hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる
そらノート 亡くなった人やペットに思いを伝えよう hasunoha姉妹サイト登場

自利利他について教えてください。

回答数回答 6
有り難し有り難し 120

小さな頃からなにか困ったことが起きると私が我慢すれば良いと相手を優先し自分で自分の気持ちを押し殺してしまいます。

人のために自分の限界を超えるまで行動して後から逆に迷惑をかけてしまうこともあります。

そしてそのような状態の時幸せかと言われるとむしろ苦しみを感じていて、心も体も悲鳴をあげて、誰もいない時にほっと幸せを感じます。

最近自利利他という言葉を知りました。
この言葉について調べてみたのですがわからないので詳しくお聞きしたいです。

特に自利とはどういうことを言うのでしょうか?

このままでは誰も幸せになれず自分も潰れてしまいそうで怖いです。

よろしくお願いいたします。

2020年5月3日 17:22

この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 6件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

相談者様の悩みに沿っているかわかりませんが、一つの視点として

勇気をもって蓮の葉に質問していただき有難うございます。自利利他という言葉は非常に広い意味の概念です。宗派によっても考え方が異なるので私なりに最初の取っ掛かりになると思う事を若干述べさせていただきたいと思います(蓮の葉は千字の文字制限があります…)

まず最初に、仏教は世間の幸せを求めたり・得られる教えではないです。仏教の目的は、生死解脱というように、輪廻の迷いを出ることです。世間を離れることなんですね。しかし、その副産物として、心が落ち着いたり、世俗とは違う視野を賜るということがあります。世間で幸せになること自体を目的にしているのではないという面があります。お釈迦様自体が元王子様で世間の戦争や争い、欲望だらけの痛ましい姿をみて、もうこういう世界は辛すぎる、やっていけないと出家されたのですから。釈尊の言葉は一見するとものすごく冷たいです「親密になることからは恐れが生じ、家庭生活からは汚れの塵が生ずる。家庭生活もなく、親密になることもない、それこそが、賢者の立場である。(スッタニパータ)」「この世間が燃え上がっているというのに、いったい何が笑いだ、何が歓びだ。お前たちは暗闇に覆われていながら、どうして明かりを探し求めないのだ。(ダンマパダ)」…等。暗いのではなく、ごまかしなく見極めている人間の見方と言えましょう。

自利とは自らの修行によって自身が利益を得る事。仏道を完成させる事、させて行く事です。利他とは、他者を利益する事で、他の衆生に、功徳を施す事です。大乗仏教では、利他がそのまま自利になると考えられるようになっていきました。ですから、自利も利他もその方向性が悟りに向かったものであることが基本です。何でも利他になるという考えはお釈迦様の考えではない。

人間の問題点は無明です。無明というのは真実を知らないという事です。私たちは、一生懸命に良い事をしてそれが原因で人を苦しめる事だってあるのです。人を傷つける事はよくありませんが、傷つけまいとしても人を傷つける事がある。例えば、教育熱心な親が子供の為にと思って一生懸命やっている事が子供を苦しめたり、歪ませたりしてしまうことがありますね。何が正しいか分からない(=無明・無智)。そうした人間の存在全体を悲しみ、真実を見せようとする働きが仏法です。
今後もご自身で勉強したり他の僧侶の意見も聞いて下さい。また質問いつでも下さい。

2020年5月3日 18:05
{{count}}
有り難し
おきもち

おきもちが累計1,000件を超えました


浄土真宗本願寺派の僧侶です。宗門の学校で5年間「仏教」の授業を担当してきま...

