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いじめを無くすのは不可能

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こんにちは。いつもお世話になっております。
ゆうりです。

教員採用試験の面接対策も始まり、日々あれこれと追われて、てんてこ舞いな毎日を送っております。

その面接対策で、「いじめ」について考える機会がありました。
私は、そういうのを引きつけやすい体質なのか分かりませんが、以前スケープゴートTの話を相談させて頂いた通り、それに関することについてよく遭遇してしまいます。

いじめの原因はそれぞれです。
・むかついたから。ストレス発散のために、弱者をしばいた。
→喧嘩っ早いのは、困りものです。
・自分を高めるより、人を蹴落とす方が楽だと気付いたとき、「お前勉強しても(努力)無駄だよ(笑)」
→成績の良くない私の、実体験です。進学校に多く見られる気がします。また、これを皮切りにスケープゴートが発生することも少なくないような気がします。学習障害がある生徒については、これに一番気を付けるべきでしょう。

いじめを無くすのは不可能。
これは、学校は社会の縮図であるからでしょうか?
誰が、作った言葉でありましょうか?
難しいこととは、確かに思いますが、それに白旗を揚げる大人(先生)が世の中に多過ぎるのではないかと思います。
先生としていじめの場に遭遇した時、その場に応じた(正攻法みたいな)対応は確かにございます。ですが、いじめは増える一方です。
いじめを無くす為の正攻法でいじめがなくならないのは、これには、なにかが足りないからだと思います。

いじめを無くすのは難しいのは言うまでもありません。それは、私たちが人間だからです。
いじめを撲滅する。
その為に心はどうあるべきか。単に教育上の単純作業の正攻法ではなく、人の上に立つ、人をつくる職に就く者としてその心はどうあるべきか?身の振り方はどうあるべきか?
質問させてください。
お手数をおかけしますが、宜しくお願いします。


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お坊さんからの回答 6件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

いじめを無くすのは、確かに不可能でしょう。

でも、イジメはダメ! イジメは卑怯だ! ということは教え続けなくてはいけないです。

程度の差はあれ、どの組織・社会でもイジメはあるということも悟らせないといけません。

教師としては、イジメられてもそれを流せられる人になるよう導く方が効果的かも知れませんね。

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和田隆恩
 浄土真宗(大谷派)/広島県広島市/17世住職。  1967年京都市生ま...
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イジメといっても個人と個人の人間関係。

私は幼少のころ~学生時代いじめられっ子、いじめっ子の両方を経験いたしました。
これは一生の反省です。
修行道場でも沢山のいじめを経験しました。
個人としては二度とそういうことのないように願っています。
イジメられたときは、その人が私に対して何か複雑な思いがあったのだと思います。
イジメたときは、私がその人のことを理解していない非道な気持ちがあったのです。
イジメ、イジメられるの前に個人と個人の対話、意思疎通、コミュニケーションがあるはずです。個人と個人のコミュニケーションの不完全さ、コミュニケーション能力を高める事が大切であると思っています。
どんな大きな戦争も元をたどれば個人と個人なのですから。
確かに人間は、自分が優位に立つために誰かを犠牲にしてしまうようなことをする面があります。今後日本はコミュニケーションというものを根底から見直す必要がると思います。
コミュニケーションとは単なる対話、会話、意思疎通として観るのではなく、
最上の在り方になるまで継続してゆくべきことであると思います。

自分を肯定できる人はイジメません。自分を愛せる人はイジメません。
いじめをする人間は心が病んでいる、人を愛せず、自他ともに危害を加えてしまうそういう子を作った家庭環境こそに問題がある。
よって、イジメる人こそサポート、ケアが必要、というイメージを作って、イジメる人、イジメる行為そのものをみんなで阻止することが大きな抑止力になっていくと思います。
ぶっちゃけドコの業界にもいまだにハラスメント、圧力、暗黙の業界イジメが多くあります。
それは単に心の冷たさ、慈悲の無さ。
個々の人間がそれぞれ過去においてコミュニケーションの被害者となって悲しかった経験があったことを深く自覚することがいじめの根絶につながると思っています。

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丹下 覚元(たんげ かくげん)
今月の法話 あけましておめでとうございます。 新しい年を迎えました...
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共に育つ

