浄土真宗と涅槃
浄土真宗では往生即成仏を説きます。これは非常にありがたいのですが、煩悩具足の凡夫たる私としては死ぬ前に涅槃、あるいはそれに準ずる安らぎの境地に至りたく思います。これは叶わぬ願いでしょうか?
お坊さんからの回答 4件
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「宗教は麻薬」違うぞ、マルクス!!
叶うことと叶わないこと
こんにちは、初めまして。
お念仏の朋(とも)のご質問嬉しいです。
「死ぬ前に涅槃」「準ずる安らぎの境地」とのことです。
涅槃=仏様に成る、これは叶いません。
そもそも凡夫が仏に成るというということは、仏教の常道から考えれば破格のことです。むしろ、往生後に成仏できることを、望外のことと喜ぶのみです。これは、今、現世にて喜べることです。
死して後に、先だった人も、私も、後から続く家族もみな同じところへ往かせていただく、再会させていただくことが間違いない。これも望外の喜び、期する安心といえませんか。これを「準ずる安らぎの境地」と見るならば、これは叶います。
もし、もう少し現生での利益がお知りになりたいならば、現生十益をどうぞお調べ下さい。
共に、お念仏の道を歩ませていただきましょう。
南無阿彌陀佛
叶います。
雪山で遭難した時に
遥かかなたでも窓明かりが見えれば
絶望・恐怖はたちまち消滅し
その灯りに向かって歩む力が湧いてきます。
まだ吹雪の中で助かったわけじゃないのに
もう助かったも同然と
大きな安堵感に包まれるでしょう。
浄土真宗の信心とはこういうことです。
あなたのイメージする
涅槃に準ずる安らぎの境地とは
こういうことでしょう。
往生について
当方浄土宗ですが、浄土真宗の教義から言うと、往生は死後往生だけではないはずです。涅槃はお釈迦様の死になぞらえて理想化したあり方ですね。往生即涅槃は往生は涅槃のようなものだってことを、端的に表した言葉だと思います。
質問者からのお礼
皆様ご回答をありがとうございました。この上ない船に既に乗り水道楽にあるにも関わらず涅槃がどうとか言っているのも私の煩悩が信心を障えているからですね。お念仏の白い道をただひたすら、安心して歩む励みとなりました。