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ホントの自分は何だんだろう

回答数回答 3
有り難し有り難し 27

私は毎日すごく元気です!
基本、笑顔が大事だし、笑いを交えながら話すのが大好きです!

職場、友達、身内から、相談事や愚痴を聞く事も多いです。
もちろん、とことん聞いてあげるし、アドバイスもします。

笑顔で元気がトレードマークなだけあって、自分が泣ける場所を無くしてしまったみたいです…

旦那、子供達の前で泣ける訳もなく…
親の前や友達の前でも泣けません

元気な私!を作り上げてしまった私は、このまま演じ続けるしかないんでしょうか?
普段、演じてるつもりは無いんですが、多分、演じてる時もあると思います。

こんな自分が嫌気が差します
一体、私は泣きたい時どこで泣けばいいと思いますか?


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ご先祖様、仏様です

 こんばんは。まず、「人間は多面性がある」ということに気づかれた。それは大変よろしいと思います。「今は笑っていても、泣きたくなることもある」「今は怒っていても、穏やかな気持ちのときもある」そう、「元気な私!」は、「たいてい元気な私!」の「たいてい」を省略している、「元気でいたい私!」の「いたい」を省略しているだけなのに、いつかご自身がそれを忘れてしまうのです。
 わたしたち坊さんは、「諸行無常」という言葉を知っています。人間いつも同じではないのだ。良きにつけ悪しきにつけ。だから私たちならお念仏するし、宗派によってはお題目を唱えたり、座禅を組んだりするわけです。多分、自分を整え、リセットするために。
 ということで、「行動を通して心を整える」ということは恐らく仏教に共通のこととして言えると思うのですが、おたずねは「どこで?」とのことですから、冒頭の「ご先祖様・仏様の前で」というのが私からのお答えです。
 お仏壇や、お寺のご本堂。お墓。そういった所では、何も隠す必要はありません。みな「諸行は無常だよ」ということを弁えて(わきまえて)いらっしゃるからです。喜納昌𠮷の「花」じゃありませんが、「泣きなさい、笑いなさい」です。(そういえば、大阪の秋田光彦師のご著書に、そういったタイトルのものがありました。お勧めです)
 でもね、時々、ご家族の前で泣いても良いのだと思います。私の母は、僕が小学校低学年の時、祖父を亡くして泣いていました。非常に強烈に印象に残っています。「人が亡くなるのは、こんなにも悲しいのだ」と。

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有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊...
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プライドは煩悩、旦那さん、電話相談室

仏教では、「わたし」という概念はただの概念にすぎない、と言います。
「あなた」は、毎日毎日変化し入れ替わっていく細胞の群と、瞬間瞬間に生じては滅していく心の、もつれた連続現象ににすぎないのです。
記憶を受け継いでいるけれど、昨日のあなたと今日のあなたは別の物体なのです。
それなのに、昨日のあなたと今日のあなたを比べて、同じであろうとする、昨日の私はすばらしい、だから今日の私も昨日のとおりでなくてはならない、整合性を保たねばならない、だって私はすばらしい存在のはずだから、ずっと私でないとすばらしさがブレてしまうから…と、「わたし」を確固たるものにしたがるのです。
慢という煩悩です、わかりやすくプライドの煩悩と言ってもよいでしょう。
煩悩とは、悩み苦しみの原因だということ。
プライドの煩悩のせいで泣けないのは辛いでしょう。
旦那さんの前で泣くのが一番です。夫婦仲も深まるでしょう。バレンタインデーにひと泣きさせてもらっては?
あと、一応紹介しますと、浄土宗ともいき財団がやっている、「心といのちの電話相談室」というのもあるそうですから検索してみてください。

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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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「私以外私じゃないの♪ 当たり前だけどね♪」

かけらぶ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

最近、喜怒哀楽を素直に出せなくなってしまっている方のために、映画館での独りでの映画鑑賞をお勧めさせて頂いております。そこで、リハビリ的にご自身の喜怒哀楽の感情を存分に出して頂いて、それから少しずつ現実の場へと応用されていかれる練習をされても、どうであろうかと存じております。

もちろん、映画の作品は、ドキュメンタリー以外は、演じて作られているものであり、でも、演じているとは分かっていても、感情移入して感動すれば、演じられていることを忘れて、それを受け入れてしまうものとなります。

「演じてるつもりは無いんですが、多分、演じてる時もある」・・実は、役者さん、女優さんになれる資質を持っておられるのかも。是非、オーディションをお受けされて、新境地を・・

