子供は何のために育てるのだろうか
私には結婚したい人がいて、結婚するとなると実家から離れて東京に行かなくてはなりません。
それを母に言うと、「私を捨てていくのか」「そんな薄情に育てたつもりはない」そして挙げ句の果てに「何のために育てたかわからない」と言われました。
母というものはただ子供の幸せを願い育てるもので、見返りを求めるものではないと私は思っていました。
子供の頃から、母の愛は私へ向けているようで実は母自身へのものではないかと、薄々思ってはいました。
今回はっきり母の口からその言葉を聞き、寂しいような虚しいような。
恩返しをしたい気持ちはあります。でもいつまでも鎖でつながれていいわけではないと思います。
この私の考えは間違っていますか?世の中の母親は子供にいつまでも側にいてほしいと願うものでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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人間はいつも一人
こんばんは。ご結婚されたい方がいらっしゃること、まずお喜び申し上げます。あなたがおっしゃる通り、親は子の幸せを祈るのが本来の姿です。
しかし、今まで共に暮らしてきたお母さまからすると、嬉しさより寂しさが勝ってしまうのかもしれません。そこはたぶんお母さまご自身わかっていらして、でも今の気持ちとしては、ただただ寂しいのです。
今、お母さまに理詰めで話しても耳には入りません。
お母さまへの気持ちは変わらないし、これからも連絡は取るから、ということはお伝えして、あなたはあなたの人生をスタートさせて下さい。お誕生という深い縁のある大事なお母さまですが、お母さまのご結婚の時は、おばあ様が寂しくなられたはずです。
人間はいつも最後は一人で旅立ちます。人生の節目の決断も同じです。
お母さまには、まだこれからも大切にします、という気持ちを伝えて、あなたもしっかり生きていきましょう。
お互いのためにもそれは大切なことですよ。
仏様の慈悲は
母親の愛情に例えられる事が多いです。
それは人間が理解できないほどの深い慈悲に
母親の愛情が一番近いからだと思います。
お母様も貴方が離れるかもしれないと思って、不安になられたのでしょう、引き留めるために思いと違う言葉を発したのかも知れませんね。
何のために自分を育てたのか、一度腹を割って話してみたら如何でしょうか?
その際、貴方の思う母親の愛情論も伝えてみて、それでもお母様がもし、自分の老後を看させる為だとか、それに類する物であるとおっしゃるようなら、子どもは親の所有物では無いのですから、ご自分の好きにされても罰は当たらないと思います。
もし、貴方の理想とするような思いが聞けたら、将来的に東京の方に呼んで同居するなり、お相手も含めた皆が納得出来るような解決策を考えてみたら如何でしょうか?