両親を許せません
初めまして、お餅と言います。
私の両親とどう向き合うかについて、お尋ねいたします。
2019年に風邪をこじらせて肺炎入院したのを機に、治療でのコントロールが難しい【重症喘息】の診断を受けました。
当時は仕事も息切れ、夕方息が出来なくなり、夫に早退してもらい、私を救急外来に連れて行く…こんな日が月4-5回。
医師から救急車を呼べと言われましたが、緊急処置の間に2歳の子どもを見る人が居ないため、呼ぶに呼べない状況でした。
この状況を見て、医師から喘息手術【サーモプラスティ】を勧められました。
喘息がかなり酷く、夕方の発作で普通の生活すら送れない状況でした。
手術は受ける予定でしたが、2カ月の間に3回手術&入院1週間を繰り返す必要があり、その間子どもをどうするか考える必要がありました。
通常預けている託児は勤務外でダメ、市の保育園は診断書も持って3回申請したけど受け入れは出来ない、一時保育も市内と隣市全てかけるもムリ、もう九州の実家に頼らざるを得ないと判断しました。
元々、学生時代から大事な時に返事を覆す両親だったので、正直躊躇しましたが、このままでは手術を受けられないので、手術期間の半分だけでも子どもを預かってもらえないかと相談。
両親は了解してくれました。
大きな発作が手術1週間前に起きると延期になってしまうので、私も休職し、友人にも協力してもらい、入院中の子どもの送迎や預かりももう一度市に直訴し、治療中保育園も入れる事になりました。
後は両親に預けるための飛行機の手配を決めるだけの段階に。
ところが、最終確認の電話をした時、両親の『覆し』が始りました。
手術3週間前のことです。
突然父が『お前は努力が足りない、治す気を感じない』『病気が治らないとは医師が言っているだけだ。絶対治せ(喘息は軽減できても治せない)』『治す気がないなら子どもを預からない』等罵倒に近い事を言われ、同席していた母は小児喘息で大変だった経験があるのに、父の会話を諫めず、止めもしませんでした。
2人共『治す事に専念できるよう協力する』と何度も言ってくれたのに。
結局両親に子どもは預けず、友人や行政に頼み、何とか乗り切りました。
両親とは距離を置いています。
後日『励ましのつもりだった』と言われましたが、励ましの言葉ではなかったです。
許せない、でも私の心が狭いだけ?許すべき?
実両親とのすれ違い、認識の違い、過干渉
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
日常的にはどうだったのだろう、とは思うけれど。
こんにちは。あなたの問いの文章を読む限りでは、「そりゃひどい親御さんだな」と感じます。一旦「いいよ」と言っておきながら、近くになってから手のひら返しとはね。
だから、許さないでいいと思います。もう頼らないし、頼られても応じないと。
で、今後どうするか?が問題ですよね?
一つには、そういう託児を受ける民間施設を探してみる。レギュラーではないと割高にはなるでしょうけれど、便利さと引き換えです。あるいはお母さん同士でそういったネットワークを作っておく(今でもあるのでしょうから、それを大切にする)。
二つには、ご主人の親御さんに頼らせていただく。これは、日常どのように接しているかが問われます。
ということで、2つの可能性を示してみましたが、「何かあった時だけ頼りたい」というならお金と引き換え。「普段から面倒も含め付き合いがある」ならイザという時にも頼りになるかも、と思います。
そもそも、あなたご自身の親御さんとは、日常的にどんなおつきあいをされているのでしょうか。住んでいる距離は遠いようですが、電話とか手紙とか季節のものを送るとか。お互い「困った時だけ」というのは、いささか心許ない感じがいたしますが…。
真犯人は笑っている 👿
まぁ、相手を責めずに人を責めずに。ましてや夫や親を責めてはいけまへんアルよ。病気の原因の真犯人をホントに突き止めましょう。
病気がつらいから辛くて人に当たってしまったり、何があっても悪く言われているような気になってしまう。
私も妻も去年の10月ぐらいからずっと咳が止まらんのです。
風邪やインフルというより、体が入れたくないものが存在して反応を起こしているのかもしれません。
こういう話になると陰謀論系の人はすぐにマスク業界、空気清浄機、医療業界、保険業界の陰謀で「( ゚Д゚)ケムトレイルじゃー」となるのですが(笑)私が思うに実は生活用品の何らかが関わっているとホトケのチョッカンで感じました。
もちろん、この季節は空気も土も乾燥しますのでヘンテコな農薬が舞って体が外に出したいから反応しているなんてことも考えられなくもないですが雨が降れば静まるものも静まります。
朝方に咳が出るのであれば寝室に原因があるかもです。
エアコン、カーペット、洗剤はどうか。
私は乾燥するのでエアコンは使わないのです。
加湿器によるカビはどうか。
何らかのアレルギー物質ちゃんが原因なのかもしれないよね~。(なぜそこを可愛く言う)
ウチは娘も妻も私よりはるかに高いレベルのアレルギー体質でして。
もはやオットアレルギー、papaアレルギーに突入するレベルです。(哀)
以外にヤバいのは実は枕とか布団だったりするんです。
もふもふのクッションとか最近の謎のコスパ安い産の製品って国産って書いてあっても國產だったりで古くなると繊維が微粒子でマイ子プラズマもビックリな細かいホコリになってたりするアルよ。
洗剤とか洗濯方法も結構大事なんですよね。
詰め込むと洗えていないし。
最近の洗剤は変に科学化学してたり、不自然な香料が合わなかったり。
そもそも変なビョーキが急に流行り出したのって最近じゃないスか?