ディズニーランドのホスピタリティー

【自利利他】
相手様の喜び=自分の喜び
単なる自己犠牲は、【自利利他円満】とは程遠い。

ある日、子どもを亡くした夫婦が、ディズニーランドのレストランでお子様ランチを2つ注文したそうな。しかし、ディズニーランドではお子様ランチは子どもにしか提供できないルールになっている。店員は大人には出せないと丁重に断ると、夫婦は「申し訳なかった。今日は子どもの命日だったもので…」と残念そうにこぼした。それを聞いた店員は、ルールを差し置いてお子様ランチを用意し「本日は、ようこそお越しくださいました。親子"3人"でごゆっくりどうぞ。」と言葉をかけ3人分を提供した。夫婦は大粒の涙を流して喜んだ。

後日、その夫婦からディズニーランドに感謝の手紙が届き、それを受け取った店員はあまりの嬉しさに泣き崩れたという。

ディズニーランドは、とかくマニュアルが細かく厳しいことで有名だが、来園者に喜んでもらう為なら、マニュアルを飛び越えてでもどんどん尽力する事を勧めている。そこに生まれる感動に魅せられ、心から喜んで懸命に働く従業員のそのほとんどは、なんとアルバイトだという。つまり、待遇云々ではなく、お客さんが楽しむ姿が見たくて、お客さんの喜ぶ姿が嬉しくて、彼らは喜んで献身的に働いている。

2020年5月4日 0:42
{{count}}
有り難し
おきもち

おきもちが累計1,000件を超えました


となりのトトロの世界のような山奥の田舎の小さな小さなお寺の住職をしています...

自利が先、利他が後

初期仏教の順番では、
まず、
私が幸せでありますように(自利)、と心を育てて、
次に、
私の親しい生命が幸せでありますように(自利利他)、と心を育てて、
最後に、
すべての生命が幸せでありますように(仏の気持ち?)、と心を育てる
という順番で、心を大きく成長させて頑張ります。

 利己的な人には「周りのことも考えなさい」と言いますが、逆に、自己犠牲的に頑張る人には、「それで、あなた自身は幸せですか?疲れてないですか?あなたのご家族は大丈夫ですか?」などと、自分の幸せを達成できているかどうか振り返ってもらいます。
 まず、自分の幸せを確保してください。自分がしっかりできていれば、初めて、他者のために動けるようになります。共倒れにならなくて済みます。
 溺れている人を助けることができるのは、泳ぎもプロで波や水温などの状況を把握できる冷静な人だけです。

2020年5月4日 9:19
{{count}}
有り難し
おきもち

おきもちが累計1,000件を超えました


初期仏教というか仏教本来の教えを学びつつ、その在家信者のあり方から見た日本...

自分が喜ぶこと。相手も喜ぶこと。

自分が苦しくないこと。
相手も苦しくないこと。

何のために相手に尽くすのでしょうか?
それで相手は喜んでくれるのでしょうか?
あなたが苦しそうでも相手は喜ぶでしょうか?

「相手が喜んでくれることが自分の喜び」
ということはありますが
あなたは既に苦しんでしまっています。

これからは
あなたの楽しみを優先しませんか?
あなたが楽しんで相手も楽しんでくることを
見つけてみませんか?

2020年5月3日 22:15
{{count}}
有り難し
おきもち

おきもちが累計1,000件を超えました


和田隆恩
 1967年京都市生まれ。山形大学理学部卒業後、証券会社で勤務。30歳で脱...

仏教が目指すのは悟り

仏教が目指す「自利」とは、悟りです。
なぜ悟りを目指すかというと、悟れば悩み苦しみがなくなり、また、苦しみを繰り返す輪廻転生からも解脱できるからです。
悩み苦しみは、煩悩を原因として生じます。
煩悩をなくすためには、悟る(真理に気づき納得する)必要があります。
悟って煩悩がなくなれば、生への執着もなくなるので、輪廻転生からも解放されます。
仏教で修行して悟りを目指すのは、「自利」だと言えます。

2020年5月3日 21:43
{{count}}
有り難し
おきもち

おきもちが累計1,000件を超えました


浄土宗教師。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための...

