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ストレスを取り除く声かけ、行動とは?

回答数回答 2
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父が63歳で亡くなりました。
再発した脳出血が原因でした。

1度目の脳出血は私が中学3年の時。
思春期真っ只中で、親がいなくなる恐怖を味わいました。
その恐怖は私の心に大きな影響を与えました。

当時の父は血圧正常、喫煙飲酒も並で、医師からはハッキリした脳出血の原因はわからないと言われたものの、その時の父は仕事のストレスが大きく、ストレスからではと言われたそうです。

私が社会人になって3年目、父2度目の脳出血。
出血した部位が悪く、入院生活1年半で、父は亡くなりました。

父にとっては苦しい1年半…でも、私たちにとっては貴重な1年半でした。
父がいなくなる心の準備ができた1年半。
最後まで家族の為に頑張ってくれた父でした。

現在、私は結婚し、生後半年の娘がいます。
中学から身内の死を身近に感じたからか、いつも旦那が先に亡くなったらどうしよう、1人になったらどうしようという不安があります。
特に最近、旦那は仕事が大変でストレスを溜め込み、暴飲暴食が目立ちます。
仕事の話はしたくない旦那なので、あえて私からは聞きません。
暴飲暴食も心配ですが、それが旦那のストレス発散だと思うと止めることもできず、「体を大事にしてね」と一言言うだけしかできません。
しかし、私の心の中では、この暴飲暴食が原因で病気になったら、止めなかった私の責任だと葛藤しています。
「仕事しんどかったら辞めてええんよ、自分の体を第一にね」と言うものの、その言葉が彼の心の負担を和らげられているのかどうか…。

親の死を見送るのは子どもとして当然、でも旦那の死は受け入れられない!
だから私よりも長生きして欲しい!

ストレスで病気になった父。
旦那もストレスで病気にならぬよう、少しでもストレスをとってあげられるような声かけ、行動などあればアドバイス下さい。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

帰家穏座。家でくつろげるようにしてあげましょう。

 確かに、ストレスは怖いですね。 仕事をしている限り、ストレスを根本的に解消するのは難しいかもしれません。

o  禅の語録の中に「帰家穏坐(きけおんざ)」という言葉があります。訓読すると「家に帰りて穏やかに坐す」と読めます。「長い旅を終えて、わが家に歸り安らかに坐する如く、久しい修行の末に悟りの境地を得て安穩であること」という意味です。悟りの境地とまで行かなくても、仕事から帰って穏やかに過ごせる家庭であるよう、努めてあげることが奥様のしてあげられることだと思います。


仕事の話はしたくない旦那なので、あえて私からは聞きません。

この辺の所をもう少し何とか出来たら、いくらかでもストレスを軽減してあげられるように思います。部外秘の話は奥様にでもしてはならないでしょう。でも、職場での不平不満愚痴を一人で反芻していては、却ってストレスは悪化するでしょう。

「妻に言っても、わからないから言うだけ無駄だ。(夫)」「仕事の話は聞いても、わからないから、聞かない。(妻)」
お互いにあきらめムードで会話から遠ざかってたら、「帰家穏坐」な家庭は永遠に作れません。仕事の不平不満を言うとしても、たまに専門用語を駆使する特殊な業務内容の場合もあるかもしれませんが、大部分は「自分と上司」「自分と同僚」「自分と後輩」「自分と取引先」という人間関係のことの筈です。夫婦がお互いに「言うだけ無駄。」「聞いてもわからない。」という壁を作っている場合も多いと思います。

 「自分の父親が脳出血で倒れたのは仕事のストレスが原因です。だからこそ、今のあなたの健康を心配してます。毎日仕事で頑張って下さっている事には感謝してます。だから、家では少しでもくつろいでもらいたい。仕事の不平不満や愚痴を吐き出してもらいたい。専門知識が無ければ分からないことも有るだろうけど、仕事のストレスの大部分は人間関係からくるもの。私に話したって無駄と云う事は、無い筈。悩みや苦しみを分かち合うのも、夫婦の役割でしょう。あなやに長く健康で生きてもらいたい。お互いに長く健康で生きて行きたい。だから、悩みや苦しみも共有して行きましょう。ストレスを完全に解消してあげられないかもしれないけど、いくらかでも軽くしてあげられる思うよ。」

繰返し、穏やかに真剣に、語りかけてあげて下さい。

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 目の前の方の悩みや気持ちをしっかりと受け留め、心を開いてもらうように努めております。決して容易いことでは有りませんが、一期一会の気持ちで相談に、葬儀法事に励みたいと思います。    最初法学部部にで学び、4年間ほど公務員をしていました。(税務署勤務)その当時の学びと経験を終活相談に活かしたいと思います。                                              昭和63年5月に住職となってから、30年が過ぎてしまいました。仏教学・禅学もそこそこ真面目に学んだつもりですが、宗教学・宗教民俗学に力を入れて学びました。そういう分野については丁寧な回答が出来るかも。
一人一人の気持ちに寄り添い、傾聴に徹して、心をほぐしてあげられるよう、努めたいと思います。 それと同時に、完璧に出来るとは限りませんが、其の人が歩むべき方向を一緒に考えてあげたり、次の一歩を踏み出せるよう背中をおしてあげられるよう、努めたいと思っております。

編集中

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今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

吉田さん、丹下さん、お忙しい中、お二人なりのアドバイスを下さり、ありがとうございました。

吉田さん。
確かに…仕事の愚痴を吐いてもらう努力を最近怠っていたなと思います。
新婚の頃は毎日のように「仕事どうやった?」と聞いていたのに、ある日旦那から「家でまで仕事の話は思い出したくないから話したくない。」と言われたのを機に、めっきり聞くのをやめてしまいました。
でも、たまには聞いてあげるのも大切ですよね。私の行動は0か100かのごとく極端だったなと気がつけました。
毎日聞くと、また注意される(笑)だから、たまーに、旦那の顔を見つつ、愚痴を吐かせる努力をしたいと思います。
ありがとうございました。

丹下さん。
正直、最初は読んでギョッとしました(⊙ロ⊙)
女性は、妊娠中、悪阻やら浮腫みやら腰痛やらに耐え、死ぬ思いで出産し、全身ボロボロ…。
ボロボロの体を回復する暇もないまま、赤ちゃんへの授乳が始まる。
授乳をするから、髪は抜け、肌はカサカサになり、歯もボロボロになる。
でも、出産も授乳も男性に代わってもらうことはできません。
そこに更に旦那と…というのは正直余裕はないです(笑)
でも、男性の気持ちはそうなんですね。
頭の片隅に置いておきます。
貴重なご意見ありがとうございました。
でも、丹下さん。もうちょっとだけ、私の思いに寄り添い、受容してもらいたかったです(笑)
アドバイスをいただいた身やのに、文句たれてすみません(´-д-`)

本当にお二人ともありがとうございました!

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