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いじめを無くすのは不可能

回答数回答 6
有り難し有り難し 65

こんにちは。いつもお世話になっております。
ゆうりです。

教員採用試験の面接対策も始まり、日々あれこれと追われて、てんてこ舞いな毎日を送っております。

その面接対策で、「いじめ」について考える機会がありました。
私は、そういうのを引きつけやすい体質なのか分かりませんが、以前スケープゴートTの話を相談させて頂いた通り、それに関することについてよく遭遇してしまいます。

いじめの原因はそれぞれです。
・むかついたから。ストレス発散のために、弱者をしばいた。
→喧嘩っ早いのは、困りものです。
・自分を高めるより、人を蹴落とす方が楽だと気付いたとき、「お前勉強しても(努力)無駄だよ(笑)」
→成績の良くない私の、実体験です。進学校に多く見られる気がします。また、これを皮切りにスケープゴートが発生することも少なくないような気がします。学習障害がある生徒については、これに一番気を付けるべきでしょう。

いじめを無くすのは不可能。
これは、学校は社会の縮図であるからでしょうか?
誰が、作った言葉でありましょうか?
難しいこととは、確かに思いますが、それに白旗を揚げる大人(先生)が世の中に多過ぎるのではないかと思います。
先生としていじめの場に遭遇した時、その場に応じた(正攻法みたいな)対応は確かにございます。ですが、いじめは増える一方です。
いじめを無くす為の正攻法でいじめがなくならないのは、これには、なにかが足りないからだと思います。

いじめを無くすのは難しいのは言うまでもありません。それは、私たちが人間だからです。
いじめを撲滅する。
その為に心はどうあるべきか。単に教育上の単純作業の正攻法ではなく、人の上に立つ、人をつくる職に就く者としてその心はどうあるべきか?身の振り方はどうあるべきか?
質問させてください。
お手数をおかけしますが、宜しくお願いします。


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お坊さんからの回答 6件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

いじめを無くすのは、確かに不可能でしょう。

でも、イジメはダメ! イジメは卑怯だ! ということは教え続けなくてはいけないです。

程度の差はあれ、どの組織・社会でもイジメはあるということも悟らせないといけません。

教師としては、イジメられてもそれを流せられる人になるよう導く方が効果的かも知れませんね。

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和田隆恩
 浄土真宗(大谷派)/広島県広島市/17世住職。  1967年京都市生ま...
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イジメといっても個人と個人の人間関係。

私は幼少のころ~学生時代いじめられっ子、いじめっ子の両方を経験いたしました。
これは一生の反省です。
修行道場でも沢山のいじめを経験しました。
個人としては二度とそういうことのないように願っています。
イジメられたときは、その人が私に対して何か複雑な思いがあったのだと思います。
イジメたときは、私がその人のことを理解していない非道な気持ちがあったのです。
イジメ、イジメられるの前に個人と個人の対話、意思疎通、コミュニケーションがあるはずです。個人と個人のコミュニケーションの不完全さ、コミュニケーション能力を高める事が大切であると思っています。
どんな大きな戦争も元をたどれば個人と個人なのですから。
確かに人間は、自分が優位に立つために誰かを犠牲にしてしまうようなことをする面があります。今後日本はコミュニケーションというものを根底から見直す必要がると思います。
コミュニケーションとは単なる対話、会話、意思疎通として観るのではなく、
最上の在り方になるまで継続してゆくべきことであると思います。

自分を肯定できる人はイジメません。自分を愛せる人はイジメません。
いじめをする人間は心が病んでいる、人を愛せず、自他ともに危害を加えてしまうそういう子を作った家庭環境こそに問題がある。
よって、イジメる人こそサポート、ケアが必要、というイメージを作って、イジメる人、イジメる行為そのものをみんなで阻止することが大きな抑止力になっていくと思います。
ぶっちゃけドコの業界にもいまだにハラスメント、圧力、暗黙の業界イジメが多くあります。
それは単に心の冷たさ、慈悲の無さ。
個々の人間がそれぞれ過去においてコミュニケーションの被害者となって悲しかった経験があったことを深く自覚することがいじめの根絶につながると思っています。

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共に育つ

ゆーりさん、 なごみ庵の浦上哲也です。

おっしゃる通り、いじめは無くならないでしょう。
そして犯罪も、戦争も、おそらく無くならないでしょう。
悲しいことです。

私は幼い頃、子どもの頃、若い頃、いくつも過ちをしました。
虫を無意味に殺したり、同級生をからかったり、からかわれたり。
今はいろいろ学んで、同じ過ちをしにくい状態にはなっていると思います。もちろん人間ですから可能性はゼロとは言いません。でも、人として、大人として、僧侶として、過ちをしてはいけないという決意と反省を胸に抱いています。

