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お坊さんにも煩悩がありますか?

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有り難し有り難し 54

見返りを求めずに生きていこうと心掛けていますが…煩悩が邪魔をしてしまい、結局悪い結果になってしまいます。
修行を積んできたお坊さんでも、煩悩があるのでしょうか?
自分にとって悪い煩悩が出てきた場合は、どのように対処しているのでしょうか?
お寺に行くだけでも清らかな気持ちになるのでしょうか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

煩悩は無くなりません。

どれだけ修行したお坊さまでも
煩悩は後からどんどん湧いてくるそうです。
ただその煩悩に振り回されることがなくなるそうです。

私ももちろん煩悩にまみれていますが
それを否定することなく肯定すると
逆に煩悩が治まるような気がします。

煩悩があって当然
人間だもの
と思っている方が
楽になると思いますよ。

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有り難し
おきもち

和田隆恩
 浄土真宗(大谷派)/広島県広島市/17世住職。  1967年京都市生ま...
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私は煩悩の塊です。

この回答には様々あると思います。
私自身は、煩悩ありますよ。最近大病したのですが、それでも煩悩(欲)は消えません。と言うより、人間生きている間は、生きるための本能があるので、欲はなくなりません。また年齢や自分の置かれた状況により、欲(煩悩)は変化し、されど死ぬまで無くならず、上手に付き合っていくことで平穏が保たれるのでしょう。
日々の様々な葛藤や矛盾、怒りや心の乱れを平穏にしていくこと、そのものが修行で、欲望を制御(コントロール)していくことが修行と言えます。だからお寺に、目的なしに行っても煩悩はなくなりません。

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有り難し
おきもち

日蓮宗のお寺で、名古屋市南区にあります。 ”お寺は生きている人のためにも...
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質問者からのお礼

鈴木 様
回答ありがとうございます。
お体は大丈夫でしょうか…
私も難病になり完治は未定の状態でして治せる病院もなく…生かされているだけでも感謝しなければいけないのに欲は出てきます。(自分を見てもらいたいと欲や色々と出てきてしまいます。)
仰る通り状況により煩悩(欲)は変化します。
生きている限り煩悩や感情を上手くコントロールできるように修行していきたいと思います。

和田 様
回答ありがとうございます。
煩悩は、どこから出てくるのか…恋愛・仕事等全てにおいて出てきています。それによって悩むというのは、振り回されているという事になるのでしょうか。
煩悩を否定する事なく、肯定すると少しは楽になるのかもしれませんが…どう思考を切り替えたら煩悩を肯定できるのかがまだ分かりません。

「煩悩」問答一覧

「足るを知る」と「向上心」のバランス

明けましておめでとうございます。 全ての皆様にとって、健やかな一年となることを祈念いたします。   *   「足るを知る」と「向上心」をどうバランスさせるかについて質問です。   ■質問の内容 ・人間の煩悩はキリがありません ・煩悩とうまく付き合うために「知足」が重要との理解です ・一方で、より良い生を営むには、「向上心」が必要です ・しかし「知足」「向上心」は、ときに相容れないように思われます ・そこで、両者の使い分けについて、ご意見を頂戴したかったもの   ■質問の背景 ・私は肉体や精神、能力等の向上(=欲求を満たせる自分に成長すること)を目標として努力してきました ・結果、自分自身や周りの人の幸せを実現できると考えてきたためです ・しかしある時、幸福度は上昇していないことに気付きました ・そんな時に「知足」の重要性に気付き、「向上心」との折り合わせについて強い興味を抱いたものです   ・両者の使い分け方法について、下記2パターン考えました   ■仮説① 行為の目的(相手のため/自分のため)で、以下の通り使い分けるべき 【良さそうな例】 A「相手のため」×「向上心」 (例)より喜ばれる仕事をしたい B「自分のため」×「知 足」 (例)菜食で十分 【悪そうな例】 C「相手のため」×「知 足」 (例)今の仕事の質で十分 D「自分のため」×「向上心」 (例)より美味しい食事をしたい   ■仮説② ・「知足」と「向上心」のバランスを考える必要は無い。 ・自らの欲求を満たせる自分に成長する「向上心」が重要である ・逆説的だが、向上心(欲望)を満たした経験により「足るライン」を把握できるようになる ・肥大する向上心(欲望)を実現した経験が、「自らを満たさない、長く続かない」ことを体感させる ・知足は、頭で理解するものではない。体得させる必要がある    (例)お金をもっと稼ぎ、食事にお金をかける。結果、最高級の焼肉もファミチキも両方美味しいし、どっちも幸せで、(実は)どっちも大差ないことを体感する。 しかしずっと貧しいままだと、どうしてもやせ我慢での知足となる。「知足の習得」には、欲求を満たして「こんなもんか」という体験が必要不可欠。 お釈迦様が王子の頃に豊かだったことは、悟るための必須条件。。?   少し漠然とした問いで申し訳ございません。 どうぞよろしくお願い致します。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