ゆーりさん、 なごみ庵の浦上哲也です。

おっしゃる通り、いじめは無くならないでしょう。
そして犯罪も、戦争も、おそらく無くならないでしょう。
悲しいことです。

私は幼い頃、子どもの頃、若い頃、いくつも過ちをしました。
虫を無意味に殺したり、同級生をからかったり、からかわれたり。
今はいろいろ学んで、同じ過ちをしにくい状態にはなっていると思います。もちろん人間ですから可能性はゼロとは言いません。でも、人として、大人として、僧侶として、過ちをしてはいけないという決意と反省を胸に抱いています。

それが大事なのではないでしょうか。
不可能かもしれないけれど、無尽の努力をし続ける、その決意が大切なのだと思います。

それよりも、質問文でちょっと気になる部分がありました。
「人の上に立つ、人をつくる職」という部分です。
その気持ちで生徒に接すれば、彼らの心を引き寄せることは難しいと思います。
「先輩ではある、でも自分もあなたたちに教師として育てて頂いている」という謙虚さを持たなければ、せっかくのゆーりさんの熱意も空回りしてしまうのではないでしょうか。

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浦上 哲也
横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗...
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いじめはなくなりますが・・・。

 いじめを無くすのは簡単です。規則通り皆が生きればいいこと。自分の感情を誰も持たず規則のみで生きていればいじめはなくなると思いますが、新たな問題が起こります。思いやりが無くなることですかね。感情と規則は車の両輪ですね。
 ゆーりさんはいじめを生徒だけの問題にしていませんか?教師同士でもありませんか?自分が学校休んだ時、誰が代わりに授業を行うかを考えると普段から周りに調子を合わせてないと何もフォローしてくれないとは思いませんか。まずは教師同士が良い関係であること見せつけないと生徒は引っ張っていけないと思いますが、教師同士にもさまざまな問題があって一筋縄ではいかないこともありますよね。結局、授業の教材やらテストの採点やらPTAやら学校や地域の行事、クラブ活動の顧問でアップアップ。市や県の教育委員会や文科省に活動報告をそれぞれ提出する。新人や人のいい人に回ってくる。いじめ何て考えている暇なし。生徒のことを見ている暇なし。気付けば定年だ。
 いじめを無くすと頑張ったら、過労死覚悟ですよ。その覚悟をもって教師を務めなくてはいけないのが現状かもしれません。解決方法はありません。ワシのできることは困っている人に声を掛けることと、どんなときもゆーりさんの味方に立ち、hasunohaで回答と声援を送るだけです。ワシはあなたの後方支援に回るよう努力をいたします。
 

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ちょい悪坊主を目指しています。尊敬する人は一休さん。
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いじめは無くなりません

いじめは無くなりません。残念ですが。ただ、いじめをする自分を知る事により、減らす事は出来るかもしれません。
十二光仏に無の付くものが幾つかあります。無量、無辺、無対、無碍、無称があります。
量とは量る事です。辺とは分ける事、対は対比、碍は自己、称はレッテルです。
人はハカリ、自分と比べ、レッテルを貼り、上下関係を作ります。
自分には、人を傷付ける要素と能力を持つ存在、ということを知り引き受け、自覚する事が大切だと思いますし、一番の抑止力になると思います。

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「心の問題」

ゆーり様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「いじめ」・・確かにゆーり様のおっしゃるように原因には「心の問題」が控えてございます。それも、仏教的には「煩悩」というやっかいな心がその正体であり、更には、その煩悩の親玉・親分である「無明」(根本的な無知)も対治していくべき対象として扱うこととなります。

このことは以前にも下記問いにて少しく扱わせて頂きました。

問い「乳児、幼児、児童虐待のない世界になってほしいです。」
http://hasunoha.jp/questions/214

もちろん、「煩悩」・「無明」、または、過去世から引き継いできてしまっている悪い行いの集積・習気である「悪業」を対治していくのは容易ではありません。

しかし、私たちは堅固なる菩提心(悟りを目指そうとする心)を起こすことにより、それらの対治へ向けて絶え間なく精進努力していくことが望まれることとなります。

それを、とうてい無理だ、難しい、やはり厳しい・・と弱音を吐いて諦めてしまっては、とても悟りへ到達することができなくなってしまいます。そして、また同じように輪廻の迷いの中で悶え苦しみ続けてしまうこととなります。