それが大事なのではないでしょうか。
不可能かもしれないけれど、無尽の努力をし続ける、その決意が大切なのだと思います。

それよりも、質問文でちょっと気になる部分がありました。
「人の上に立つ、人をつくる職」という部分です。
その気持ちで生徒に接すれば、彼らの心を引き寄せることは難しいと思います。
「先輩ではある、でも自分もあなたたちに教師として育てて頂いている」という謙虚さを持たなければ、せっかくのゆーりさんの熱意も空回りしてしまうのではないでしょうか。

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浦上 哲也
横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗...
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いじめはなくなりますが・・・。

 いじめを無くすのは簡単です。規則通り皆が生きればいいこと。自分の感情を誰も持たず規則のみで生きていればいじめはなくなると思いますが、新たな問題が起こります。思いやりが無くなることですかね。感情と規則は車の両輪ですね。
 ゆーりさんはいじめを生徒だけの問題にしていませんか?教師同士でもありませんか?自分が学校休んだ時、誰が代わりに授業を行うかを考えると普段から周りに調子を合わせてないと何もフォローしてくれないとは思いませんか。まずは教師同士が良い関係であること見せつけないと生徒は引っ張っていけないと思いますが、教師同士にもさまざまな問題があって一筋縄ではいかないこともありますよね。結局、授業の教材やらテストの採点やらPTAやら学校や地域の行事、クラブ活動の顧問でアップアップ。市や県の教育委員会や文科省に活動報告をそれぞれ提出する。新人や人のいい人に回ってくる。いじめ何て考えている暇なし。生徒のことを見ている暇なし。気付けば定年だ。
 いじめを無くすと頑張ったら、過労死覚悟ですよ。その覚悟をもって教師を務めなくてはいけないのが現状かもしれません。解決方法はありません。ワシのできることは困っている人に声を掛けることと、どんなときもゆーりさんの味方に立ち、hasunohaで回答と声援を送るだけです。ワシはあなたの後方支援に回るよう努力をいたします。
 

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いじめは無くなりません

いじめは無くなりません。残念ですが。ただ、いじめをする自分を知る事により、減らす事は出来るかもしれません。
十二光仏に無の付くものが幾つかあります。無量、無辺、無対、無碍、無称があります。
量とは量る事です。辺とは分ける事、対は対比、碍は自己、称はレッテルです。
人はハカリ、自分と比べ、レッテルを貼り、上下関係を作ります。
自分には、人を傷付ける要素と能力を持つ存在、ということを知り引き受け、自覚する事が大切だと思いますし、一番の抑止力になると思います。

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「心の問題」

ゆーり様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「いじめ」・・確かにゆーり様のおっしゃるように原因には「心の問題」が控えてございます。それも、仏教的には「煩悩」というやっかいな心がその正体であり、更には、その煩悩の親玉・親分である「無明」(根本的な無知)も対治していくべき対象として扱うこととなります。

このことは以前にも下記問いにて少しく扱わせて頂きました。

問い「乳児、幼児、児童虐待のない世界になってほしいです。」
http://hasunoha.jp/questions/214

もちろん、「煩悩」・「無明」、または、過去世から引き継いできてしまっている悪い行いの集積・習気である「悪業」を対治していくのは容易ではありません。

しかし、私たちは堅固なる菩提心(悟りを目指そうとする心)を起こすことにより、それらの対治へ向けて絶え間なく精進努力していくことが望まれることとなります。

それを、とうてい無理だ、難しい、やはり厳しい・・と弱音を吐いて諦めてしまっては、とても悟りへ到達することができなくなってしまいます。そして、また同じように輪廻の迷いの中で悶え苦しみ続けてしまうこととなります。

迷い苦しみの連鎖、連続から脱するためにも、しっかりと心に確かなる菩提心を起こして、智慧(空と縁起の理解)の開発(かいほつ)と福徳(善徳行・慈悲利他行)の二資糧を積み、悟りへと向けて調えて参りたいものでございます。

以上は仏教的な観点からのお答えとなりますが、世間一般的にも、初等教育の頃より、しっかりとした倫理観・道徳観を確立させるプログラムを導入することで、悪いことを成さず善い行いに努め励むことを推奨し、思い遣りの心、親切心や支え合い・助け合い・分かち合いの精神を滋養していくことがいじめ問題を無くすためにも必要なのではないかと存じております。

どうぞ教育に携わられるお立場となりましたら、誠に宜しくお願い申しあげます。

川口英俊 合掌

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おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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