結婚は修行だと言いますが本当ですか?
結婚は修行と斉藤一人さんがおっしゃっていますがどう思われますか?
結婚しているお坊さんの意見を聞きたいです。
自我を捨てるのが恒久的な幸せを手に入れる方法だと信じている男です。 自我を捨てたいです。
女に対する執着。自分を良くしたい・良く見てもらいたいと思っている願望・自己顕示欲。 性欲など。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
そういう部分も多分にあると思います
夫にしろ、妻にしろ、それぞれ育った家庭環境が異なり、生活のペースも異なります。そういう二人が同居したら、いろいろな軋轢や齟齬が生じます。
相手のことを一生懸命に理解し尊重する気持ちが必要ですし、自分にとっての「当たり前」自分にとっての「常識」を見直すことも必要です。
よくある例えに「正月のお雑煮の餅」があります。お雑煮に入れるお餅が切り餅か、丸餅か?地域によって異なります。切り餅文化の地域に嫁いできたお嫁さんが「正月のお雑煮は丸餅です。」とやったら、まずいですね。やはり「郷に入っては郷に従え。」の気持ちが必要です。でもね、同時に「あなたが育ってきた地域では丸餅なんだ。具材や出汁も違うんだ。毎回という訳にはいかないけれど、三が日のうちの1回はそちらの流儀でお雑煮を食べてみましょう。」という心遣いがあった方が良いでしょうね。
お雑煮ならお正月だけのこと済みますが、お風呂の使い方、洗濯の仕方、掃除の仕方、料理方法などなど毎日の生活で「文化の違い」「生活習慣の違い」で衝突する危険があります。更に、たまにデートする時には見えなかった性格の相違が同居することで見えてくることも多いと思います。
昔はお嫁さんの方だけが一方的に忍従を強いられたことも多かったと思います。今の時代、そんなことしたら、即離婚でしょう。
1、お互いの生活文化や慣習を尊重する。
2、自分の経験や生活文化を絶対視しない。
3、相手のことを思い、自分の「我」を出さないように注意し、双方の妥協点にソフトランデイング出来るよう、努める。
「1~3ぐらいのこと、言われなくてもわかっている。」と思う方も多いと思います。しかし、「わかっている」と思っている人の大部分は「わかっているつもり」です。現実には、きちんと実行できていない場合が多いんです。それ故、夫婦喧嘩や家庭不和は頻繁に生じています。自分の「我」を一方的に出すのが良くないことぐらいわかっていますよね。わかっているけど。出てしまうことも多いんです。
じゃあ、どうするのか?日々、神仏に祈り誓うことです。朝晩、お仏壇をお参りし、手を合わせ、仏様や御先祖様に誓うことです。こうい修行を続けてみましょう。
以前、こんな伝道標語を読んだことがあります。
「朝の合掌に、今日を生き抜く誓いを。夕べの合掌に今日一日の反省を。」
実践してみてください。
それでも妻を愛せますか?
自我さん、はじめまして。質問を拝読しました。
自我さんは斎藤一人氏が「結婚は修行である」と聞いて、結婚しても修行が続くのかと戸惑っておられるのでしょうか。
結婚生活は楽しいことばかりではありません。互いに行き詰まってしまうこともあります。相手を信頼できないと思うこともあります。
それでもなお妻を愛せますか?と斎藤一人氏は言いたいのです。苦しいときも無償の愛で妻と人生を歩むことは修行なのです。
質問者からのお礼
ありがとうございます。大変勉強になりました。