迷い苦しみの連鎖、連続から脱するためにも、しっかりと心に確かなる菩提心を起こして、智慧(空と縁起の理解)の開発(かいほつ)と福徳(善徳行・慈悲利他行)の二資糧を積み、悟りへと向けて調えて参りたいものでございます。

以上は仏教的な観点からのお答えとなりますが、世間一般的にも、初等教育の頃より、しっかりとした倫理観・道徳観を確立させるプログラムを導入することで、悪いことを成さず善い行いに努め励むことを推奨し、思い遣りの心、親切心や支え合い・助け合い・分かち合いの精神を滋養していくことがいじめ問題を無くすためにも必要なのではないかと存じております。

どうぞ教育に携わられるお立場となりましたら、誠に宜しくお願い申しあげます。

川口英俊 合掌

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「職場・学校・昔からのいじめ」問答一覧

過去のいじめについて

私は今ものすごく後悔しています 私が小学4年生のときある女の子に対して陰口を言っていました 根拠なんて全く無い「臭い、気持ち悪い」などの悪口です 本人には直接言ってはいませんが、影では言っていました… 私の中では「みんな言ってるしこの子はそういう事を言われる子なんだ、言って大丈夫なんだ」というこの子の事を悪く言うのは駄目なことではないんだ、という馬鹿げた認識でした。 実際、その子には少し変わった行動をしてたり、よく宿題を忘れて怒られてる女の子でした。しかし、だからと言ってその子に対して悪口を言って良い理由にはなりません。 私はその後小学6年生の夏休み明けからクラスの女子と登下校を一緒にしていた友達からハブられました これは卒業するまでずっと続きました 私は中学3年生になってそのハブられていた記憶がフラッシュバックし学校にいけなくなりました 私は初めてそこで私が陰口をその女の子に言っていた事がどんなに駄目なことかが気づきました 気づくのにはとても遅すぎました いまその子が何をしているかは分かりませんが、私は自分がハブられていたときの記憶と陰口を言っていた記憶でうつ病になり闘病生活をおくっています 今思うと、とても愚かな行為でどんな事をしても許されない行為です けど、楽になりたいって思ってしまいます。陰口を言われた本人はもっと傷ついてると思うと、結局私は自分が一番かわいいんです。自分を守りたいんです こんな自分がほんとに嫌です この事を精神科の先生に言うか迷ってます。拒絶されるかもしれない、それがすごく怖いです でも、こんな事を怖いと思う自分が嫌なんです。自分が過去にした行いに対して自分が救われたいだけなんです。 それでも、迷ってしまいます 私は病院の先生にこの事で悩んでしんどくなってると言うべきなのでしょうか? もし可能で得るならば返信お願いします

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いじめをしたことの後悔

小学生の時に周りの人もやっていたという理由でやった1人の人に対しての臭いなどの悪口や臭いと言っていた人とは別の人に対して家に行った時に横暴な態度を取ったり、嫌がらせをしたりしてました。 今はそんな人たちは友達ではないと思えるのですが、当時は色々な人に奢らないと一緒に入れないような気がして色々な人に奢っていました。 横暴な態度をとっていた人に「金返せ」と言い、相手が「あ〜そういえばそういうこともあったね。いくらだったったけ?」と言い「〇〇円だよ」と言い返してもらったのですが、その時先生に「かつあげされたって言っている子がいるんだけどした?」と言われたんです。 その時は、相手も俺に借りたかのような態度だったし、自分も奢ったと思い込んでいたのですが今になって相手の性格などを考慮して考えると自分が思い込んでいただけだったことに気が付きました。 中学三年の時と高校の時にいじめを経験しそれもあって全てを謝罪したいと思ったのですが、自分が罪悪感から解放されたいがために謝罪をするのではないかと自問自答を繰り返してしまい答えが出ません。 そして、相手の連絡先もわからないし、同級生に聞いたりしても誰も知らないとのことで実家に行っていたら謝罪をするか、もしどこかであった時に謝罪をするのが良いのかわかりません。 実家に行っても相手がいるかどうかわかりませんし、トラウマを蘇らせてしまうだけで相手にとって良いことはないんじゃないかと思ってしまいます。どうすれば良いですか? 因みにこれから先は、いじめをしたことあるし、いじめられたこともある人としていじめをなくすためにできることをやっていこうと思っているのですが、元いじめっ子にその資格があると思いますか? 稚拙な文章で申し訳ございません。