目に留まったので一言

自利利他
又は、自行化他(じぎょうけた)とも言います。
一言でいえば、菩薩のことで、自らも行じ、他を救う。

菩薩と言えば、遠くの彼方におられ拝む対象と思いがちですが、本当は、私たちの行動、すなわち、自分も努力向上し、そして他人を救う。という行動そのものが菩薩の行いをしていることです。
かおりさんは、自分を犠牲にしてまで行う、ゆえに苦しいのでしょう。本当は、自分も楽しみながら、一緒に豊かに安穏になることが理想なのです。

難しいことはありません。今までされれきたことに、自分も自信を持って喜んでください。そしてこれからは、他の方と一緒に喜べはいいのです。
それが本当の「自利」です。

2020年5月4日 17:47
{{count}}
有り難し
おきもち

おきもちが累計1,000件を超えました


日蓮宗のお寺で、名古屋市南区にあります。 ”お寺は生きている人のためにも...

質問者からのお礼

たくさんのご回答誠にありがとうございました。
ご回答を良く読み自分を見つめ直していきたいと思います。
このような貴重な機会をいただき本当にありがとうございました。

「仏教全般」問答一覧

待つことは仏教でも大事ですか?

前の話と似たような内容なのですが、同じ職業(画家)の好きな人と疎遠になっています。 母親曰く「待て」と言われてます。 向こうの方が立場が上なので、まずは実力をつけろと言われてます。会うのはそれからでもいいだろうと。 私の中に、なんでこんなに頑張らないといけないんだ、という焦る気持ちと、 頑張って違った新しい自分という土俵でまたお会いできたらという気持ちがあります。 焦っている時、イライラして家族にも邪見にされるときがあります。 また逆におろおろしまってもっとゆっくり物事を進めなさいともいわれます。 親の言うことは正しいと思っているのにイラっとすることもあります。 でも待ちながらそれが正解だと感じることもあります。 画家の仲間が増えて、みんな同年代の人は凄く苦労されてその中でも夢に向かってひたむきに頑張っている。中には同業者に貶されている人もいる方もいますしバイトしながら、別の仕事をしながら頑張っている人も。 年上の人達は年上の人たちでライバルがいて、年下の人たちに追い上げられそうになる中、孤高に取り組んでいる方もみられます。 もっと年上の人は本当に素晴らしい絵を描くのに、それでも絵の事で悩んでいる人も見ました。 私も貶されたり叱咤されたこともありますが、励まされたり期待されたりしながらやってていて、しかも家族も一応応援はしてくれてるので救われてる方だなと思います。仲間の話をネットや現実で聴くのもためになっています。 そういう人たちを見てると、その人がきっかけで待っていた縁のパワーって侮れないなと感じました。 仕事を極めるというのは難しいですね。 もっとゆったりとした心で仕事や日常に向かい、精進したいと思ってますが、 中々できない自分に悩んでます。でももっと視野を広げて縁のパワーを広げたら、いつかまたその人に仕事を通じて出会えるんじゃないか、同業者として支えられるぐらいの力が持てるんじゃないかという不思議な気持ちがしています。 こういう待つ縁の話は、仏教のお話にもあったりしますか?

