死ぬのが怖い
私は死ぬのが怖いです。
前からふと「死」について考えてしまう事があります。その度に泣いたり、怖くて苦しくなり鼓動が早く息が苦しくなったり、発狂しそうになりました。
しかし、そうなる事も数年に何回かある程でしたが、今はここ一週間程ずっと考えてしまいます。
死んだらどうなるのか、今こうやって物事を考え、生きていること全てが消えてしまう。「無」になってなにも無くなってしまう事が怖くて怖くて仕方ありません。
どうすることも出来ないのに、どうなるのかを想像して、その度に苦しくて苦しくて仕方ないのです。ずっと生きていたい。生きていられるのなら例えどんな事でも出来ると思う程に、生きていたいと思うのです。
私は、眠りにつくのと死は同じだと思っています。寝てる間は意識がなく、今は自然と目を覚まして、自分が寝ていたという事に気づきますが、死とはそのまま起きることが無い状態なのだと。考えても、誰も答えは知らないので、仕方の無いことだとは思うのですが、ふと考えてしまい、苦しくて怖くて何も手につきません。それでも、次の瞬間には、まだまだ先のことだから今考えても仕方ないと思ったり、きっとその後の世界があると思ったり、ふと気楽に考える瞬間もあるのです。そしてまた、ふと怖くなって・・・。この繰り返しを一日に何度もしています。どうか、助けてください。
お坊さんからの回答 2件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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生きるということ、死ぬということ
明日かもしれない、今日かもしれない
寝たら目が覚めないかもしれない
来年かもしれない、10年、20年後?
分かりません、分かりません
だから今を思い切り生きるんです、明日があるし平気平気、と思うのではないんです
私も同じように不安で怖くてたまらなくなったことがありました
考え始めると怖くて怖くてしょうがないものです
生きられるなら脳を移植してただ生かされているだけでもいい
コールドスリープで科学がとんでもなく発達するまで生かされ続けたい、思ってました
例え骨だけになろうとも何も食べられなくても生きていたい、と
でもそれって本当に生きてると言えるのかな、それってどれだけ苦しいんだろう、とあるとき考えました
毎朝朝起きて布団から出るときにしっかりと声に出してみましょう
「今日も目が覚めた、ありがとう」
ありがとう、は神様でも仏様でも自分にでも全部に対してでも構いません
今日無事に起きれた幸せ、生かされている幸せ
それを毎朝噛み締めてください
喜んでください
声に出して喜んでもいいです、今日も生きてる、起きれた、生きてる、と
死について
まい様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
「死」についての恐怖に悩みお苦しみのご様子・・
拙生ももちろん、「死」に対しての恐怖、不安というものを持っておりました。
しかし、今ではさほど、恐怖、不安はございません。
恐怖・不安の原因は、「無知」にあります。
あるいは、仏教では、恐怖や不安など煩悩の原因は、「無知無明」にあるとして、それは、真理を知り得ていない状態のことであると説明することになります。
そこで、もちろん「考えないようにする」、「無視する」というのも一つでしょうが、いずれは誰もがやがて迎えるものですので、いつまでもそういうわけには参りません。
そのため、手前味噌にはなりますが、「死」についても真摯に対峙して理解を進めていく仏教を学び修していくことを、やはりお勧めさせて頂く次第でございます。
その一つのヒントとしましては、「死」における「肉体」と「意識」(微細な意識)のありようについてのことを、正しく理解していくということになります
「死」について、「無」になってしまうのかもということが、その恐怖・不安の原因の一つのようですので、「死」は決して「無」、「絶無」ということではないということを、しっかりと得心なさることができれば、また「死」についての理解も少しなりにも前進されて、恐怖や不安も和らいでいくのではないだろうかと存じます。
是非、引き続き仏教に関心を持って頂きまして学んで頂きたいと存じます。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
やはりまだまだ怖い事には変わらないですが、新しい考え方もあるのだと思えることが出来ました。ありがとうございます。