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他の浄土にいる人と会えるのか?

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最近、お浄土にはたくさんの種類があると知りました。
私の家系は浄土真宗なので、阿弥陀様の極楽浄土に生まれ変わらせていただくことになると思います。
ということは、生前に阿弥陀如来様を信仰していた人と、死後に極楽浄土で再会できるということでしょうか?

また、たとえば薬師如来様を御本尊として信仰している人が往生した場合、東方浄瑠璃浄土というお浄土に行きますよね?
そうした場合、私はその人とは会えなくなってしまうのですか?

仏教初心者なので、どこか間違っていたら申し訳ありません。
いろんな宗派のお坊様から回答をいただけたらありがたく思います。
よろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 5件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

宗派など問わずに会えるとおもいます

初めまして、今日は。

ご質問を拝見させて頂きました。

賛否や、いや!違う!!と言われてしまうと思いますが・・

私は真言宗のお寺のお坊さんです。ご先祖さま、父母、友人・・人の命が様々な人と繋がっていて、想いや願いがこの身体には込められています。

人生と言う冒険旅行はそれぞれのストーリーを描き、主人公として歩むので人生は違っても、スタートもゴールも生きとしいきる全てが平等で一緒です。

私はこう思っています。

宗派も、人種も、国境も隔てなく・・彼岸(あの世)の世界は繋がっていて、争いも、憎しみもなく会いたい人にスッと会えたりする世界だと。

此岸(この世)にいる人の心に霊魂が入って共に歩んだり、ご先祖様!と手を合わせればその元に来られて、祈る姿に微笑んで応えてくれる・・そう信じています。

お仏壇は、此岸と彼岸を結ぶ電話ボックスとも思っています。

純粋な祈りは時空も国境も超えると思います。

人間に生れる確率や、明日が訪れる事・・それは奇跡だと思います。昨日ではなく、明日でもない、今と言う奇跡の時をあなたらしく生きて、無理なく出来る善きことを生きる今、周りに恩返しをしながら人生の冒険旅行をあなたらしく仕合せに歩める事を願っております。

南無大師遍照金剛

合掌

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永寛
皆様、初めまして。ストレスの多い現代・・お寺とはご葬儀や法事のみではなく、...
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大丈夫、再会できますよ。

お浄土に生まれるということは、
成仏する(仏さまに成る)ということです。
仏さまは人間の思惟を超えていますから、
我々が考えるようなことは全て出来ます。

たとえ違うお浄土に生まれても、
他のお浄土に移動するのは容易いでしょうね。

私はそのように信じています。

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おきもち

和田隆恩
 浄土真宗(大谷派)/広島県広島市/17世住職。  1967年京都市生ま...
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お浄土はさとりの世界

とても難しい…そして同時にとても大切な質問です。どうか簡単に答えを出してしまわないで、このことを本当にあなたの課題とするならばこれからも自ら問い、確かめ続けてください。

死後のことは誰にもわかりません。ですから会えるかどうかという質問に対し、「会える」という答えも「会えない」という答えもある意味では不確かなものでしかありません。

この問いを仏教として考えるならば、お経ではどう説かれているかということになります。

お浄土にはたくさんの種類があるというのはその通りです。ですが「お浄土=死後世界」ではなく「お浄土=その仏様の悟りの世界」なのです。

仏様が修行の段階において自分が真理に目覚めたならばどのような世界を開きたいかを考え、その修行が成し遂げられて出来る世界がお浄土です。

その中で阿弥陀如来の極楽浄土は確かにお経を読むと、南無阿弥陀仏とお念仏を申す人は死後にそこ生まれる。そこに生まれることを願いお念仏を申す人は誰も排除されないという世界として説かれています。

そう聞くと私たちは死後にそういう理想的な世界があるとどうしてもイメージします。確かにお経でもお浄土はきらびやかで苦しみのない世界として説かれています。

しかし、そもそも浄土とは仏様のさとり世界なのですから有・無とか自・他とかそうした二項対立を超えた世界であり、私たちの感覚では見たり聞いたり考えたり想像したりすることも及ばない世界なのです。

私たちは自分の見たもの聞いたもの考えたものにとらわれ、分別(分け隔てて評価する)し、そうして迷う存在なのであって、仏様の世界はそうしたものを超えたものなのです。

だけれどもそれでは私たちにはそこに生まれたいと願う事すらままならないので、私たちにもわかるように、そしてそこに生まれたいと願うように例えばきらびやかな世界として説かれているのです。
こうした表現を「方便(読み:ほうべん 意味:真理に近付くための手立て)」と言います。

この方便によって死後についての豊かな物語が描かれます。生きている私たちの願いとしてはそこに生まれ、また、みんなと会いたいですよね。

でも逆に会いたくない人もいるのが私たちの現実の姿ではないでしょうか。そんな私がこのままの姿でお浄土に生まれてもこの娑婆世界と変わりません。

その私の姿を今教えてくれるのがお浄土でもあるのです。

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おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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お会いできます

拝読させて頂きました。
お亡くなりなられた方々と会えると思います。仏様に導かれて仏様のお浄土に生まれて、沢山の方々に出会うことができます。そして皆さんと一緒に仏様からお話を伺い、全てのものは円満にご成仏なさいます。
ご成仏なさるつまり仏と成ることで様々な無限の能力を身につけることができます。そしてわずか一瞬にして思ったところに行くこともできるようになりますし、会いたい方々にもお会いすることができます。また困っている方や苦しむ方々を救い導いてあげることもできるようになるのです。

仏様の教えとは全てのものを成仏へと導く教えです。無限のかなたや時空を超えてあまたのものを導き救って下さる教えです。

ですからあなたのご先祖様や親しい方々にも必ずお会いすることができるのです。今この瞬間もあなたも私もあまたのものやご先祖様に守られ支えられているのですからね。
どうか安心してご精進なさって下さいね。

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Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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あなたが亡くなるとあなたの記憶も亡くなります

 あなたの記憶はあくまで脳が司っているわけですから、基本的にあなたが亡くなればあなたの記憶も亡くなるわけです。だから、あなたのことを覚えているのは基本的にあなたの遺族、関係者のみです。浄土があるかどうかは仏教的に中性です。あるとは言われているが、死んだ後どうなるかは誰も見てきてないし、帰ってきた人はいません。証明は出来ないのです。
 でも、あなたの大切な人を思う気持ちは生きているからこそ出来るものです。良くも悪くも亡くなった人は思いが強い人の中に住み続けるのです。それはもう変えようのない像なのです。悪いことをして亡くなれば悪い印象のまま人の記憶に残り、良いことをした人は良い印象のまま人の記憶に残ります。亡くなった人の誤解を解くには生きている人の力を使わないと解けません。
 あなたの記憶の中に大切な人が常に浮かぶなら、その気持ちを大切にしてください。それは記憶の中で大切な人に出会っていることと同じことなのです。その記憶を鮮明に思い出すために、普段から規則正しい生活をして、身体の健康に気遣い、周りの人で困っている人がいたら、手を差し伸べる精進をしてください。それはあなたの大切な人をもっと良く記憶に残す手助けとなるでしょう。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