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自我の否定の程度

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仏教では無我や無自性を説きますが、それが否定するのはあくまでもインド哲学に於けるアートマンであって、日本あるいは他の文化の持つ「自我」とは必ずしも同一ではないと思います。「永続する魂」たる「アートマン」が存在しないことを理解すれば、即ち諸行無常を理解すればそれで良いのではないか、と思ってしまいます。
釈迦は八正道など自身の心がけを要することを勧めていますので、「無我」とは「ぼーっと生きる」ことでは断じてあり得ないと思います。
インド文化に住まない我々が「無我」の道を生きて行くとは、どういうことを意味するのでしょうか。

2020年6月6日 11:03

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

仏法は無我にて候う

ご相談拝読しました。

「自我」の問題についてはおっしゃる通りだと思います。釈尊は怠ることなく修行することを勧めておられますので、修行を為す主体がなければ仏道自体が成立しませんものね。

さて、では修行して「無我になる」かというとそれは違うでしょう。すでに「無我である」身でありながら「これが私だ」「これは私のものだ」という我執・我見によって迷い苦しみを生み出していることを覚る。

だから覚るために修行するというより、覚りながらもその覚りの内容と自身の身が乖離する現実がある故に修行するというところでしょうか。

なお、浄土真宗的には死ぬまで迷いの身であるというスタンスですから他宗との違いはあるかもしれません。
浄土真宗においては、迷いをなくして覚りとの乖離を埋めようとするのでなく、迷いを知らされ続ける生活が修行かもしれませんね。

どの文化圏で生きようが、人間が生老病死する身であることには変わりありませんし、渇愛・執着によって身を焦がす存在であることも変わらないでしょう。

だからこその「無我」ではないでしょうか。いくら頭で「無我」を理解しても我執から離れられないからこその仏道です。

2020年6月6日 16:04
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おきもち

おきもちが子供達の笑顔になりました


はじめまして。 北海道の道南地区にある若松という農村のお寺に所属しており...

無我の意味は、スマナサーラ長老の

『無我の見方』、『無常の見方』(ともにサンガ刊)などを読めば分かります。
 世間の仏教学と関係なく、でもパーリ語の原始仏教聖典に忠実に、しかも、普通の日本人に分かる平易な日本語で書かれています。
 それでもわからなければ、長老が住職の日本テーラワーダ仏教協会のホームページの質問コーナーを見てください。同様の質問がいっぱいあり、答えは明確になります。

2020年6月6日 22:38
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有り難し
おきもち

おきもちが子供達の笑顔になりました


初期仏教というか仏教本来の教えを学びつつ、その在家信者のあり方から見た日本...

質問者からのお礼

無我の境地について考えるがあまり我々がすでに本質としては無我であるという真理を忘れていたようです。ご回答をありがとうございました。

「仏教全般」問答一覧

成仏とは

母が突然死しました。 数日前までとても元気に食事をし、健康診断も主治医から太鼓判を頂いたと喜んで報告してくれたので、しばらく信じられない気持ちでした。 きっと母自身も突然この世を去り驚いているだろうし、無念だったのではないかと気がかりでした。 母の死後、四十九日を待たずに地元で有名な霊能者の方にいろいろ視て頂きました。 信じる信じないは別として、ポッカリ空いた心を穴を埋めて欲しくて伺いました。 先生からの第一声が、母の生き方が素晴らしいとの事でした。 確かに母は誰にでも平等で優しく、穏やかな人でした。 しかし苦労が絶えず、娘の私から見ても果たして幸せな人生だったのか、そして誰にも看取られる事なく逝ってしまった最後が悲しすぎて後悔ばかりしておりました。 しかし、母は四十九日を待たずに天界へ登っているとの事でした。 すでに成仏しているとの事です。 例えて言うなら普通の方が徒歩で一歩ずつ天界へ登る所を、母はエレベーターで上がっていったようだとの事です。 今は6年前に亡くなった父よりも少し高い場所にいるとの事でした。 仏教は詳しくありませんが、人は亡くなってから四十九日間をかけて世話になった方等に挨拶周りをしてあの世への旅立つと祖母から教えてもらいました。 霊能者を疑ってるわけではありません。 それがでたらめでも心が救われたのは事実です。 そのまま胸に止めて生きていこうと思いましたが、ふとお坊様ならどうおっしゃるのだろうと気になりましたので質問させて頂きたいのです。 生前の生き方と言うのは成仏の仕方にも影響があるのでしょうか? 悪事を行えば地獄、良い行いをすれば天国。 それは子供の頃から頭の片隅に何となくありましたが、天国への上がり方にも生き方は反映するのでしょうか? 心が清らかな母だからそうなれたのでしょうか? そんな事って本当にあり得る事なのでしょうか? 母は悲しい最後で旅立ちましたが、人間、死に方ではなく生き方が全てと言う霊能者の言葉を信じても良いのでしょうか? 否定されても信じて行くつもりですが、仏様にお仕えするお立場からのご意見をお願い致します。

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こんなことをしていても大丈夫でしょうか?

もともとお線香の香りを楽しみたくて仏壇用のお線香をよくたいていました。 最近、1週間に1回お花が届く「お花の定期便」というものを始めたのですが、 そのお花と、お線香と、元々家にあるLEDろうそくを並べてみたら…三具足!?と思いました。3つ並べた状態でLEDろうそくをつけてお線香をたいてみたらなんだか仏壇に向かっているような気持ちになりました。 お線香に火をつけた後は何故か自然に手を合わせたい気持ちになるので手を合わせますが、この時の私の気持ちは何か1つを思うわけではなく、祖母や無くなった友人のことを思い出したり、大好きな仏様のことを考えたり色々です。 私の格好もお風呂上りだったりけっこうラフな格好で夜にこうしている事が多いです。 そして「この三具足のようなもの」はパソコン机の上なので、定位置に置いているわけでもありません。何か作業を始めたら隅っこに追いやってしまいますし、お線香が燃え尽きたらお花を移動させてしまうこともあります。 でも、もうすぐお盆ですし今度はお供え用のお菓子も置いてみようかな?と思い、お菓子を買ってきてしまったりもしています。 いつまでこれをやってみたいと思うのか自分でもわかりませんが、 今みたいな事をしていても大丈夫なのでしょうか?疑問に思い質問させて頂きました、よろしくお願いします。

有り難し有り難し 13
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