BUTSUGO et FUTSUGO ぶつごとふつご
Différence entre BUTSUGO et FUTSUGO
仏語(ぶつご)と仏語(ふつご)の違い
BUTSUGO→L'enseignement du Bouddha
仏語→仏様の教え
FUTSUGO→français
仏語→フランス語
Les kanji sont les mêmes, mais le sens est différent
漢字は同じだけど意味は違う
Comment les Français pensent-ils cela?
フランス人はこのことをどう思うのだろう?
Je me sens comme un auspicieux d'un japonais
日本人からしたら縁起が良い気がする
Je suis heureux si je suis ...
私なら嬉しく思うけれど…
Pensez-vous que les Français sont reconnaissants pour ce fait?
この事実をフランス人もありがたいと思うのだろうか?
J'aimerais pouvoir être heureux comme moi…
私と同じように嬉しく感じてもらえたらいいなぁ…
J'y pense à minuit
そんなことを真夜中に考えている
Mon modeste bonheur
私のこのささやかな幸せ
Qu'en pense le moine?
お坊さまはどう思われますか?
・仕事は資格より素質 ・鬱になろうが5才児ぐらい好奇心旺盛 ・順風満帆な人生より七転び八起きぐらいの人生がちょうどいい
職場で久しぶりに再会した人に「やっぱり~!」と言われることが苦痛
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「仏」は当て字ですが…
仏のお薬
むかしむかし、ある所におじいさんとおばあさんにそっくりな犬がいました。
それは、私が鶴見の街中で托鉢をしていた時のことでした。
その犬はどうでもいいとして(どうでもいいかい)、曹洞宗大本山総持寺では1月の5日から2月の2日まで寒い中、わらじ姿でタクハツをします。
タクハツ(托鉢)とは街中を列をなしてお布施をお願いしてまわるです。
お布施をして頂く方は「私のものを持たない」行として、喜捨します。
人間、手に入れた者を「自分のものだ」と自分のものにしようとする心は、時に強いエゴと結びついて手放せなくなる。世の中の困っている人に分配してあげる位がいいのです。
先日も坐禅会で頂いたお酒一升瓶も生卵もお茶も、すぐに人にあげちゃいました。うまそーなお酒でしたが。玉子上げた人あげた直後に落として割ってましたが。
まぁ、それでも自分のという意識が無ければ損得得失がありませんので心は軽やかです。
それも仏の心ですな。
托鉢をする側は、お金やお布施をもらうためにやるのでもありません。
ズダ行といいまして、ただやるのです。
曹洞宗では只管打坐と申しましてな。何かの為とかではなく、無為。無作。ただただやるのです。理屈が離れると人は心が軽いのです。
それも仏のこころですな。
托鉢をし通りましたら鶴見の駅前商店街に「仏の薬局」という看板がありました。
仏の薬局。
文字だけ見てみましょう。
仏の薬をくれるお店でしょうか。それともおフランスの薬局でしょうか。
時代劇においては仏の丹兵衛というと仏様のような優しい方のこと。
(# ゚Д゚)「てぇへんだ、ホトケが出た!」というと水死体や亡くなった人が出たという事。
OH,日本語ムズカシー。
Oh, le japonais est très difficile.
さて「仏の薬局」とは何か。
よくみたら「イムノ薬局(いむのやっきょく)」でした。
つけるくすりがありません。
顛倒夢想に効き目のあるのは仏のお薬、法薬です。
ちなみに「イムノ介護」もあるそうですわい。
ホトケに近い人がお世話になりにいくそうです。
私もお世話になろうかしら。以上現場から凡下でした。
Tu devrais aller en ophtalmologie maintenant(グーグル訳より)
文字をみて他念生ぜずそのままに 読みとる心も仏なりけり
質問者からのお礼
和田隆恩様、お返事ありがとうございます。
当て字が理解出来なかった頃は、「なんでアメリカがコメやねん!」とよく思ったものです。
ふと「あなたの母国語には仏様の仏がつくんだよ!」 とフランス人が聞いたら、嬉しく思うかなぁ?それとも、なんでやねん!と思うかなぁ?と思って質問しました。
もし、フランスの人々が「縁起いいなぁ!」とか「仏という文字をつけてくれて有り難し」とか思ってくれたら、すごく幸せ!
この世に無意味なことなどない、いろんなものが繋がっている、何かしらの縁がある、のだとしたら、「仏」とつけられるフランス人は、とってもラッキーだなぁと思いました。
私風に考えるなら、「日仏首脳会談」とかも「日本人と仏様の首脳会談」となる訳で…文字だけ見たら、ややこしいですね!
丹下覚元様、お返事ありがとうございます。
うーん…もしかして、丹下覚元様は「心のお医者さん」の方でしたでしょうか?
ウルオボエで、すみません。
「文字をみて他念生ぜずそのままに 読みとる心も仏なりけり」
そのままに、そのままに。
仏様の教えをお話しして伝えるのは、仏話じゃなく法話ですし、薬にしても、仏薬も法薬ですし…
考え出したらキリがないですね。
そのままに、そのままに。
日本語ってやっぱり難しいです。
私は日本人ですが、まだまだ日本語を理解できていません。
でも、その奥深さ、たまりません。