と冗談はさておき、「私以外私じゃないの♪ 当たり前だけどね♪」(ゲスノートに引っ掛かってしまいませんように・・)として、少し前の回答でも扱わせて頂きましたが、本当の自分、私とは何かと申しますと、それは色々な無数の関係性の中において、依存的に成り立っているにしか過ぎない、「縁起」なる存在であるということになります。

簡単には、色々なご縁によって支えられて、助けられて、そして、生かされてある自分ということであります。

支えられて、助けられて、そして、生かされてある自分における有り難いご縁のあることを自覚し、感謝と報恩の思いを持つことで、きっと、それらの「ご縁による自分」というものを見つけていくこと、自分を今ある「ご縁」から見つめ直されていくことで、本当の自分というものが分かるようになっていくのではないかと存じます。

「私以外私じゃないの♪ 当たり前だけどね♪ だから報われない気持ちも整理して♪ 生きていたいの♪ 普通でしょう♪」

あれ、意外にも哲学的な歌じゃないですか。。・・ファンにはならないけれども・・

川口英俊 合掌

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有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

質問に答えて頂き大変ありがとうございました。
素の自分をさらけ出せる場所は、母の墓前なのかもしれないと思いました。
心配されると困るので、なかなか出来そうにありませんが…(◞‸◟ㆀ)
昨日の自分と今日の自分は違うんだ!と思い、たいてい元気な私で、たまには自分の時間を持ち、映画の世界に入り込んでみようと思いました。
本音を吐き出させてもらったおかげで、胸のつかえが少し取れたように思います。
本当にありがとうございました!!

「本当の自分と向き合う・らしさを取り戻す」問答一覧

学びは身になっているのか、実感がない

お世話になっております。 人生を通してなのですが、学びたいことに対して、特に実務系より精神面、自己啓発の観点の方で、それが消化されて自分のものになっている感じがあまり得られずに悩んでいます。 いろいろ講演会を聞いたり、本を読んだり、ネットで共感したことなどをもっと自分の生活や思想に取り込みたい、深く学びたいと思っても、なかなか深化できないです。自然に出て来ないし、学びも進みづらい。 仏教とかも元々文系教科(特に古文・漢文)が苦手だったので、本を読むにも頭に入って行きづらいときがあります。他のものにしても最近はうつ病とかもあって、昔より文章から要旨を掴むのが下手になってしまいました。 そもそも話題の本、タイトルから自分の欲した答えやスキルが得られそうな本、好きな著者の書いた本、何らかの形で薦められた本、やってみたいことが出来たが勉強しようと思ったら芋づる式に出てくる関連著書、あるいは興味が別なことへ移ってそちらの本・・・すべてに取り掛かることもできず、積ん読として無駄になることもしばしばです。 本もかみ砕いて熟読するにも時間がかかるし、でも速読したら結局自分の読みたいようにしか読めてなくて、本当に著者の思いを汲み取れているのかわからなくなります。 さらに、たまに振り返ったりしないととても浸透しないしすぐ忘れてしまうのですが、それも量が増える。多くのものに触れようとしなければいいものには出会えないけど、じっくりかみ砕くことを怠ると簡単にその知識は腐る、そのジレンマに悩んでいます。 最近はインプットや振り返りのために時間を取るのも下手になった感じがありますが、折角そうしてもスマホや別の事務仕事に時間を取られて、予定は常に狂うしやる気も保ちづらい。じゃあやめれば?と予定変更しても後悔が残ってすっきりしない状態です。 お坊さんは毎日のおつとめの中で大事なことを振り返っていると思うのですが、当然新しいインプットだってしているはずだと思うのです。 学んだことを血肉にするためにどういう事をしていけばいいのか。 いろいろ興味を惹かれることが多い中、何か学びを絞るためのポイントはあるのか。 新しいことを身に付ける中で、新しいものを取り入れつつ以前のものを腐らせないためにはどうすればいいのか。 アドバイス等ございましたらご教授いただけますと幸いです。

