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例のCMについて

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最近、CMで沢山流れている『お坊さんの居ないお葬式』を御覧になられた感想をお聞かせください。
名古屋にある、ナインアンドパートナーズ株式会社が運営しているみたいです。

全国の仏教会から抗議、批判があっても当然かと思いますが、如何でしょうか?


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お坊さんからの回答 6件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

タブーを破る。

あくまで、ひとつの見解として
申し上げます。

お坊さんはもともと
お葬式には関わっていませんでした。

現在、一般の人のお葬式にお坊さんが関わるのは
ほとんど日本だけといっていいと思います。

ただ、鎌倉時代期、
「死」というのは穢れの観念とあいまって
一種タブー視されていたことがあるようです。

でも死者を弔いたい気持ちのある人は多い。
タブーがあるためにその気持ちを押し殺していた
当時の人々の暮らしの中で
そのタブーから人々を解放しようとしたのが
お坊さんだったようです。

そういう意味では、
当時「葬式仏教」は革新的だったのです。

もちろんさかのぼれば弔いに関わったお坊さんもいましたし、
そのときどきの時代背景をはらんでいるのですが、

大事なことは
人々の気持ちを”押し殺している”なにかがあるとしたら
それをほどく手伝いをするのが
お坊さんの役目だったのかな、と
歴史的に見て私はそう思います。

タブーというのは、一種の連帯感を生みますし、欠かせないものもあると思います。
しかしそれが人々の心を押し殺してきた面がだんだん強くなると
いつかはそれを破る必要が出てくるのではないでしょうか。

現代で言えばすなわち、お葬式には
”お坊さんがいなければならない”
というタブーですね。

葬式仏教の誕生は、当時のタブーが破られたことと関係が深いと思います。

現在の状況は、
言うなれば。

今また何百年のときをこえて
違ったかたちで
タブーが破られるときがきた、ということではないでしょうか。

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吉井浩文
Buddhism. knowing what it actually i...
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そういう需要があるのなら仕方がない。

そもそも
『お坊さんの居ないお葬式』でもいいよね
と思わせてしまった仏教界の自己責任も大きいです。

我らがすべきは
『お坊さんの居るお葬式はいいね』
と思われるよう
残された家族に寄り添い
厳かな儀式執行に精進するだけです。

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和田隆恩
 浄土真宗(大谷派)/広島県広島市/17世住職。  1967年京都市生ま...
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マツケンさんはどう思いますか?

はじめまして、こんにちは。

マツケンさんは、過去の質問から私と同じ僧侶でいらっしゃることを知りました。

私は、葬儀だけを問題にして、葬儀後のことは面倒を見ないであろう、その企業方針自体が無責任極まりないと思います。無宗教で葬儀して、その後に仏事やお墓の問題が発生しても、その時は喪主・施主自身の口から周辺の寺院に頼らせるのでしょう。無宗教だったら、無宗教でその後も貫徹すれば何も問題ないのでしょうが、現実はそんなに簡単ではありません。既にある仏壇、親せき関係、境内墓地の関係等々、寺院を通さない方法は後々に余計複雑化します。現に、そういう問題は私の周辺でも起きています。

葬儀その後のことまで含めた仏事全般について、良く分かっていない喪家に対して僧侶を呼ばないメリットだけの説明をしているのでしょう。デメリットまで十分に説明しているとはとても考えられません。良くわかっていない人に対して、結果的にその時だけの付き合いをする、という態度は実に都合がいいものだと呆れます。

私はこのように思います。
マツケンさんはどう思いますか?
折角のご縁ですから、皆さんに対するお礼メールでご意見を伺いたいです。

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釋 悠水(しゃくゆうすい)
浄土真宗本願寺派報恩寺住職(兵庫県三木市) 本願寺派布教使 元本願寺布...
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無宗教なのになぜクリスマスにサンタが来るのだろう

「無宗教なのになぜお坊さんを呼ぶのだろう」ってCMですね。
つまりなぜお葬式にはお坊さんが必要なのか問うているのでしょう。
宗教とは何か?葬儀とは何か?
このCMを通して多くの人が葬儀のありかたについて深く考え直すいい機会になると思います。

やはりお坊さんは必要だよな、と思ってもらえるように精進します。

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・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoh...
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なるほどねぇ

