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死んではいけない理論

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うつ病を発症して10年になる妻が、このごろ特に「死にたい。」と言っています。

私は「一緒にいてほしい。今は、まだ何もできなくても、ただいるだけでいいんだよ」と繰り返し声をかけていますが、なかなか心に届かないのが現状です。

先日、いつものように「死にたい」という言葉に続けて「何故死んではいけないのか、理論的に説明して。」と言われました。

本気でその理論を求めていないのかもしれません。ただ私と話がしたかった流れで出た言葉なのかもしれませんが、私はこの言葉に返す言葉がなく、ただただ黙ってしまいました。

私には、妻とも仲が良かった妹がいて、15年ほど前に自死しています。「その妹と自分と何が違うのか。なぜ自分だけは死んではいけないのか」とも悩んでいるようなのです。

私は「妹は妹、あなたはあなただよ」と繰り返し伝えていますが、こちらも心には届いていない様子です。

妻が納得いく答えなどないかもしれませんが、私の納得がいく答えがあれば、今後の声掛けに役立てることができると思います。

僧侶のみなさま、よろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

売り言葉に買い言葉

まずは、心中お察し申し上げます。

”何故死んではいけないのか、理論的に説明して”
状況からして、あなたのお察しのとおり、奥様は本当にそんな理論を求めているとは考えにくいかなぁ。。。仮に我々僧分が出向いていってあれこれ理屈を並べたとしても、決して響かないと思います。このセリフは、売り言葉に買い言葉で咄嗟に出た屁理屈なんだと思います。

きっと奥様が欲しているものは、高度な理論や理屈ではなく、あなたの純粋な心配、気配り、いわゆる愛情なのではないでしょうか?「お前に死んでほしくない」という言葉?態度?配慮?そもそも、うつ病患者が抱く希死念慮というものは、理論や理屈で論破し説得できるものではないと思います。

とにかく一生懸命に心配してあげましょう。

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個別相談可能
【公認心理師】 【レンタルお坊さん】活動中。 とりあえず何でも相談してください。 でも、悪い事とやりたくないことはやりません。 https://www.facebook.com/rental.monk rental_monk hasunoha.tenrakuin@gmail.com
平日は夜間のみ対応可能。

自分のやっていることの本質を知らせる

これは坊さんの仕事でもありましょうが、埼玉から宮城は遠いので。
人間は自分のやっていることの本質を知らないもんです。
死にたい死にたいという人は、死にたくなる気持ちになるまで、心の中である種の動きを繰り返しているはずです。
自分をDISる。
自分を悪く言う。
自分を自分でいじめる。
自分で自分のどうしようもないことを変えようとする。
自分で自分の思いの働きを脚色しようとする。
「自分が自分が」が強い。
マイワールド・マイストーリーを絶対視している。
そういうことをやっているという事の自覚を持ってもらうことで、自分が本当に進むべき方向をみいだせるでしょう。
ですが、これは言うべき人が言わないと反発される場合もありましょう。
お大事に。

あなたはあなたで奥様とはつかず離れずとも、心をある程度距離感を保っておられませんと、あなた自身も共倒れになります。
死にたい気持ちはあなたの方にも時にはあるんじゃなかろうと思います。

自己がやっていることの内容が明らかになることで人は救われていくのです。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

あなたの命そのものは、あなただけのものではない。

こんばんは。亀山純史と申します。

死なない人はいないのに、なぜ人は自ら死んではいけないのか。この問いに対する答えは、自分の命は自分だけのものと考えていては出てこないかもしれません。あなたが死ねば、あなたの周りの多くの人に影響を及ぼします。「1人の自死は、少なくとも周囲の5~10人に深刻な影響を及ぼすとされる。家族や親類、親しい友人、職場の同僚。信じられず、受け止められず、悲しみをどう言葉にしていいのか分からない。」と、私が住む地元の新聞社は先月の社説において報じていました。このハスノハへのご相談において、自死に限らず、身近な人の死に対するものが多く寄せられていることからも、自分の死は自分の中だけで完結されるものではない、ということです。ということは、「あなたの命そのものは、あなただけのものではない。」ということでしょう。

