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親が死ぬのが怖いです。

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私は今大学4年生です。親や祖母がいつか死んでしまうという事実が恐ろしく、不安で仕方ありません。ずっと思っていたことなのですが、今日両親と会って余計にその思いが強く、辛くなって相談致しました。

親は高齢出産だったもので、平均まで生きたとしてもあと20数年です。しかし、母は大病をしていて、1年や2年で死んでしまうというわけではないのですが、そう長くも生きられない可能性が高いそうです。父も生活習慣の面から長生きは難しいだろう、という感じです。

私は両親が大好きで、心の支えであり、いなくなってしまうことを考えると涙が止まりません。祖母に関しても同じで、恐らく両親よりも早く死んでしまうのだと思うと悲しくて仕方がありません。最近は、「私を置いていかないで。一緒に連れて行って」とまで思ってしまったり、いずれ来る別れが辛く、もういっそ自殺してしまおうかとも考えるのですが、その考えが最も親不孝なのは分かってはいるのです。

大学4年生つまり22才で、良い大人になって何を言っているんだ、弱い奴だ。と思われるかもしれません。しかし恐ろしいものは恐ろしくて堪らないのです。どのように考えていけば良いのでしょうか。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

私の愛する人の死との向き合い方

こんばんは。亀山純史と申します。

命を持ったものは、いずれは死すべきものなのです。そのとき、私にとって愛する人の死は、私に“どう生きていくべきなのか”を問いかけ、そして私は、いずれは愛するその人と再び会えることを思い生きていくのです。これが私が仏教から得た生き方です。

愛する人の死は、他の人の死とは全く別物です。もちろん、命の重さに差はないのですが、どんなに悲惨な事件に巻き込まれ命を奪われた方であっても、その人が私にとって特別な人でなければ、私自身、夜も眠れないような状態は起こらないでしょう。しかし、愛する人の死はそうではありません。場合によっては、夜も眠れない状態が起こりうるのです。そのとき愛する人の死が私に語りかけてくることは、“どう生きていくべきなのか”なのです。“死”によって“生きる”という概念が生まれたのです。もしも、“死ぬ”ことがないのならば、“生きる”ということもなくなります。“死ぬ”からこそ“生きる”のです。それを愛する人の死は私に教えてくれるのです。どんなに悲しくても、どう生きていくべきなのかを問うていくことが、愛する人の死を無駄にしないことなのです。

そして、愛する人が旅立って行った世界に、いずれ私も旅立って行き、そこで再び会えることを思い生きていくのです。さらには、亡き人は旅立った向こうの世界で私を待っているのではなく、常にこの私のそばに来てくださっている、とも言われます。それも、その亡き人の死を無駄にしない生き方をすればこそ感じられる世界なのでしょう。

以上が私の愛する人の死との向き合い方です。少しでもお役に立てればと思っております。

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有り難し
おきもち

hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧侶です。令和6年3月に、公立高校の教員を勧奨退職しました。その後、縁あって、令和6年4月からは「まちサポ雫石」というNPO法人のお手伝い、また、令和6年10月からは公立高校の非常勤講師をしています。 浄土真宗における僧侶は、仏さまの教えに生き、その教えを伝える者であり、人を悩みから救う能力を有した者ではありません。人の悩みを救う救いの主は阿弥陀さまです。ですので、hasunohaにおける私の回答では、仏さまの教えに救われているこの私の生き方、考え方を、皆様にお見せするだけです。そして私自身、お答えできるご相談の範囲はそう広くはありませんが、皆様のお役に少しでも立てればと思い、回答させて頂いております。

そうおっしゃるあなたもいつか死にます

今月8日に叔母(私の父の弟の配偶者)が亡くなりました。遠方までお葬式に行き、そのときにもう一人の叔母(父の妹)が私が知らない間に亡くなっており、叔父(父の妹の配偶者)が脳梗塞で寝たきりになっていることも同時に知りました。まるで浦島太郎ですね。私の両親はかなり前に亡くなっていますのでとても寂しい気持ちになりました。