 御質問有難うございます。私もお坊さん便で抗議した事を思い出しました。
 私は『お坊さんの居ないお葬式』のCMは気にしないです。結論から申し上げると
売り上げだけのCMではないかと思います。DMMさんも同じCMを流されていますが、売り上げよりもいかに丁重に葬儀を行う事だと思いますよ、お坊さんは生きている方に法を説く事だと思います。亡くなられた方の供養という考えで行うと異安心だと思いますので、その事を踏まえて葬儀を行うべきだと感じます。   合掌

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山寺の住職です。他の仕事と兼務してます。
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直葬からの流れだと思いますよ

私は当該CMは見ていませんが、問題にするレベルではないと思います。ちょっと前に葬儀産業が直葬を流行らせようとして失敗したとか、イオンの葬式とかと同じく定着しないと思いますよ。葬式仏教の起源は吉井師の言う通りですし、地縁血縁の問題は釈師の言う通りですから。既存権益を侵されたと大騒ぎすることじゃないかと。

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浄土宗僧侶です。 寺に生を受け、小学校5年で、得度(お坊さんになる儀式)...
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質問者からのお礼

御法務のお忙しい中、丁寧で真摯な回答をありがとうございました。

昨今、葬儀も縮小化し、院号も必要無し、寺院の永代祠堂経の勧募も儘ならない状況に於いて、寺院最大の経済基盤である葬儀減少に拍車を掛け得る、『例のCM』に憤慨して質問させて頂きました。

様々な観点が有りますが、寺院護持運営の視点では完全な営業妨害だと考えます。
少し前のお寺さん便の問題より遥かに次元が違うと思います。

また、ゴールデンタイムにあれだけのCMを流せる潤沢な資金、他の宗教者ではなく、仏教者を名指し。
色々妄想すると、バックは学会が付いているのでは?と、穿った想像してしまいます(笑)
何れにせよ、これは日本古来の精神文化の担い手、継承者でもある、僧侶を蔑ろにする一大事の出来事だと思います。

「葬儀」問答一覧

祖父の葬儀での出来事

先日祖父が亡くなり、生前からの祖父の意向もあり、家族のみ参列し、所謂直葬を執り行いました。 無宗教ということと、以前身内の葬儀の際にお坊さんの振る舞いについてとても嫌な思いをしたことがあったようで、それ以来自分が死んだら戒名もお経もいらないから家族だけで見送って欲しいとのことでした。 祖父の希望通りに直葬を執り行ったのですが、せめて火葬場ではお経を1回くらい読んで貰った方がいいのではないか、と親族の一人から声が上がり、じゃあそうしようということで、その際お世話になっていた葬儀屋さんに相談し、お坊さんを手配して下さるとのことで火葬の前に読経していただけることになりました。 お経が始まり、喪主である祖母がまず焼香し、それに続いて参列者が順番に焼香を行っていたのですが、一人ずつではなく三人ずつ焼香を行って欲しかったようで、お坊さんが読経中ですが参列者のいる後ろを振り返り、すごい目付きで睨んできました。 確かに焼香台は三つありましたが、特に何も言われなかったため、喪主に続き一人ずつ焼香を行っていました。 お坊さんの様子に気付いた火葬場の職員の方が、三人ずつどうぞと声をかけてくださったのですが、その間も時折こちらを睨みつけるように見ており、更には肩を竦めため息を吐いていました。 あまりの出来事に唖然としたと同時に頭にカッと血が登り、動悸が激しくなりました。 そのくらいの衝撃を受けました。 そのお坊さんにとっては数ある内の一つかもしれませんが、私たち遺族にとってはそうではありません。 大切な祖父を侮辱されたようでとても腹が立つと同時に悲しくて仕方ありません。 祖母も気付いており悲しがっていました。 こんなことなら祖父の言葉通り、読経してもらうべきでは無かったと後悔しております。 そのお坊さんへのお布施は一万円お渡ししましたが、お金さえ貰えれば後はどうでもいいのでしょうか? 腹の中で何を思ってようが自由ですが、それを表に出さないようたった数分も我慢できないのでしょうか、それが不思議でなりません。 上記したように、以前にもお坊さんのことで嫌な思いをしたことがあり、それに今回のこともあり、もちろんそんな事はないと分かってはいるのですが、こんな人ばかりなのですか? また、この悔しい気持ちの落ち着け方が分かりません。 アドバイスいただきたいです。 よろしくお願いいたします。