以上が私からの回答になります。ご参考になさっていただければと思います。

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hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧侶です。令和6年3月に、公立高校の教員を勧奨退職しました。その後、縁あって、令和6年4月からは「まちサポ雫石」というNPO法人のお手伝い、また、令和6年10月からは公立高校の非常勤講師をしています。 浄土真宗における僧侶は、仏さまの教えに生き、その教えを伝える者であり、人を悩みから救う能力を有した者ではありません。人の悩みを救う救いの主は阿弥陀さまです。ですので、hasunohaにおける私の回答では、仏さまの教えに救われているこの私の生き方、考え方を、皆様にお見せするだけです。そして私自身、お答えできるご相談の範囲はそう広くはありませんが、皆様のお役に少しでも立てればと思い、回答させて頂いております。

あなたの気持ちが他人のわたしには分かるはずも無いのですが、やはり理論ではなく素直な気持ちを伝えるしかないと思います。そもそも結婚とか愛とかって理論や理屈じゃないですからね。
うつになった原因がわからないのですが、もし育児が原因なら例えば、
「〇〇さんが死にたいと思うようになったのは、僕が仕事ばかりやって家事も育児も全部〇〇さんに押し付けたことが原因じゃないかと思う。〇〇さんは何も悪くない、悪いのは僕の方なんだ。だから〇〇さんが死にたいと思うことが無くなるように、昔の〇〇さんに少しでも戻ってもらえるように、これからも側で支えたいんだ。」
妹さんについては例えば、
「妹だって死んだらいけなかったんだ。助けたかったよ。でも助けられなかった。あの時の僕は病のこともよく知らなくて、まさか死ぬことはないだろうなんて思ってた。僕が側にずっといてあげたらよかった。もう同じ過ちをしたくないんだ。」
これはあくまで私が勝手に想像した状況の言葉なので、あくまでもあなたのリアルの素直な気持ちを伝えましょう。
言葉だけではなく、あなたの声や表情や仕草、温もり、結婚式の写真、元気だった頃の思い出など、いろんな形で伝えられたらいいかな。
もちろん継続的に。
家を出るお子さんにも時々電話してきてもらいましょうね。

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私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答していますが、無知未熟ゆえに質問を読ませていただくことしかできないことも多々ありますがお許しください。 回答は私個人の意見や解釈もあり、場合によっては浄土宗の教義とは少し異なることもあるということをご了承ください。 また、寺の紹介ページに電話相談についても紹介していますのでどなたでも気兼ねなくご利用ください。 ハスノハのお坊さんがもっと増えますように。 合掌 南無阿弥陀仏

質問者からのお礼

みなさま、ご回答ありがとうございます。
第3者からの見解を拝聴できてとても助かりました。
理論としては、「人は繋がっているので自分だけのものではない」というところが
一番になるのですね。
感情は繰り返し伝えていこうと思います。

子どもは、4月に家を出ていて、ほぼ毎日妻とは話をしています。
私が仕事中で、電話に出られないときなどは、子どもに電話して愚痴っているようです。
その分、「いい加減にして!」と電話を切られることもあるそうです。

覚元様のおっしゃる通り、確かに妻は「自分、自分が」の傾向を強く持っています。
それによって子どもも「めんどくさい」と多々、思っている様子はあります。
私に愚痴るので。
とりあえず、私は子どもの愚痴を時々聞いてあげることにしています。
正直、私も死にたくなる時があります。
私も「躁うつ病」と診断されて9年目です。妻と同じ病院に通っています。
何とか、子どもが元気でいて売れるので、薬と一緒にゆったりしていこうと考えています。

聖章様も連続でご回答いただき、本当にありがとうございます。
継続して気持ちを伝えていこうと思います。

ご回答いただいた皆様、本当にありがとうございました。

なお、本日、私が仕事中に妻は死にたい気持ちを抑えきれず、
お酒とともに精神科の薬をたくさん飲んだようです。
命に別状はないようで、ぐっすり眠っています。
起きた時にすっきりしていてくれればよいのですが。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