有り難し有り難し 18
回答数回答 2

仏教の教えを守ってるけどダメみたいです

最初に、、、別に報われたいわけではありません。 どちらかというと達観していると思います、いろいろ経験して結論として出した考えです。 仏教を勉強し、理不尽な目に会う度に疑問に感じるので質問をしたいです。 ・人の不幸には圧倒的な差がある。→どうしようもない、心の持ち方一つで変えられるものではない、不幸は不幸。 仏教修行をして執着を手放してる群発頭痛の人が幾ら心もの持ち方を変えても苦しく痛みに関しては、生まれつき健康で他人に危害を加える人よりも圧倒的に不幸である。 ・人に親切にしたり愛したり優しくしても、恩を仇で返されたり感謝すらされない人もいる。→最新の研究では人はサイコパスに魅力を感じるようです。また生まれつきの容姿や印象で好感度が変動するようです。 ストックホルム症候群や共依存など他人に優しくしない方が人は恩恵を得れる生物のようです。 ・人に与える人より搾取する人の方が富を得れる。不幸量は下がる。 →本人の認知としては搾取している気がしない人も沢山います。 というより世の中先進国は後進国から搾取していますが誰も富を彼らに分け与えません。 そして搾取した人達の方が贅沢できます。 教育を受けたいサウジアラビアの女性よりも専業主婦になりたい日本人女性の方が教育が整備されています。 食べ物を欲しがるアフリカの貧しい人よりも、廃棄する先進国の人の方が不幸ではありません。 ・感謝しても報われないが、他人を侮辱して壊す人は報われる。→感謝感謝の毎日ですが、感謝するより他人を貶す方が相手を支配できます、経営学や政治学ではよく言われてますが他人を従わせるには恐怖や暴力的な支配が有効です。 当たり前と思ってる方が気が楽です、私たちの生活にはありとあらゆる犠牲があります。小さい細菌やらが私たちの身体を守り、昆虫が生態を守り、牛さんの内臓が食べられ、低賃金の人がサービスを支え、私のような人はガス抜きにされ笑、後進国の人を搾取して。それに感謝してたらキリがありません。当たり前と思って見下してる世界に対して感謝ゼロの人の方が楽ですよね笑  ・耐え忍んで努力しても惨めに何も得られず、生まれてただ朽ち果てるのみ。→生まれつきかなりの運命が決まっていて、奮闘しても生まれつき全てを手に入れてる人に搾取される世界です。 報われなくてもいいから、少しは良い方向に向かいたい

有り難し有り難し 35
回答数回答 2

解脱って怖い?

昨今の陰鬱とした情勢の中、多忙を極められておられるであろう僧侶の方にご相談をさせて頂けることに感謝いたします。 私は、宗教や哲学などの学問に興味があるのですが、仏教における「解脱」という考え方に一抹の不安を覚えています。 といいますのも、この概念は様々なしがらみから解き放たれ、心が安らぐという点で素晴らしいと思う一方で、考えようによっては自己研鑽や他者との競争といったものを一蹴し、様々な枠組みを冷めた目線で見る無情で腰の引けた概念にも捉えられるのではないか、と思っているからです。 例えば、世俗では結婚を是、独身を非とする意見を度々耳にするのですが、私自身は伴侶の有無だけで人の貴賎が決まることはない、もっと言えば、そんな二項対立などで張り合いしないで平和の範疇で気楽に生きればいいのにと思っています。 ところが、ある時似たような意見を呟いた方が、ネット上で「生存競争についていけなかった腰抜けの負け惜しみ」、「生命や家族の尊さが分からない薄情者の言い草」といった罵倒を浴びせられているのを見て、この意見は既婚者の方や婚活を本気で行っている方に対して無自覚の批判や無粋な発言になり得ると悟らされたことがあります。 私自身は、特定の誰かを見下そうという気は全くないのですが、多くの人は何かと甲乙つけたがるものらしく、今に至るまで自身の本心が話せず度々肩身の狭い思いをしています。 そして、私が何より恐れているのは、この考え方を極限まで突き詰めた結果、今回の相談含め、全ての悩みについて「んなもんどうでもいいから腹でも切ってさっさと涅槃においでなさい」と強引に押し切られることです。こうなると最早立つ瀬がありません。 ただ、一つ思う所があるのは、「救世を考えるお釈迦様や僧侶の方々がそんな本末転倒な事言う?」ということです。 思えばこれまでハスノハでお世話になった方々からそんな極端なコメントを頂いたことは全くないですし、私が浅学の身で解脱という概念を持ち上げる余り甚だしい見当違いをしているとも思われます。 長々と語らせて頂き申し訳ないですが、私の悩みはこんな感じです。 今一度断っておきますが、私はこの概念を弱さの言い訳や他人を足蹴にする詭弁に使うつもりは毛頭ないです。 そのことを踏まえて、本職の方に解脱という概念について忌憚なきご意見をお聞きしたいと思う次第です。

有り難し有り難し 3
回答数回答 1

関連する問答

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ

相談カテゴリ
-四苦八苦 SickHack!▼ 全カテゴリを見る