有り難し有り難し 4
回答数回答 1

納得のできる生き方をしたい

私は何に対しても不安になってしまいます。 目には見えない病気なので家族や友人にもあまり理解がされず「もっと頑張らなきゃ!」「家にずっと居ると暇でしょ?」「私だって肘が痛いけれど仕事を頑張っている」など言われてしまいます。 たしかに家族や周りから言われるように私は甘えているだけなのかもしれません。 周りの人達は悩みを抱えながらも体調が悪くても一生懸命、仕事をしたり生きているのに私は人生をなめているというか一生懸命過ごせている気がしていないので、周りからも避けられているように感じてしまいます。 働かないだらしない人とは関わりたくない、ネガティヴな発言しかできない人とは関わりたくないなどと思われているのではないかと常に不安です。 連絡も相手から来ることはないので、私から送るのですが連絡をするにも迷惑だと思われているのではないか、友人と食事に行っても私と一緒に過ごして楽しいと思ってくれているのかな、もう会いたくないと思われているのではないかと相手の顔色ばかりを気にしています。 現在していることは浴槽を洗ったりはしているのですが家族や周りから見たら、そんなことは当たり前で何も偉くはなく、頑張った内にも入らないというような言葉を言われたり、心配して貰いたい、ありのままを伝えたら嫌われてしまう考えだけで嘘をつく癖が治らないなども含めて生きていることが怖いです。最近は今の人生を一生懸命生きようとかではなくて亡くなった後のことばかりを考えてしまいます。自分ことは自分しか分からないから周りの言葉など気にしなくてもいいと思うときもあるのですが、どうしても周りの目や評価が気になってしまいます。少しでも生きていてよかった。仏教の目的の「私が私らしく」「自分を愛おしく」思えるような生き方や考え方を教えてください。

有り難し有り難し 8
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なんか成長した

昔の私は嫌なことにこだわって嫌なことをふくらませて自分をいじめてました。 高校のとき、家庭科の先生から 空を見上げてごらん!自分の悩みなんてちっぽけに思えるよー! とアドバイスをもらっても 国語の先生から どんなに自分が悪くても明日はやってくる。寝て忘れるんだ! とアドバイスをもらっても 意味わからんし(`Δ´) でした。 そして、ネットで、モヤモヤしたら お掃除しなさい。 お風呂に入りなさい。 などと書いてあっても モヤモヤ、イライラとまらんわ(`Δ´) でした。 どうして、いろんな方からのアドバイスが受け入れられたかというと、子供の存在でした。 歯磨きせん!って言われて、押問答してて、イライラするけど、可愛い言葉や仕草をされるとなんかそれに癒されて、どうでもよくなってなんか笑顔になります。そして、悩みをほぼほぼ忘れます。 あぁーこういうことなんだなってわかりました。 私は人のせいにして生きるのが大好きでした。 人の幸せを見るのが辛くて、買い物以外は外に出ませんでした。 そしたらぶくぶく太り、軽度肥満になりかけました。 人のせいにした人たちが、私を守ってくれるの?私の健康を守ってくれるの? そう気づき、3年で10キロ痩せました。 BMI適正体重になりました。 ゆっくり痩せたのでリバウンドなしです。 去年の健康診断でさえ、お医者さんからも保健師さんからも褒められました。 今年の健康診断もさらにお医者さんからも保健師さんからも褒められるー(^ω^) これからもたくさん成長します。

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自分らしく生きるとはどうすればいいか

はじめまして よろしくお願いします。 私は、人からの評価が気になる、人にどう思われたか気になる、人の気持ちを読んでできる限り尽くす、ほめられたり好かれると非常に嬉しくすぐにその相手を大好きだと思い、逆に批判されたり否定されたらとても気になり腹が立ったり恨んだり・・・というところがあります。 これまで職場のような浅めの関係性の場所で最後必ず辛くなり、何年も我慢した挙句パッと人間関係を切ってしまうことが多いです。お世話になって感謝する反面、本当の私を分かってくれない、裏切られたと思ったりしてしまいます。私自身は職場でも人の本質を見て付き合おうとしてしまいがちです。 心から相手と理解しあいたいと思う気持ちがあります。障害のある子どもに関わる仕事をしていますが、障害ではなくその人自身を見ることが得意です。 他者評価を求めている、承認欲求が強いのかとも思いますが、ただ、私は、ずっと自分のことは好きなのです。努力できますし、人に優しいですし、感性も豊かです。 母がいつも褒めてくれましたし、好きでいてくれました。 ただ母が極端に心配性で、人からいい母親と見られようとしていた弱さはある人でした。(私が30代の頃亡くなりました。)いい子の私はいつも母を喜ばせようと努力してきました。その影響はあると思います。ただ、愛情をもらって自分に自信も持てるように育ててもらっています。 なのに、なぜ、いつまでも精神的に自立できず、人に好かれたいのでしょうか。 自覚はないのですが、私は、自己肯定感が低いのでしょうか? どうすれば精神的に自立して自由に清々しく生きられますか。

有り難し有り難し 11
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自分との向き合い方、親との接し方

