寺のこれからの役割について
江戸時代に13万もあったと言われる寺も現在8万ありますが、更に減って5万になると言われています。また、葬儀産業の発達によりいわゆる葬式仏教も無くなりつつあります。心の問題は、精神科医やカウンセラーの役割になりました。これからの日本仏教の行方を教えて下さい。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
伸びしろは沢山あります
こんにちは、またご縁がありました。
私なりの感想を申します。
江戸時代から現代にいたるまで寺院が減った原因は、明治政府の政策によって廃仏毀釈が行われたことが一因です。現在からは考えられない苛烈な弾圧が一つあります。そして、過疎化、都市部への人口集中が原因で、地方のお寺は維持が難しくなりました。この過疎化について根本的な解決は、恐らく難しいでしょう。地方に仕事がどんどん出来て、人口の増加がなければ解決しないからです。
「心の問題は、精神科医やカウンセラーの役割になりました」という一面はあるでしょう。私も大学で心理学を学んだのは、その潮流を感じたからでもあります。確かに投薬が必要とされる精神的な問題など、高度な専門的治療という意味での「心の問題」はその分野の人の領域になるでしょう。
しかし、現にこのハスノハに寄せられるご質問のバリエーションの多さ、そしてその相談内容も「心の問題」です。こういった問題については、先述の専門的な立場の切り口もありますし、仏教、法律、経済的観念、文学、カルチャーなど様々な角度からの視点がなければ対応できないと思います。また、その需要があるからこのハスノハは成立しているのでしょう。日常生活で悩んだら、まず精神科、心理相談室、とはなっていないと思いますがいかがですか。この意味では、昔からのお寺、僧侶の役割はまだまだあると思います。
その相談を引き受けて、人間関係を作りつつ、人間の生き方を根本的に見つめる仏教の可能性、お寺の可能性は伸びしろが沢山あると思います。
BURIさんは、元僧侶と伺いましたが、どうお思いですか。お聞かせいただけると嬉しいです。
求められてくると思います
拝読させて頂きました。
お寺というか仏教の教えはこれからもあまたの人々や社会や世界に必要とされていくと思います。
迷いや悩みや苦しみから救われていく為の道や教えとして沢山の方々から求められてくると思います。
聞いたことがあるかと思いますが「SDGs」という言葉がありますが、国連が定めたこれからの世界のあり方や方向性です。「持続可能な開発目標」という意味ですけれども一番大事なのは「誰一人として取り残さない」というすごい目標があります。詳細はお調べ頂きたいと思いますけれどもよくよく読めば仏教の自利利他の考え、つまり全てのものとの共生を目標としています。
友人達のブログ記事にもあります。
http://bvld.jugem.jp/?eid=22
お寺だけで見てしまいますとどうしても目先の存続を優先して考えてしまいますけれども、例えばこのような切り口でこれから先を見つめてみれば、本当にこれから先必要とされていくと私は思います。
今すぐどうしようというのもわからないですけれどもこれ以外の考え方や価値観や方向性も含めて求められてくることやできることの可能性は広がってくると思いますよ。
本当に苦しみから求められて安心してみんなで幸せに生きていきたいとあまたの方々は切実に思っているのですからね。
あなたにもできること、私にもできることがこれからもあるのですからね。
東日本大震災を機に
宗教の必要性が
改めて見直されました。
それに伴い
「臨床宗教師」のように
法施(布教)でも財施(経済支援)でもない
無畏施(抜苦与楽)だけに特化した
宗教活動が求められています。
もともと無畏施のために
法施も財施も行われていたのですから
本来の姿に戻っただけのことです。
これまでは
お寺に求められていた役割を
僧侶が蔑ろにしていたから
その役割を葬儀産業や医療現場に移ってしまいました。
これからのお寺の役割に気づいた僧侶は
もう動き始めています。
寺院の役割
仏陀が悟られた技法や教えを、学び実践する場であることに尽きます。
人生は苦であると喝破され、その苦からの脱出法である、抜苦与楽の方法を発見されたのが、仏陀です。
残念ながら、そのみ教えが現在の寺院では、忘れられたり、実践されなくなっています。特に日本の寺院では法要等の儀式的要素が多く、それらは抜苦与楽に直結したものではありません。
大乗仏教中心の日本仏教ですが、そこに、仏陀が悟られた技法である上座部仏教の止観の瞑想を取り入れるべきだと思います。
質問者からのお礼
スマホからなのでまとめてお礼させて戴きます。
宗教の役割が、医療福祉や葬儀産業に奪われたというよりは、宗教の役割が、小さくなったとみるべきです。昔は法律も医療も福祉も葬儀も未発達だったから、その役割を宗教が果たしていたのだと思います。明け渡した役割を再び宗教が取り戻すことはないでしょう。それを志向したのが、新宗教や新新宗教でした。伝統仏教は、既得権益で、存続しているだけに思えます。まあ世界第一の仏教国は、人口ベースでいえば、中国ですが、その形骸化にくらべれば、世界第二位の仏教国である日本はまだ良いと個人的には思いますが。
上座部仏教の瞑想を取り入れるべきとのご意見。日本仏教でも天台宗に止観があり、念仏諸宗に念仏があり、禅宗に禅があり、法華諸宗に題目があるのは、全て釈尊の瞑想に通じているのだと思います。
確かに上座部仏教が大乗仏教より古い形の仏教を伝えているのかもしれませんが、衆生済度に関しては大乗仏教だと思います。
また現在の上座部仏教は今の日本仏教と同じく土着化が激しく、大乗非仏説は成り立たなかったですね。
仏教には大きく分けて北伝、南伝、チベットと有りますが、北伝以外の仏教が日本に根付くことは無いのでは無いかと。
国連の目標は知りませんでした。大乗仏教的ですね。そういえば、WHOの健康指針に宗教が入ったこともありましたか。
そうですね。お寺に求められるのは結局よろず相談所なのでしょうね。医者と同じで、かかりつけ医がいて、何かより異変があれば大病院に行くというイメージでしょうか?精神科も敷居が低くなり、心療内科と看板を変えて個人クリニックが、乱立しています。また個人クリニックには患者が殺到している現実があります。精神病はかつては重症で、精神病院に収容されて、社会から隔離され、そこで一生を終えるイメージでしたが、今や通院や短期入院で社会復帰が可能になりました。
話がズレました。わたしが子供の頃アメリカでは、車を下駄のように使うとか悩みごとは精神科医やカウンセラーにとか本で読みました。またセレモニーホールもアメリカから入ってきた文化です。日本のアメリカ化が避けられないとすれば、アメリカのテレビ伝道師の文化のように、ここhasunohaの役割はあるのでしょう。かつて喫茶店で法を説いた南無の会のような存在でしょうか?