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いつ自分が死ぬか不安

回答数回答 3
有り難し有り難し 48

最近、身内の死や友人の死に遭遇して、毎日死への恐怖に怯えています。また、家族がなくなったらどうしようや、考えすぎの毎日を送っています。
前向きになれるよう、アドバイスをお願いします。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

私も不安です。

その不安は誰もが抱いていますが
今はまだ我が事じゃないと
考えないように見ないようにしています。

そして
身近な方と死別すると
その想いが途端に膨れ上がり
我が事となって怖くなります。

でも今回は
そういうご縁を頂いたんだと開き直り
思い切って終活するのも案かもしれません。

私も自分の死は怖いですが
毎年遺言を書くなど終活をすることで
我が死を受け入れざるを得ないと開き直れました。

いつ来るか分からない我が死を
一度しっかり考えることは
逆に怖くなくなるもんですよ。

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有り難し
おきもち

 浄土真宗(大谷派)/広島県広島市/17世住職。  1967年京都市生まれ。山形大学理学部卒業後、証券会社で勤務。30歳で脱サラし、親戚筋の超覚寺に入寺、45歳で住職継職。  遺族の分かち合いやお悩み相談などグリーフサポート活動を続け、お寺の掲示板による法語伝道にも尽力している。カープ坊主の会会員。
こちらに法事が入っていなければ、ご希望の日時に相談させていただきます。 想いを吐き出しても、あなたの環境は変わりませんが、あなたの気持ちは変わっていきます。 どうぞ安心してお話しください。

良いご修行をされていますね。

お世話になります。
1.最近、身内の死や友人の死に遭遇して、毎日死への恐怖に怯えています。
2.また、家族がなくなったらどうしようや、
 2.1.考えすぎの毎日を送っています。
3.前向きになれるよう、アドバイスをお願いします。

まず、質問の内容を精査しますと
1.身近な方の死に接して、恐怖・不安を抱くようになった。
2.ご自身だけでなく、親しい周りの方々の死に対しても恐怖を感じるようになった。
 2.1.ご自身はこのことを「考えすぎだ」と感じていらっしゃる。(内容が違うのでわけました。)
3.前向きになりたいと考えていらっしゃる。

と言うように私は受け取ったと言う前提で所感をお話させていただきます。

死に対しての恐怖・不安というのは、仏教の出発点であるように思います。
つまり、キティまま様は、「お釈迦様と同じ尊い不安」をお持ちになったんだと思います。ですので、その不安や恐怖は決して考え過ぎではないと私は思います。

どうぞ、その不安と恐怖を味わってみてはいかがでしょうか?
不安は消えないかもしれない、恐怖はなくなならないかもしれない。
でも、その不安のために何かをしなくてはと考えるようになるかもしれません。
同じ恐怖にある方に、優しくできるようになるかもしれません。

これが、3.の「前向きな」状態なのだろうと思います。

お釈迦様に関して言えば、四門出遊のお話をすることもできますが、ここでそれをしておりますと確実に字数制限に掛かりますので、機会がございましたら四門出遊でググってみてください。

今まで多くの方を送ってまいりましたが、仏様はいくつで亡くなったとしても、少なくとも1つ大事なことを教えてくださいます。それは「人が亡くなる。」ということだと私は考えています。

恐怖も不安もキティまま様の人生を描くにあたって、無くてはならない絵の具なんだと思います。先に逝かれた方から、これからを生きていく上で大事なことを考えるのに必要な「不安」と「恐怖」を頂いた。頂いた考える機会とそのご縁を大事に、悩みながら生活をされている、これは立派な修行だと思います。(そして、実はその生活をされている姿そのものが悟りなのでしょうけれど)

良い修行をされていますね。
修行だから辛くって当たり前。でも、修行だからもういいと思ったら止めたっていい。

どうぞ、ご自愛ください。

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有り難し
おきもち

長野県にある曹洞宗の寺院の住職です。 「苦しみ」は財産。がモットーです。 苦しいだけで終わらない、自分の苦しいを誰かに生かす事が出来たら、せっかくの苦しいも意味があるのかな、と思っています。 そのお手伝いができれば、こんなに嬉しい事はありません。

念仏いたしましょう

佛教では無常を説き、「祇園精舎の鐘の声諸行無常の響きあり」(『平家物語』)とは申しますが、いつ死んでもおかしくないとは説きます。平安時代のことですが、臨終行儀というものがありました。これは死にあたって坊さんが極楽往生を確実にするための儀式でありましたが、法然上人は「平生の念仏が臨終の念仏となる。」と説かれ、「生けらば念仏の功つもり、死なば浄土に参りなんとてもかくてもこの身にはおもいわずろうことぞなき。」と説かれました。念仏をお勧めいたします。

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有り難し
おきもち

個別相談可能
浄土宗僧侶です。 寺に生を受け、小学校5年で、得度(お坊さんになる儀式)、その後宗門大学(浄土宗の僧侶養成機関)である大正大学佛教学部で学び加行(住職修行)を得るための修行)を受け浄土宗教師(浄土宗の正式なお坊さんとしての、住職資格)を取った後、某寺に入寺、京都の大本山黒谷金戎光明寺内にある浄土宗教師修練道場(浄土宗教師が更に1年間研鑽を務める場)にて1年間修行研鑽、その後も研鑽を続け、教学(浄土宗を中心とした仏教の教え)・法式(お経のあげ方・儀礼)・詠唱(ご詠歌・和讃)・布教(教えの伝え方)・雅楽の研鑽を積んでいます。 がしかし、もともと小学校時代から精神疾患で、大学で精神科初診、20代は通院しながら、学業・修行・僧職を勤めていましたが、30代で仕事と結婚のストレスがさらにかかり、大きく心身の体調を崩して入院して以来、寺は休職しています。そして、今は寺を離れ草庵に暮らしています。 2003年に大きく体調を崩して、入院以来入退院を23回繰り返しています。40代過ぎから、徐々に精神的に安定し、50代手前の最近少しバイトが出来るようになりました。デイケア、障害者職業訓練、B型就労支援事業所とステップアップし、単発派遣から初めて、バイトで、2社に勤めて、体調悪化で入院してこの2社をやめて、今は3社目のアルバイトをしています。その中で得られた人間的成長の気づきもフィードバックしていきたいと思います。 精神障害2級の統合失調症・双極性障害・不眠症持ちです。 こんな私ですが、どうぞよろしくお願いいたします。 連絡先は、blister55.takahiro@gmail.com
対応できる時間は昼間です。音声のみにてお願いいたします。体調などにより対応できない場合もあります。専門分野は精神疾患・恋愛・人生・仕事・浄土教などです。よろしくお願いします。

質問者からのお礼

ありがとうございます。気持ちが楽になりました。

ありがとうございました。

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