hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

瞑想中に感覚で受け取った言葉について

回答数回答 3
有り難し有り難し 41

瞑想を毎日1時間行っていますが、ある日「自分で考えろ」「解放」と頭の中で感覚として受け取りました。

目を瞑ってすぐに1時間経っていたので、不思議だなと思いました。

この状況をどのような状態なのでしょうか?
世間で言う悟り?お告げ?良く分からないです。
どの仏様がおっしゃたのかも分からないです。

この受け取った言葉はどうしたらいいのか分からないので、教えて頂けたら嬉しいです。
自分で考えろって言われた時点で質問すると、駄目な気がしますがよろしくお願いします。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

う~ん…

私は瞑想をしないのでわからないのですが、瞑想って言語の世界を超えたところに達するものなのではないでしょうか?言語化された時点でそれは瞑想によるものでなく、夢とか、何か自分の思考の範囲内のものなのでは?

なお、おせっかいながら申し上げると瞑想はきちんとした指導者の下で取り組まないと危険性が高いと思います。

感受性が高まり、神秘体験や恍惚体験のような感覚を得ると虜になり、それを得ようとさ迷うことになり、またその体験をさせてあげるとそそのかす悪質な団体などの被害に遭うことにもなりかねません。

瞑想も修行も修学もそれが仏教のものである限りは、私たちが根源的に抱える苦に対処するものであり、なにか自分がすごいものになったり、不思議な力を得たり、神秘的な体験をするためのものではないのです。

{{count}}
有り難し
おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
このお坊さんを応援する

それについては忘れなさい

こんにちは。不思議な体験をされましたね。

 曹洞宗では、坐禅中目を瞑らないように指導されます。眠ってしまうかもしれないからです。あなたも「目を瞑ってすぐに1時間経っていた」との事なので、気づかぬうちに眠ってしまい、夢の中でそのような体験をしたと想像します。
 以前私は、曹洞宗の老師の所で学んでいたことがありました。一般(僧侶ではない)の方を対象にした会でした。ある日、参加者の中であなたと似たような体験をされた方がいて、老師に報告したところ、「それについては忘れなさい」のひとことでした。

{{count}}
有り難し
おきもち

・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoh...
このお坊さんを応援する

専門家ではありませんが

瞑想が迷走になってしまわないように。

チベットの瞑想の大家と呼ばれる方々の脳波を調べると、いわゆるベータ波の波が急激に揺れているそうです。これはモノを考えている時、脳が活性化している時だそうです。いわゆる集中している状態です。ゆえに周囲の出来事は一切遮断されているのでしょう。
一方、瞑想をはじめたばかりの人たちの脳波は、アルファ波が多く、脳が休んで心地よい状態だそうです。気持ちよく観念遊戯となります。
お尋ねの件については、気づきかもしれませんが、それは分かりません。
ただ言えることは、何のために瞑想をするのかを押さえておかないと、たしかに心地よい気分にはなれますが、振舞わされないにしなければなりません。

{{count}}
有り難し
おきもち

日蓮宗のお寺で、名古屋市南区にあります。 ”お寺は生きている人のためにも...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

ありがとうございます。貴重なご指導ありがとうございます。
よく考えてみます。

「仏教における瞑想」問答一覧

うつ病の中でも利他の心を持つためには

5年ほど心の病に苦しんでおります。最初は適応障害という診断でしたが症状が悪化し、3年前にうつ病と診断されました。 それでも昨年から始めた漢方の治療やカウンセリング等の効果で体調は良化しており、検査の数値も改善してきています。 しかしながら「ものを考える余裕」が生まれたこともあってか、生き方に対する苦悩は深まるばかりです。 うつ病に向き合う手がかりとして、宗教・哲学・心理学など多くの本に触れているのですが、その多くで「他者に関心を持つこと」「他者と関わること」「他者のためにはたらくこと」が幸せへの道として説かれていました。仏教においても、「利他」は大切な考えだと思います。 しかし、今の私には「他者のためにはたらくこと」はおろか、「他者と関わること」も考えられません。他者とつながりを持つことを恐ろしいと感じてしまいますし、他者のことを考える余力自体も不足しているように思われます。毎日念仏をお唱えするときも、自分の身体のことや心のことばかりを考えてしまいます。 自分でも「利他の心」を持てたらとは思うのですが、負のループに入ってしまっているような気がしております。 勿論、日々の中で「他者を傷つけないように」「他者を不快にさせないように」と心がけているつもりではおりますが、それだけで良いのか、と自問自答してしまいます。 どのような心がけで日々を過ごせば良いのか、ご助言を賜りたく思います。どうぞ、よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 9
回答数回答 1

瞑想とは

ブッダは入滅する際に深い瞑想状態に入りながら入滅したと見ました。 私も肉体や精神などが極限の苦痛に達した際や死ぬ際には瞑想を使用したいとおもっておりますが、そこまで深い瞑想をするには相当な瞑想の日々の熟練が必要かと思っております。 ところが精神疾患を持つものが瞑想をするとどうやら副作用が生じ、むしろ悪影響が発生することがわかりました。 以下質問となります: この矛盾は何でしょうか?座禅・瞑想とは人類全てが実践できる安全なメンタルケアでなければならず、そのため仏教修行の多くの部分を座禅・瞑想に使用するのではないのでしょうか。 それとも仏教の座禅・瞑想は修行の一部にすぎずそれが全てではないということでしょうか。 有名なキサーゴータミーの物語では明らかに精神疾患状態にある婦人を救っているような記述がありますが、これはどのようなプロセスを経て「治して」、「さらに悟りにまで到達した」のでしょうか。 個人的に思うのはまず前提として仏道の実践と修行者の身の回りの環境を整えてから瞑想を熟練していくのだと思いますが、その「環境の充実」の基準とはどこから情報を引っ張ってくれば良いのでしょうか。 よろしければ真なるお言葉をくださいませ。なければご対応不要です。よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 16
回答数回答 2

マインドフルネスについて

瞑想を2週間ほど前から朝の日課にしています。欲を少しでも手放せたらと思い、始めました。 そして、昨日仕事中にふっと目の前の仕事に全意識が向いている心地よさを体験しました。これがマインドフルネス?と思いました。15分くらいしか持ちませんでしたが。 どうしても自分で自分を苦しい状態にしてしまうので、どうしたらもう少し楽に生きれるだろうと思い、このマインドフルネス状態が長く続けばいいのでは?と考えています。 そして、大人になると生活の7割くらいが仕事なので、仕事中にマインドフルネス状態が続けば毎日がもう少し楽になると考えました。 しかし、仕事内容が慣れているものであったり、どう進めるか想像つくものであればマインドフルネス状態になりやすいと思ったのですが、仕事内容によっては難問にぶつかったり、やったことないことをやらないといけないことだってあります。クリエイティブ系の職種のため、アイディア出しなどはいつも苦しいんでいます。今思うと、まだこの職種の経験も浅いこともあり、8割ほどの仕事内容にいつも苦しめられています。難問にぶつかった場合もただ難問に向き合うだけでマインドフルネスなのでしょうか。 マインドフルネスについては本などを読んで、自分なりに解釈しているところもあるので間違いがあれば訂正していただきたいです。 仕事中あっちこっち気持ちが散らかるので、マインドフルネスの実践ができたらなと思います。

有り難し有り難し 18
回答数回答 2

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