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宗派が違うものは信じてはいけない?

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こんにちは。中学生の時に般若心経と出会って大変感動し、お正月は浄土真宗のお寺などにお世話になっています。

しかし、仏教の勉強をする中で「海印三昧」という言葉に出会いました。仏の心を表すこの言葉が非常に気に入ったのですが、その言葉は「華厳経を説く時に入った」ということを知りました。つまり般若心経や浄土真宗とはあまり関係が無い(?)と…。

根本は同じ仏教とはいえ、浄土真宗にお世話になっている私が海印三昧の言葉を気にいっていいのか(?)、信じていいのか(?)疑問です。(なんと表現すればいいのか…)

宗派が違えど、勉強として沢山の言葉を吸収したいという気持ちはあります。

初質問の上、仏教に対してまだまだ勉強不足ですので、無礼な表現がありましたら申し訳ございません。 ご回答頂けるとうれしいです。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

信じる必要はないが、学ぶことはよいことでしょう。

こんにちは。亀山純史と申します。私は浄土真宗の僧侶です。どうぞよろしくお願いします。

浄土真宗は一向宗とも呼ばれていました。一向宗の「一」とは阿弥陀如来です。つまり、阿弥陀如来だけを拝む宗派が浄土真宗ということです。ということは、「他の宗派の仏様を信仰の対象にしてはいけないの?」「他の宗派の経典を信じてはいけないの?」という疑問が出てくるのは当然でしょう。浄土真宗が阿弥陀如来だけを拝むという教えになっているのは、自分自身の在り方を突き詰めていった先に見いだされた教えです。ですので、教義的には、「他の宗派の仏様や経典を信じる必要はない。」ということです。

しかしこれは、「それらを学んではいけない。」ということではありません。宗教に限らず、どの分野においても、さまざまな流派やカテゴリーがあります。たとえば、絵画では水彩画もあれば、油絵もあります。水彩画を専門にする芸術家は、油絵を描く必要はないわけですが、油絵とはどのようなものなのか、ということは学んでおいて無駄なことはないと思います。むしろ、他の絵画の特徴を知ることで、自分が専門とする絵画をよりよく理解することも出来るでしょう。宗教においても同様だと思います。

以上のことをまとめると、「宗派が違うものは信じてはいけない?」という問いへの私からの回答は、「宗派が違うものを信じる必要はない。ただ、宗派が違うものを学ぶことは無駄なことではなく、むしろ、ご自身が信仰している宗派をよりよく理解するのに役立つことでしょう。」となります。

ちなみに、浄土真宗では般若心経は唱えません。ですが、私自身、大学(仏教学専攻-インド哲学ゼミ)では、般若思想と大いに関わり合いのある空思想(色即是空の空です。)を卒論テーマとし、現在、浄土真宗の僧侶になっています。

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hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧...
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宗派や人種など関係ないと私は思います

初めまして、お早う御座います。

私は、真言宗の単立の小さなお寺の住職です。立派なお寺でもなければ豪華な飾りもご本尊様も手書きです。抜苦与楽(ばっくよらく)とは仏教の基本だと思って日々その精神で修行をしながら過ごさせて頂いております。

そして、宗派も人種も国境も全て隔てなく、見返りがなく純粋な祈りが大切だとおもっております。

真言宗の僧侶ですが、他宗さまのお寺でもお寺様の前を通らせて頂く時などは手を合わせさせて頂いております。気になったお寺様でしたら参拝させて頂いております。

仏教はブッタさまから様々に枝分かれをして、それは家系図の様に様々な宗派などに分かれて現代に至っております。

御信仰されている宗派を基本とし大切にされ、他宗様の善きことを是非ご吸収されご自身のものになされることはとても良いと思います。元をたどれば一緒なのですから・・。

仏教の教えは、生きていく上での様々なヒントと言うパズルが沢山ございます。そのヒントを集めていくことにより、見るもの全てが変わって見えてきます。そして思考も変わってきます。

あなたらしく希望ある人生と言う冒険旅行を仕合せに歩めますように。

合掌

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おきもち

永寛
皆様、初めまして。ストレスの多い現代・・お寺とはご葬儀や法事のみではなく、...
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学びを支えてくれるもの。

信じていいものかどうか
まずは学んでみていただければ。

信じるということと学ぶということは
ひとまず別物ととらえていただいて
たくさんの教えを学んでいってよいと思います。

たくさん学んだ方がよいか
ひとつのことだけ信じていたほうがよいか

それはどちらも自分自身にかかっていますから。

個人的な話ですが。
実際
学ぶにしても、教え同士で矛盾を感じることがありますし
信じるにしても、自分自身のうちに矛盾が生まれてしまうこともあります。

どちらも自分の中の矛盾なんですね。

その矛盾を見ないふりせずにきちんと向き合うことが
自分を支えてくれる仏の道だと思います。

見ないふりすることは、仏の道がとまってしまう。
そうすると”支え”にならない、信じるに足らない。

そうなってしまうんです。
私の場合はそうです。

自分の矛盾を支えてくれる、そんな出会いを見つけていただきたいです。

学びを支えてくれるもの。
私はそんな”教え”を信じています。

                     南無釈迦牟尼仏 合掌

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吉井浩文
Buddhism. knowing what it actually i...
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浄土で学ぶ教えの予習

阿弥陀仏の極楽浄土を目指すのは、極楽浄土が仏教を学びやすい、悟りやすい環境だからです。
極楽浄土に往生すれば、華厳経の教えも学べるでしょう。
高校受験を目指す中学生が、高校生レベルの知識を一足先に学んでも、悪いことではありません。

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がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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質問者からのお礼

追記・お世話になっているのは浄土宗でした…肝心なところを間違えていてすみません😣

またどのご回答も大変参考になりました。宗派の違いによるマナー(?)的な観点のご回答から、学とは何なのかという点まで話を広げてくださり嬉しかったです。

追記したい内容があったので一旦御礼をさせて頂きましたが、引き続きご回答頂ける他のお坊さんがいらっしゃいましたら楽しみに待っています!

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