大学の仏教学について
大学へ行くか専門学校に行くか進路に悩んでいます。
私は中学生の頃アルボムッレスマナサーラ長老の本を読んで仏教に興味を持ちました。
お坊さんになりたいわけではないですが、仏教学の学べる大学へ行って心のあり方、仏教の歴史を勉強したいです。
でももっと色々な本を自分で読むだけでも大学まで行かなくても勉強になるのかな?とも思います。大学は学費もかなりかかってくるのですごく悩みます。
それと専門学校と迷ってるわけは、親の仕事を継ぐのであれば専門学校へ行くことになるからです。きっと親は継いでほしいと思います。それが親孝行かなとも私は思います。
でもしたいって思わないし、その仕事をしてる私を想像しても楽しくなさそうです。
やっぱり仏教学の学べるの大学を調べれば調べるほどワクワクします。
親は専門学校に行ってくれると今も思ってると思います。大学に行きたいと言い出せないです。残念そうな顔を見るのがつらいです。
私は一人っ子なので継ぐなら私しかいません。
奨学金を借りてまで大学へ行って仏教を学んでもいいですか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
両方やることもできる
こんにちは、初めまして。
進路のことでお悩みですね。
とても大切な選択なので判断が付きかねることもあるでしょう。
「親の仕事を継ぐ」「一人っ子なので継ぐなら私しかいません」とのことなので、将来への責任があるのでしょう。
「奨学金を借りてまで大学へ行って」とあるので、ある程度経済的なことも考えなければいけませんね。私は、大学の通信教育課程をお勧めします。これならば、学費は通常の通学課程よりずっと負担が軽くて済みます。学校によってその上下はあるでしょうが、ほぼ半額で学費がまかなえます。
ただ、この学費に関しては、スクーリング(休みを利用した通学)が必要になるので、遠隔地である場合、別途交通費や宿泊費を計上しなければなりません。通信のやり方も、郵便で送るのか、或いはインターネットを利用するのかでも違います。
この意味では、なるべく近くで探すか、大体がネットで出来てしまう方法が良いです。私は、通学課程の大学を出た後、学び直しのために後年に武蔵野大学(東京)の人間学専攻(心理学)に入りました(ここは仏教学があります)。その時は、1、2年の基礎教養は既に取得済みでしたので、3年生からはじめましたが一度もキャンパスに行くことなく卒業できました。全部、インターネットで出来たからです。ただ、提出期限や、レポートの中には相当難しいものも結構ありましたが。
専門学校を出てから上記の通信を学ぶという手もありましょう。
或いは鉄は熱いうちにと思っておられるなら、1・2年は単位取得が多いのでその時期は大学通信に傾注して、3・4年目は私と同様に学校に行かなくても可能な状況にも出来ると思うので、ここから専門学校と同時進行するということも可能かもしれません。
ただ、通信はかなりのやる気が必要です。
ここは覚悟が必要かと思います。
あなたの向学心が強いようでしたら、計画の上、ご両親を説得してみてはいかがでしょう。無理のない程度で、かつ自分のモチベーションと離れすぎない程度で現実的に選択するのが宜しいかと思います。
ご参考まで。
応援しています。
宗派の通信教育で学ぶのも手です。
それなら
専門学校と両立できるのでは。
広島でしたら
浄土真宗本願寺派のお寺が多いですから
下記のHPの通信教育が
定期的なスクーリングにも参加しやすいでしょう。
http://www.chubutsu-tsukyo.jp/
スマナサーラ長老といえば
学びの好みも推測できますので、私の出番かなあと思います。
先に日本の大学の学びの実情を申します。
仏教学を含めた文系は、たいてい、最初の二年間は教養科目(体育実技とか人文、社会、自然科学をまんべんなくさらりと学ぶ。旧制高校の名残です)ばかり学んで、専門に進むのは三年からです。最初から細かく学科や専攻ごとに入学を決める大学では一年から少しは専門ぽいものも学べますが、前の年度までの成績や本人の希望を加味して二年次、三年次に初めて専攻を決める大学では特にそうです。
ですから、大学で学びたいものがあり、しかも、専門学校にも行く必要があるなら、最初の一、二年間を専門学校で資格を取り、大学には、三年から編入すればよいと思います。編入を認める大学や学部とそうでないところがありますが、編入試験は一年時の入学試験よりたいてい簡単です。専門学校などでの実績を教養科目を終えたと見なしてくれることが多いので、仏教学などの専門に短期集中できます。
次に、日本の大学の仏教学の実情を申します。大学課程の学問として仏教を扱うので、仏教文献を読んで内容を検討する、文献や遺物を見て歴史を追う、そういうことが主流です。スマナサーラ長老の仏教を学び実践して人格を向上させ悟りを目指すというやり方とはずいぶん違います。
ただ、内容を検討するためには悟りや禅定の内容をある程度知らなければならないので、最近、ようやく、少しは実践しながら研究する学者が出てきました。学生が論文を書くときは、もう少し自由です。
私が客員教授(非常勤講師)をしている広島大学インド哲学では、そういう、ただ論文を書くだけでなく仏教やインドの宗教を知りたいという気持ちが溢れている居心地の良さがあります。広大インド哲学(歴史学や日本文学などもそうですが)には、退職後に社会人入学する人や聴講生になる人も多いです。
所属するのは一度に一つずつが限界かもしれませんが、歩みを踏み出す前に、可能性としていろいろ調べてみると視野が広がると思います。