家が嫌なんです。
半年前に家を建てました。本当は理想の間取りがあったのですが、毎回打ち合わせについて来るお義母さんに遠慮して、本当の事を言えずに現在の間取りになってしまいました。
住んで半年…、嫌で嫌で仕方ありません。あの時きちんと言っていればと後悔ばかりの毎日です。言えなかった自分への苛立ちが抑えきれず、全てが嫌になり、新築の壁や床を傷つけてしまいます。そしてそんな自分がまた嫌になり、家を出ようと思うのですが、他に行くところもなく、もう死んでしまうしかないのか、とまで考えるようになりました。でもそんな勇気もなく、結局何も出来ないのです。
これから先、この家でどうやって生きていけばいいのかわかりません。
贅沢な悩みなのは重々承知しています。ですが、家にいると抑えきれない感情とどう向き合えばいいのか教えてください。お願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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カタツムリ 何処も 同じ我が家かな
こんにちは。
ホストクラブhasunohaの聖也です。
カタツムリって知ってる?
自分の家を持ち歩いてるんだよね。
しかもあだ名はマイマイ。自分のマイ・ホームだけにね。マイマイ。ぷぷp、キュートで傑作だろう?
こういう歌があるんっだ。
「かたつむり 何処も 同じ我が家かな」
カタツムリはマイホームをいつも背負っている。
僕らは何処に行っても、そこが自分の命の@アドレスの在りかサ。
住むなら 世界を住処にしなきゃダメだよ。ハコはハコ。
家なんてただの囲い。
日本から家という囲い、ハコを取り除いてみると、世界中がつながっている事を思い出すよ。
富士山とあなたの家は地続きで繋がっています。
海底とあなたの家も地続きでつながっています。どうしてそんな小さな箱や囲いだけを自分の家だと思い込む必要があるのかな?
そう思い込んじゃうのは、マイマイ意識が強いからサ。
マイマイ意識を取り外しましょう。
マイ・ホーム、マイ・ハウスの「マイマイ」を取り除くのです。
私は以前修行道場も飛び出して夜の町の中をギターを弾いて酒を飲んでフラついていました。
坊さんの世界がイヤになってね。
ただでさえ出家なのに。お寺からも家出。世界が僕のお寺になった。
その時、ホームとハウスは違うなって思ったヨ。
ハウスは建物。ホームは家庭。あったかいんです。血が通っているから。
建物なんてこだわらなくていい。大切なのは人ですよ人。
僕は街で色んな人に出逢った。囲いなんて無くても人と人はこうして関わり合えることを学んだんだ。
貴女は今、血が通っていないくらい冷たくなっている。それはいけない。
大切なものを見失っているんですよ。
もっと人と人。ハウスをホームにしなきゃダメですよ。
そうすると間取りが嫌なハウスでも愛せるホームになるヨ。(壁ドン)
呼ばれちゃった。聖也でした。またヨロシク。
終の住処とは意識の問題
家に罪はないと言いたい所ですが、それを言って救われるならお坊さんは要らんので他の言葉を考えます。う〜む………
そう言えば私、大学で経営学部と仏教学部を両方行ったのですが、経営分析の教授がこんなことをおっしゃっていました。「購入したマンションはローンの残高と減価償却の残高が逆転する瞬間がある。それを見極めて逆転する直前(直後?)にローンと一緒に売ってしまえば、儲けながら新しいマンションに住み続けることが出来る。だから私はよく引っ越している。」
意味が分からんからもっと詳しく説明しろとはおっしゃらないで下さい。私もよく分かりませんから。でも、どうやら家を建てたからってそれに囚われなくても良いようです。高く売っちまいましょう、そのためにも売り物を傷モノにしたらいけませんぜ(←お坊さんの言うことじゃない)
まぁ、私もワンルームアパートの解約ならしたことありますけど、家を売るなんて体験はありませんのであまり下手なことは言えません。以下、お坊さんとして言えることを書かせていただきます。
禅の修行道場では一人一畳の畳で寝起きします。間取りもプライベートもへったくれもありません。強いて言えば畳にくっ付いている布団収納棚に浅い所と深い所があるのと、出入口や恐い先輩、腹が立つほどうるさい目覚ましの鐘の一声目に近いか遠いかだけです。漏れなく工事現場みたいないびきと歯ぎしりも付いてきます。問題なく寝てましたけど。同期生が先輩に蹴っ飛ばされて漫画みたいに飛んでいったり、坐禅で肩を叩く棒が10人くらい向こうから飛んできて私をかすめるように落ちてきたり、延々とみぞおち殴られ続けたり、ブラックな思い出も多々多々あります。そんな物件としてのセールスポイント皆無な修行道場でも、近くまで行くとつい懐かしくなって立ち寄ってしまいます。
住めば都などと申し上げる気はありません。むしろ、こだわりを捨ててしまった方が楽になりますよとだけ申し上げさせていただきます。そのこだわりを家自体に向けるか、間取りに向けるかは私のあずかり知らぬところではございますが。