですから安心してお経本の中身になってみてください。
その工夫はそこに居ながら自己の想念の生滅を見つめいつ起こるとも消えるとも知らず、見解の離れた様子に元々あるという事を明らめることです。そうすれば無我も無常も空も文字以上に明らかになるのです。

2018年12月11日 19:19
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有り難し
おきもち

丹下覚元(たんげかくげん)
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転法輪と了義・未了義

来生様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

釈尊の転法輪は、三度行われたというものとなります。

その中で、般若経の教えは、第二法輪において主に説かれたものとなります。

あくまでも、「解深密経」によればとなりますが、

第一法輪は、初転法輪である四聖諦を始めとして、諸々の有り方について述べられたものとして、第二法輪は、諸々の有り方の空・無我・無自性であることについて、第三法輪は、有無の中道としての有り方の正しい捉え方について、それぞれ説かれたものとして説明されています。

また、仏典においては、大きく二つに分類しますと、釈尊が、真実義について述べられておられるものと、真実義へと向けた方便として述べられているものとになります。

前者を、了義の教え、後者を未了義の教えと申します。

その分類は、細かくみていくと非常に難しいものではありますが、もし宜しければ、ツォンカパ大師の「善説心髄」について学ばれてみて下さい。

川口英俊 合掌

2018年12月10日 10:06
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有り難し
おきもち

川口 英俊
「僧侶は、悩む人に正しいくすりを調剤できる薬剤師であれ」 http:...

質問者からのお礼

大忍貫道 様 初期仏典のご紹介を有難うございます。

 理解の外になるかもわかりませんが、読んでみます。

大慈 様、川口 英俊 様 ご回答有難うございます。

 まだ全く知識がありませんので、しばらくご猶予願います。

 丹下覚元 様 ご回答有難うございます。

 今日阿含経典を入手しましたので、これから読み始めるところです。
 
 しばらくご猶予願います。

大忍貫道 様  阿含経典をご紹介下さいましてありがとうございます。

 阿含経典の最初の数ページを読みましたが、全然違和感がありません。

 唯「造られしもの」、「有」、「生成」の三つに分類して、私に説が「有」であると極め付けられたのでしょう?

 般若心経を読むと、「有」と「生成」が相互依存しています。

 色即是空が「生成」で、空即是色が「有」です。

 他のフォーラムでも散々論争しましたが、空即是色を認めないために、現世も空一色です。

 これが輪廻転生を否定する論拠になったのでしょう。

 「生成」の中での受想行識は般若経の中でも散見されます。

 もし論点がそこではないとしたらご指摘ください。

 因みに般若心経は、エネルギー保存の法則を明確に示した、極めて科学的な経文です。

大忍貫道 様 追記します。

 死後の迷界には、平和の神々、怒りの神々(仏像参照)などが現れますので、「造られしもの」も相互異存の一因になると思います。

 従ってこの三種は、排他的ではなく、シチュエーションによる相互依存の分類ではないでしょうか?

 別件ですが、日本仏教では「諸法実相は空」という定義がありますが、これにも阿含経典が関係しておりますか?

 空相も実相も空では「相」とはならず、「諸法空」と書かれるべきだと思います。

 やはり「諸法実相 生滅 垢浄 増減」と諸法空相の対であるべきだと思います。

 大慈 様 遅くなりました。

 御趣旨は私には難しくて勘弁してください。

 URLを拝見しましたが、般若心経がお坊様方で、多種な思考がなされていますね。

 過去にNHKで「100分で名著 般若心経」が放映されましたが、私はこれが日本仏教の統一見解と思っていました。

 その点の事情は如何でしょうか?
 

 丹下覚元 様 遅くなりました。

 それも一理ありますが、せめて真理については統一見解があってもよろしいのではありませんか?

川口 英俊 様 遅くなりました。

 真理と論理については真実義で、実践の部分は多岐にわたるので、方便かなと思っています。

 私には厳しい実践は無理なので、最も簡単な方便を利用しようと思っています。

 

「お経・経典」問答一覧

【プロフィール参照】お経をあげる意味について

最近、疑問に思っていることがあり各ご僧侶様のご意見を頂きたく質問させて頂きました。 まだ小学校低学年の頃から、30年以上前に亡くなった曾祖父に会いたがったり、誰に教わるでもなく仏像をねんどで作ったり絵に描き起こしたり何かと仏教とご縁のある身なのだなとありがたく思っております。 大学でも仏教学部に在籍していたこともあり学問的な仏教にも大変興味があります。 この1か月間で無量寿経、薬師経、阿弥陀経、般若心経等、10以上の真言、経典を読んでいました。 釈尊の言葉をまとめたものがお経なのであれば、なぜ葬式や法事であげるか少し理解できずにおります。教えを書き起こしたもの(学校でたとえるならば教科書でしょうか)を故人にあげる意味とはどういうことなのでしょうか? ある本には六道の中で人間界でしか仏教を聞く事ができないと書いてありました。 人の思う天国も六道では天界というところだそうですが、苦しみもあるとのことでした。 葬式や法事等であげるお経は人間界でしか学べぬ仏教を、故人にもその教えをお経として聞かせ参列している人もまた教えを一緒に聞く、という意味合いなのかなと解釈しております。。 菩薩や天部のエピソードは多少脚色されたものもあるのかもしれないなと物語として楽しく学んでおります。 また各浄土にいらっしゃる仏様それぞれが得意とする分野をお持ちですが(薬師如来なら無病息災や病気治癒など)、病気になった時はお薬師様、強い心を持ちたい時はお不動様などそれぞれの仏様に拝んでもよいのでしょうか? 全ての仏様のお師匠様が阿弥陀様ということを本で見かけましたので基本的に元をたどれば一つであると考えればどの仏様にお祈りをしてもよいのかなと、、 仏様のご利益は願って叶うものではなく、願ったのち自身が前を向き努力した時にそっと後押しをしてくれる存在と最近は思います。 ご僧侶様のご回答ご意見を、宗派関係なくお聞かせください。 ※曾祖父時代は浄土真宗、現在は真言宗ですが私自身はどの宗派も元をたどればおおかた同じと思っておりますので気に入った仏様や宗派を勉強しているようなかたちです。

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