小さい頃からメンタル面が弱いです。 今でも、成人男性や酔っ払っている人が非常に怖かったり、自分に自信がとにかく持てず、私自身のことを褒められてもしっくりきません。 丁寧に説明されると嬉しいことには嬉しいのですが、心の隅では「過剰評価だ」と感じてしまいます。 それらについてネットを中心に調べてみたところ、親からの影響だとか、愛情不足だとか、幼い頃に褒められてないだとか……そういった言葉が様々な場所で「あなたは悪くありません」と一緒に、頻繁に書かれていました。 確かに、親に褒められたことを思い出そうとしても出てきませんし、抱きしめられたり頭を撫でてもらったことも思い出せません。 けれど、10代の頃こそ親に愛されていないと思い込んでいましたが、今現在では「あれが両親の言うところの愛情だったのかもしれない」と思い当たる出来事も数個あります。 思っていたように育児がうまくいかず親も苦しかったのだろう、と、親へある程度の共感や理解もできるようになりました。 一方、考えれば考えるほど、どうしてあんなことができたのかなぁと不思議に思ってしまいます。 向こうが「愛情だ」と言っていても、私からすれば苦痛でしかありませんでした。 それでも、きっと両親は嘘をついていなくて、本気で私と弟を愛しているのだと思います。 頭では「愛されていた」とわかっていますが、完全に割り切れているわけではありません。 親に裏切られたこと、傷つけられたこと。それらを忘れることもできなければ、許すこともできそうにありません。かといって、縁を切るほど憎みきれているわけでもありません。 本題に戻りますが、 私の持っているトラウマや自己肯定感の低さ、希死念慮、そういったものを全部親のせいにしても良いのでしょうか。 みんなの言う通り、私の努力不足や能力不足だったり私が怠けているだけではないのでしょうか。 また、愛憎半ばな親にはどう接すれば心身穏やかに暮らすことができるでしょうか。 実家から出るメリットが「親と離れられる」しか思いつかず、且つそれが(少なくとも今は)特別大きなメリットでもないため、心構えなどを中心にお言葉をいただけるとありがたいです。

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自分自身と向き合う

いつも大変お世話になっております。 ハスノハは私の心のささえです。 今回ご相談させていただきたいのは「自分自身と向き合う」ということです。 お恥ずかしながら私は、いい年なのに精神的にとても未熟で、子供の頃から大人になるまで本当に様々な罪を重ねてきました。 二十代前半までは人にしてきた事よりされてきたことへの苦しみ、三十路の今はされた事よりしてきた事への後悔で毎日苦しんでいます。 こんな私のことを大切に想ってくれる人を裏切り、私利私欲の為に利用したり、自分がされて嫌なことをしてしまったり。 自分の欲望を抑えられず、後先考えず衝動で動き、無知さで大きな過ちをしたり。煩悩の塊です。 あの頃は、ただひたすら目の前にあることしか考えられなかったのだろうと、今は思います。 過去は幻、未来は妄想、過去に執着して今を放棄するのはとても愚かだなと頭ではわかっていますが「あぁ、なんであんなことをしてしまったんだ」と過去の自分を恨んでしまいます。 そんな過去の自分や今の自分としっかり向き合い、これから清く正しく生きていきたいです。変わりたいです。 しかし、今まで見て見ぬふりをしていた気持ちや過去と向き合うということが、こんなに苦しく大変なのかと悩んでいます。 自分自身と向き合い変わっていくためのアドバイスをいただきたいです。 まとまりのない文章で申し訳ありません。よろしくお願いします。 (以前、別のご相談させていただいたときに教えていただいた懺悔は今後も続けていきます)

有り難し有り難し 26
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自分らしく生きたいけど怖くて不安です

私の母は専業主婦で、今まで私にたくさん時間をかけてくれました。しかし、かけ過ぎて私自身がどうしたいのかが今までよく分からないまま過ごしてきました。 母は強要はして来ないけれど、気付いたら母が敷いたレールの上にいたような感じです。高校は母が見つけた高校に通っており(自分でもきちんと気に入った高校ですが)、母が推す就職に強い地元の大学、福利厚生が手厚い大企業に入り、結婚相手を見つけ、子供を産むという人生にこのままだとなりそうです。 今までは私もその人生を望んでいるつもりでしたが、最近、老後の資金のためにお金に関する本を読み始めたところ、私は母の考え方に流されすぎているのではないかと気づき、自分が本当にやりたいことを考えてみました。 私は地図を眺めることや旅行計画を立てることが大好きなので、そのようなことを仕事にしたいし、結婚はそこまでしたいとは思いません。まだ自分のやりたいことがしっかりとまとまっていないのですが、少なくとも母の思い描く人生をそのまま生きるのは嫌だなと思うようになりました。 しかし、今まで私は世の中の一般的な親子よりも長時間母と過ごしてきたので母が思い描く人生から外れると幸せの保証がなくなる気がして怖いです。一種の洗脳のようなものなのでしょうか…。これからの人生を、自分が行きたいように生きていく勇気が欲しいです。

有り難し有り難し 5
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