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過去について

中学一年の頃、数ヶ月間にわたる一人のクラスメイト(aさん)に対する冷やかし、陰口等によるいじめがありました。未熟だった私は、外からそれを、被害者の方に気づかれないように、笑ってしまっていました。少しした後、主犯格とクラス全体に対する担任からの指導が入りました。それ以来いじめも収まり、私も反省し二度と同じ誤ちを繰り返さないよう誓いました。 それからは、知人からaさんに対する陰口を誘われた場合にも、自ら注意することや、困っている人がいたら自分のできる範囲で手助けさせていただくことを意識して生活して来ました。 又、私とaさんは互いに唯一の三年間、同じクラスになり続けたもの同士でもあった為、部活やクラスで話す様になりました。クラスでのaさんは、積極的にクラス行事、学校行事に参加しており、卒業間近のクラス会ではクラスメイトと仲良く話す姿や、写真に積極的に入って行く姿が見られました。私はそれを見て、勝手に許されたものだと思い、卒業しました。 しかしその後、中一の頃のことについて謝罪していないことへの罪悪感から、謝罪させていただきました。aさんは「◯◯君が私にしたことは覚えていないし、4年前についてのこともあまり覚えていないから大丈夫だよ。過去のことだし、気にしなくて大丈夫だから、仲良くしていこう」と返答してくれました。 しかし真に謝ることができた気がせず、現在は事あるごとに思い出し、罪悪感と反省を繰り返しています。私は自分の生活を楽しんで良いのでしょうか。生きていて良いのでしょうか。

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自ら縁を切り、仲間外れにした後悔

先日はご回答頂き、本当にありがとうございました。 あれから改めて過去の自分の行いを見つめ、考えるようになりました。 自分はどれだけの人に迷惑をかけ、傷つけてきたのかを痛感し、今更ながらとても後悔しています。 これは中学生のときの話なのですが、私と友人A、Bは何かにつけていつも一緒に行動していました。 最初のころは3人仲良くしていましたが、次第に私はAに対して苦手意識を持つようになりました。理由としては、Aが私に対して異常なほど依存・執着していたこと、楽しくなると場の空気を読まずに騒ぐこと、ノリがきつい(寒い)ことなどがありました。 あるときそのことをBに相談すると、Bも「私もそう思ってた!」とのこと。私とBは「2人ともAのことが苦手なら、これからは2人で過ごそう」と、ある時からAのことを一緒に避けるようになりました。仲間外れ、いじめだと思います。 大学生になり、ふとこのことが頭に浮かんだ時、自分はなんてひどいことをしてしまったのだろうという罪悪感でいっぱいになりました。なぜ当時は何も感じず、人の気持ちを踏みにじるようなことをしたのか… 当時付き合っていた人にも打ち明けました。全てを聞いた彼は「そういうのは中学生だったら良くあることだよ」と言いました。私はそれを聞き、「ああそうなんだ、そう言ってくれて良かった、許されたんだ」と安心してしまいました。今ではそのことも後悔しています。結局のところ、本当に反省しきれていませんでした。 私は昔から外面だけはよく、「優しいね」「いい子だね」と言われることが多かったです。それで、自分は優しくていい人間なんだと信じて疑わず、思い上がっていました。 しかし、思い返せば心無い言動で人を傷つけてばかりでした。 特にAに対しては、いくら苦手だったとはいえ一方的に仲間から外し、心に深い傷を負わせました。本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。 今でもAのラインは持っています。謝罪したいのはもちろんですが、謝るのは自己満足でしかないとも感じます。 こんな人間の相談ですが、どうかお坊さまのご意見、ご指導を頂戴できたら幸いです。 どんな厳しいお言葉でも構いません。 よろしくお願いいたします。

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