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職場での人間関係について

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有り難し有り難し 36

私はこれまで転職を2回しており、計3社の会社を経験しております。

1社目は3年ほど続いたのですがガツガツやるような営業の仕事内容についていけず辞めてしまいました。

2社目は内勤業務で働いたのですが上司の人がネチネチ怒るようなタイプの人でストレスが溜まり周囲の人との関係もうまく作れず2年程で辞めてしまいました。

3社目は介護の仕事をして仕事内容にも不満はなかったのですが、厳しく叱咤する方が多く、コミュニケーションもうまく取れず、また人間関係が原因で2年程で辞めてしまいました。

何度も我慢して続けよう続けようと思うのですがどうしてもうまくいきません。
3月からまた新しい職場で働くのですが、もう人間関係が原因で辞めたくはありません。今までの自分が何が悪かったのか反省し良い人間関係を作っていきたいです。こんな私にアドバイスがあれば、どうかお願い致します。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

問題はあなたの「イヤだなぁ」意識

「イヤッ!!」という気持ち、反発心、防御反応、嫌悪感に向き合ってみようか?
ツヨシさんこんにちは。あなたの心をツヨシさんにする、心のライザップインストラクター、長渕ヨワシと申します。(大丈夫かこの人)
あ、名前の事は気にしないでください。毎回、この男は名前が変わるんです。相手に応じての対機説法、観音33身の如意変化心です。
何故、ボクがー、君の心のインストラクターでありながら、名前が「ヨワシ」かというとね。
実は、本当の強さには自分の弱さに向き合う気持ちがとても大切だからなんだ。
キミが、職場で毎回参ってしまうのは、君自身を守りたいから。そして、君に高い理想があるから。
最初から自分のバリアーをはっているんだよ。
つまり、最初に❝自分ありき❞なんだ。お釈迦様や悟った人というのはね、❝最初からオレオレスタンス❞がこれっぽちもアラジンなんだ。ツオシくんは(ツヨシだ)、実はとても自分が強く、色濃く持ちすぎているんだ。それが、君をツヨシにさせない最大の原因だ。
僕を見てごらん。本名は丹下なんだけど何処へでも入っていける。「これが僕だ」何てものを強く持っていないからなんだ。仏教ではこれを無我・無自性とか言ったりもする。
カンタンに言えば最初から自分を決めてかからない事。相手に対しても決めてかからない事。
イヤだなぁ意識がなぜ出てくるか知っているかい?職場で嫌なことが生じる。それは、あなたの中に「我心」があるからぶつかる。無心であれば、ザルに水を通すが如く、マトリックスの銃弾をスル―アウェイするが如くに、ぶつからない。よかったら心のライザップ、坐禅会に来るとイイよ。どんな社会の銃弾も通用しない法身を手に入れよう。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

職場の人間関係に期待しないことでは

まずは職場の人間関係に期待しないことではないでしょうか。会社は利潤追求のために存在する組織ですから、他社との競争に勝たなければなりません。それが会社なのですからその内部も修羅場であり、戦場であるのでしょう。最初の職場がまさにそんなところだったのではないですか。

一方で、みんながまともに働くところでもないともいえます。以下は私の体験談です。

http://hasunoha.jp/questions/3187

いずれにせよ、職場の人間関係にはあまり期待しない方がよいと思います。

次の職場でも同じく人間関係になったなら、職業訓練をお受けになりあまり他者と常に接しなくてもよい(まったく接しないのは不可能ですけれども)、職種に就くこともお考えになっては如何でしょう。

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有り難し
おきもち

個別相談可能
私はお坊さんといっても、ひと様に何か答えらしいものを提示できるような立派な者ではありません。むしろその逆で、しょっちゅう周りの方々にお尋ねして、教えてもらって生きています。質問について考え、答えようと悩むことで私自身が学び、僧侶として少しでも成長していけたら、と思っています。 youtube法話を始めました。私の名前ですぐ見つけていただきます。
本堂までWi-Fiの電波が届かないので、お内仏(家のお仏壇)のお部屋でお話します。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