普通、人は上記のように実際に身内の誰かが亡くなった後で悲嘆にくれるのですが、あなたはまだそうなっていないのに悲嘆のなかにあるんですね。ご家族を愛しておられるのでしたら、社会に出て給料をもらい楽にさせてあげたい、という方向に思考が進むと思うのですが、そうじゃないんですね。そんなあなたは宗教的な感覚の鋭い方なのでしょう。

そんなあなたなら、あなたもタイミングこそずれるものの親御さんたちと同様、いつか死ぬことが決まっている存在で、本質的に何も変わるところがないことを感じておられるはずです。みんな死ぬんです。あなたは自分はまだ若いし自分の死は遠いところにあるようにもお思いでしょうが、人生は短いです。すぐあなたの番が来ます。

安心できる世界がみんなに用意されているという宗教的な視界が得られたらご家族の命の終わりを悲観的に見る必要がなくなりますし、あなた自身も安心して生きていけるのではないでしょうか。また出会える世界があると信じるならご家族との別れにも不安がなくなるともいえます。要はもともと持っておられる宗教的な感覚みたいなものを具体化し何かの信仰をお持ちになったら、と思います。

実は、いま朝日新聞土曜版beに先週まで連載されていた藤井理恵牧師の記事を読み返しています。牧師は日本初のホスピス、淀川キリスト教病院のチャプレン(施設付き聖職者)です。死が間近に迫っている人たちにキリスト教の教えを説いて死への不安を和らげておいでになる様子を読み、感動を覚えます。私は浄土真宗という「浄土」を説く宗派の僧侶です。また出会える世界のあることの素晴らしさを、あなたにもこれを機会にして知ってもらえたら、と思います。

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有り難し
おきもち

個別相談可能
私はお坊さんといっても、ひと様に何か答えらしいものを提示できるような立派な者ではありません。むしろその逆で、しょっちゅう周りの方々にお尋ねして、教えてもらって生きています。質問について考え、答えようと悩むことで私自身が学び、僧侶として少しでも成長していけたら、と思っています。 youtube法話を始めました。私の名前ですぐ見つけていただきます。
本堂までWi-Fiの電波が届かないので、お内仏(家のお仏壇)のお部屋でお話します。

あまり心配しないでください。

mayさん、こんにちは。
当然のこととして、人は遅かれ早かれ、この世を去ります。
今のこの時点で、両親が亡くなることを考えれば、それはそれで悲しくなります。

私も小学生の時、授業中に急に両親が亡くなったらどうしようと、どうしようもないくらいの不安と、恐怖と悲しみが襲ったことがあり、急いで帰り、両親の顔を見て安心したことがありました。その両親も、私が、23歳の時、母が、25歳の時、父が亡くなりました。もう43回忌を迎えますが、人は亡くなるものです。

宗祖の日蓮大聖人が「出ずる息は入る息を待たず、老いたる者も若き者も、賢きも愚かなるもの、まず臨終のことを習うて他事を習うべし」とあります。
要するに、人は順序関係なく、いつかは亡くなるので、そのことをまず念頭において、そして日々の生活に励みなさい。とあります。

mayさんは、以前(前の質問)から心配性で、いろんなことをマイナス的に考えてしまう傾向です。これをストップしないと、何もかも心配、不安で押しつぶされてしまいます。
考え方の方向転換を!

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有り難し
おきもち

日蓮宗のお寺で、名古屋市南区にあります。 ”お寺は生きている人のためにもにある”と発願し、法筵寺を新寺建立。住職として41年になります。どこまで、その思いを達成しているか分かりませんが、少しでもお釈迦様、日蓮聖人の教えに触れて頂けたら思います。 FB https://www.facebook.com/kaisho.suzuki 法筵寺FB https://www.facebook.com/houenji/ 日蓮宗ポータブルサイト内 https://temple.nichiren.or.jp/3031069-houenji/

質問者からのお礼

お坊様方、ありがとうございます。
愛する人の死をどう受け止めるかや自分の考え方を変えていく必要性についてよく分かりました。本当にありがとうございます

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