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BUTSUGO et FUTSUGO ぶつごとふつご

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有り難し有り難し 27

Différence entre BUTSUGO et FUTSUGO
仏語(ぶつご)と仏語(ふつご)の違い

BUTSUGO→L'enseignement du Bouddha
仏語→仏様の教え

FUTSUGO→français
仏語→フランス語

Les kanji sont les mêmes, mais le sens est différent
漢字は同じだけど意味は違う

Comment les Français pensent-ils cela?
フランス人はこのことをどう思うのだろう?

Je me sens comme un auspicieux d'un japonais
日本人からしたら縁起が良い気がする

Je suis heureux si je suis ...
私なら嬉しく思うけれど…

Pensez-vous que les Français sont reconnaissants pour ce fait?
この事実をフランス人もありがたいと思うのだろうか?

J'aimerais pouvoir être heureux comme moi…
私と同じように嬉しく感じてもらえたらいいなぁ…

J'y pense à minuit
そんなことを真夜中に考えている

Mon modeste bonheur
私のこのささやかな幸せ

Qu'en pense le moine?
お坊さまはどう思われますか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「仏」は当て字ですが…

たまたま「仏蘭西」と
その字が選ばれたのでしょうが
意味を知ったらフランス人も喜ぶでしょうね。

そういう偶然も
何か必然性が感じられたら
嬉しいですよね。

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有り難し
おきもち

 浄土真宗(大谷派)/広島県広島市/17世住職。  1967年京都市生まれ。山形大学理学部卒業後、証券会社で勤務。30歳で脱サラし、親戚筋の超覚寺に入寺、45歳で住職継職。  遺族の分かち合いやお悩み相談などグリーフサポート活動を続け、お寺の掲示板による法語伝道にも尽力している。カープ坊主の会会員。
こちらに法事が入っていなければ、ご希望の日時に相談させていただきます。 想いを吐き出しても、あなたの環境は変わりませんが、あなたの気持ちは変わっていきます。 どうぞ安心してお話しください。

仏のお薬

むかしむかし、ある所におじいさんとおばあさんにそっくりな犬がいました。
それは、私が鶴見の街中で托鉢をしていた時のことでした。
その犬はどうでもいいとして(どうでもいいかい)、曹洞宗大本山総持寺では1月の5日から2月の2日まで寒い中、わらじ姿でタクハツをします。
タクハツ(托鉢)とは街中を列をなしてお布施をお願いしてまわるです。
お布施をして頂く方は「私のものを持たない」行として、喜捨します。
人間、手に入れた者を「自分のものだ」と自分のものにしようとする心は、時に強いエゴと結びついて手放せなくなる。世の中の困っている人に分配してあげる位がいいのです。
先日も坐禅会で頂いたお酒一升瓶も生卵もお茶も、すぐに人にあげちゃいました。うまそーなお酒でしたが。玉子上げた人あげた直後に落として割ってましたが。
まぁ、それでも自分のという意識が無ければ損得得失がありませんので心は軽やかです。
それも仏の心ですな。
托鉢をする側は、お金やお布施をもらうためにやるのでもありません。
ズダ行といいまして、ただやるのです。
曹洞宗では只管打坐と申しましてな。何かの為とかではなく、無為。無作。ただただやるのです。理屈が離れると人は心が軽いのです。
それも仏のこころですな。
托鉢をし通りましたら鶴見の駅前商店街に「仏の薬局」という看板がありました。
仏の薬局。
文字だけ見てみましょう。
仏の薬をくれるお店でしょうか。それともおフランスの薬局でしょうか。
時代劇においては仏の丹兵衛というと仏様のような優しい方のこと。
(# ゚Д゚)「てぇへんだ、ホトケが出た!」というと水死体や亡くなった人が出たという事。
OH,日本語ムズカシー。
Oh, le japonais est très difficile.
さて「仏の薬局」とは何か。
よくみたら「イムノ薬局(いむのやっきょく)」でした。
つけるくすりがありません。
顛倒夢想に効き目のあるのは仏のお薬、法薬です。
ちなみに「イムノ介護」もあるそうですわい。
ホトケに近い人がお世話になりにいくそうです。
私もお世話になろうかしら。以上現場から凡下でした。
Tu devrais aller en ophtalmologie maintenant(グーグル訳より)
文字をみて他念生ぜずそのままに 読みとる心も仏なりけり

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

和田隆恩様、お返事ありがとうございます。

当て字が理解出来なかった頃は、「なんでアメリカがコメやねん!」とよく思ったものです。

ふと「あなたの母国語には仏様の仏がつくんだよ!」 とフランス人が聞いたら、嬉しく思うかなぁ?それとも、なんでやねん!と思うかなぁ?と思って質問しました。

もし、フランスの人々が「縁起いいなぁ!」とか「仏という文字をつけてくれて有り難し」とか思ってくれたら、すごく幸せ!

この世に無意味なことなどない、いろんなものが繋がっている、何かしらの縁がある、のだとしたら、「仏」とつけられるフランス人は、とってもラッキーだなぁと思いました。

私風に考えるなら、「日仏首脳会談」とかも「日本人と仏様の首脳会談」となる訳で…文字だけ見たら、ややこしいですね!

丹下覚元様、お返事ありがとうございます。

うーん…もしかして、丹下覚元様は「心のお医者さん」の方でしたでしょうか?

ウルオボエで、すみません。

「文字をみて他念生ぜずそのままに 読みとる心も仏なりけり」

そのままに、そのままに。

仏様の教えをお話しして伝えるのは、仏話じゃなく法話ですし、薬にしても、仏薬も法薬ですし…

考え出したらキリがないですね。

そのままに、そのままに。

日本語ってやっぱり難しいです。

私は日本人ですが、まだまだ日本語を理解できていません。

でも、その奥深さ、たまりません。

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