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母の葬儀を神式でやりたい父を理解出来ない

2月5日に、母がガンで他界しました。まだ60代の若さでした。今、悲しみと喪失感に暮れて居ます。 そんな中でも、葬儀の準備を進めなければなりません。我が家は、代々仏教式での葬儀を行なって来ました。 しかし、何故か父が神道式にしたいと言い出したのです。 ちなみに、父は特別神道を崇拝している訳でも無く知識もほとんどありません。 神式では、代々のお墓に遺骨を入れられません。魂も輪廻転生の輪に入れず、神棚に奉られる状態になると聴きました。 私は、生前散々苦労して来た母を、極楽浄土に送りたかったのです。 生まれ変わって、来世こそは、苦労無く、幸せな人生を送って欲しい。 しかし、神式では嫌な思い出ばかりが残る我が家に、魂を縛りつける事になるのでは無いかと心配しています。 父が私に相談も無しに依頼した葬儀屋さんも、神式葬儀の事例はほとんど無く、儀式なども曖昧に形だけやっている状態です。 母の亡骸は、まだ自宅に安置されています。枕直しの儀に必要な小刀などを担当の方が置いてくれました。 しかし、刀の置く向きが違います。葬儀屋さんのスタッフさん側に、神式の知識が無いのです。 用意出来る祭壇も小さく質素で、どうにも必要な用具が足りていません。これでは、あまりにも可哀想です。 まさか、お葬式の件で父とケンカをするとは思いませんでした。 どうしても神式で葬儀を行いたいのであれば、そこは仕方がありません。 ですが、せめて今の葬儀屋さんをキャンセルして、神式の儀式に詳しい、専門の葬儀屋さんに変えて貰いたいのです。 枕直しの儀を取り行ってしまった後のキャンセルは、失礼に当たるので出来ないのでしょうか…。 逆に、儀式をしたにも関わらず、別の葬儀屋さんで2度目の儀式を取り行う事は、 母の魂が迷ってしまったりなどの影響があるのでしょうか…。 葬儀業者をキャンセルして切り替えた経験のある方。 そして、数多くの魂を送って来られた、お坊様。 もう時間がありません。何卒、救いの手を差し伸べて戴けます様、お願い申し上げます。 大切な母親が人生の最後に、主役になれる日が葬儀だと考えています。 とびきり美しく、良いお式だったと言って戴ける様なものにしたい。私が出来る、最後の親孝行です。

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檀家総代について

先日父方の祖父が亡くなり、週末にかけて葬儀等を済ませたのですが 実は父が檀家総代をしているお寺の住職の母親の四十九日が祖父のお通夜と告別式が終わった次の日にあり 父は間もなくその手伝いに向かいました。 亡くなる1ヶ月前から祖父は施設のベッドから落ちて大腿骨を骨折したのちに入院と手術をしていたのですが その際はちょうど住職の母親が亡くなったあたりのタイミングだったため 本来であれば医師からの説明のためずっと病院に居なければならないはずが 檀家総代であるという理由から葬儀をまとめなければならず あまりそばに居ることができないような状況でした 「なんとかして祖父のそばに居てやれないものか」と言っても 父は「俺が葬儀のまとめをやらなければいけない」と返され聞き入れてもらえませんでした その時でも色々と疑問に思うことはありましたが まだ祖父は生きている状態だったので とりあえずはあまり口を出さずにいました でもなんだか今回は話が違うような気がするのです 昔からお世話になっているお寺なので 色々と感謝することがあるのは間違いなく 手伝う義務のようなものがあるのは十分理解しているつもりなのですが 身内の、しかも自分の親を見送るという時に葬儀から荼毘まで最低限のことだけして それが過ぎたあとは先にひかえている他人の葬儀を優先的にまとめるというのは なんだか祖父をないがしろにしているような感じに見えてしまってわたしは納得できません。 せめて四十九日までは自分の親のために集中できないものなのかと ただでさえ葬儀の前も後も大変だというのに… 檀家総代というのは、大切な家族の時間を犠牲にしてまでこなさなければならないものなのでしょうか? 本人に言っても、まわりに相談しても 「仕方がないことだから」と言われて終わってしまいます。 自分の行いは大なり小なり必ず自分にかえってくるものです もし自分があの世に行くときでも同じようにないがしろにされても良いということなんでしょうか。 あまりに薄情な気がしてなりません。。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