五感を中心にどのようなものが体内に入り込んでいるかを人間の都合や条件付け無しのホトケマインドでサーチしてみましょう。
意外なところに犯人がいるんです。( ゚Д゚)貴様か!
その犯人こそが悪者なのに、夫や家族が悪者にされてしまう。
家族もあなたの態度にも敏感になってますよ?
アレルギー体質、アレルギー心質をこそ見つめなおして真犯人を突き止めましょう。うちは百円ショップや子供がUFOキャッチャーで取ってきた「國產」を…
質問者からのお礼
佐藤良文様
御回答いただき、ありがとうございます。
両親とは遠距離ですが、トラブル前は月に1-2回の電話、度々メールし、年一度は私が子どもを連れて飛行機で帰省(実家は自営のため来たことは9年間で3回母だけ)、もちろん帰省時にお世話になるので手土産も毎年持っていきますし、両親の誕生日に2人の好きな日本酒を送り、旅行先でも両親にお土産を送っていました。
今まで看護短大と1年進学させてもらいましたし、育ててもらった恩があります。
主人の実家は近いのですが、義母は杖をついており、今年両膝を人工関節にするよう勧められたほど足が悪く、義父は遊び相手はしますし可愛がってくれますが、仕事をしているので預かれません。
また、義父は亭主関白過ぎて義母の手伝いを一切しません(預けると義母の負担が逆に増える)。
また、義実家は高齢のため、手術も度々受けており、受診や手術の付き添い、お見舞いは私が殆ど引き受けています。
最初に書ききれなかったのですが、今の子に恵まれるまでに6回流産と手術をしており、手術を受ける手前、経緯を伝えると母からは『えー?』と迷惑そうな嫌そうな、そんな返事を毎回貰っていました。
我が子に会えず、これから手術で痛い前処置と手術を控えている時に、何度も。
終いには妊娠を伝えた時点で『えー?』と言われるようになりました。
傷付くからやめてくれ、子を産めず、えーと言いたいのは私だと何度も伝えましたが、変わりませんでした。
特殊な病気で抗がん剤治療をした際、副作用で外来通院中に倒れたことがあり、最後の治療直後に母に来てもらった時、繁忙期の時に母を借りて申し訳ないと父に伝えたところ、『本当だよ、早くお母さん返して』と言われました。
それもショックで、その言い方ないと言いましたが、母は父は冗談で言ったから本気にするな、父からはそんな事いつまでも気にすんなと言われました。
いつも『何かあったら飛んでいくから言ってね』『何かあれば連絡しなさい』と言うのに、本当に夫婦で限界まで頑張って、でももうどうにもできない時に相談してはこの対応…今までなら大人2人だったので『もういい』と言えましたが、今回ばかりは子どもがいるのでそういうわけにもいきませんでした。
追記させて下さい。
弟から、母が号泣していて可愛そうだ、仲直り出来ないのかと連絡がありました。
今までの経緯を経て今回の相談内容以降、私の心には両親の心配するメールや言葉が、もう何も響かず、営業メールを読むような感じです。
どうせ翻すのだ、こちらが何度やめてと訴えても止めなかったように、何でこんなに怒っているか分からないという両親は、許してもきっとまた繰り返すのだという怒り。
反面、離れていて年に1度しか会わせられない、可愛い盛りの子ども(孫)から、祖父母の愛情を奪っていいのかという迷いが鬩ぎ合って苦しいです。
でももうあんなに傷付けた両親から解放されたい。
義父母は夫婦間こそ問題はあるものの、私の病気や繰り返す入院に、その都度快気祝いで外食に行ったり、足が痛いのに義母がおかずやパンを差し入れてくれ、本当に助けていただきました。
遠く自営業、犬の介護とあれこれ言っては返事を覆す両親と比べては、恩を感じる一方、何故自分の親は…と思ってしまいます。
丹下覚元様
御回答ありがとうございます。
アドバイスいただきましたアレルゲンは、既に検査で何も原因が出なかった事が判明していました。
病気を理由に過敏になっているのは一理あるかもしれません。ありがとうございました。