死への恐怖
私はいつからかは覚えてませんが死への恐怖があります。この記憶が無くなるのが怖いんです。友達に相談したら「幸せだからじゃない?」と言われました。けど違うんです。この記憶が無くなって"無"になった時が怖いんです。
寝る前によくそう思って、考え出すと止まらなくなって泣いてしまったり自傷行為をしてしまう時があります。
誰にも理解してもらえないから相談もできない。なんで皆がそんな平然と生きていられるかわからないです。
でも、死にたいなと思う時はあります。矛盾してますよね。この先の生き方が分からなくて死にたい...でも記憶をなくすのが怖い。この繰り返しで最近なかなか寝付けなくなってしまいました。
悩んでも悩んでも結局は泣く、自傷行為をする。こんな人生嫌なんです。
治すためにはどうしたらいいですか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
どうすれば、精一杯生きられるかを考えてみましょう。
質問読ませていただきました。
死というのは得体が知れず、多くの方が怖れるモノです。
人間の大きな4つの苦しみとして「生老病死」が挙げられますが、それだけたくさんの方が死について悩まれてきたのです。
ただし、若ければ若いほど、そして健康であればあるほど「死」について考える方は少ないのです。質問者さんのような若さで「死」をリアルに怖がるのは、未来をリアルに考える力が強いのかもしれませんね。
さて、死んだあとは次の命を受けます。その後どんな命を受けるのか?それはどうやって生きて、どのような臨終を迎えるかで決まります。
そして、多くの境涯では、自分が生まれたときに過去世の記憶は無くなります。
そう考えると、そうやって質問者さんは何度も生をうけてこられたのです。何も今回の命に限ったことではないんですよ。
過去世の記憶を無くしても、次の命を精一杯生きる。その連続で今現在の命を受けていることを知って下さい。
本当に「死」が怖くて、それを乗り越えたいと言うのであれば、仏教を学んでみて下さい。
仏教というのは、自分を見つめ、世の中の在り方を見つめ、そして苦しみの境涯から抜け出すことを教えるものです。質問者さんの恐怖の答えを、必ずや出してくれるでしょう。
しかし、「この先の生き方が分からなくて死にたい...でも記憶をなくすのが怖い。」という言葉を伺うに、質問者さんが本当に解決しなくてはならない問題は、「どうやって生きるか?」ではないですか。
むしろ「死」への恐怖が、質問者さんをこの世に留めているのでしょう。
今のような「死にたい、だけど死ねない」という苦しみをこれからも繰り返すのですか。
たとえそんな心持ちで臨終を迎えたとしても、来世は苦しみの境涯に生まれ変わるでしょう。今よりももっともっと苦しい生を受けるかもしれないのです。
そうならないためにも、まずは「どうすれば自分が精一杯生きることができるのか」をしっかり考えるようにしてみて下さい。
それが必ずや生きる気力となり、そうやって精一杯生きる中で「死」というものについてより深く知る機会もあるでしょう。
何か少しでも参考にしてみて下さいね。
神通力で前世の記憶を思いだせる
死んで輪廻転生して、過去世の記憶を忘れていても、過去の記憶データは残っているのです。
修行により神通力を得たら、過去世の記憶を思い出す能力を得られる場合もあります。
たとえば、来世で西方極楽浄土に生まれることができれば、西方極楽浄土の住人は皆、神通力で全ての過去の記憶を思い出せるのだそうです。
では、来世で西方極楽浄土に往生するにはどうしたらよいか。
それは簡単です。
極楽浄土を造った仏様である阿弥陀仏の名前を口に称(とな)えて、極楽に往生したいと願うだけでよいのです。
「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と念仏を称(とな)えて、往生極楽を願いましょう。
南無とはインドの言葉で、尊敬しますとか、全てを委ねお任せしますというような意味です。
阿弥陀仏にあなた自身の未来をお任せすれば、大丈夫です。
阿弥陀仏の救いの光明は、宇宙の隅々に届きます。
あなたが阿弥陀仏の名前を口に出すとき、阿弥陀仏はあなたの声を聞いてくださいます。。
あなたが阿弥陀仏を拝むとき、阿弥陀仏はあなたを見ていてくださいます。
あなたが阿弥陀仏を想うとき、阿弥陀仏もあなたを想ってくださいます。
だから、南無阿弥陀仏の念仏で、仏様と親しくなれるのです。