母親に対する復讐でいいものを教えてほしい
先日自分のことを小さいころから苦しめてきた母親を殺害しようしました。
しかし結果的にはできなかったです。痛めつけることだけでした。
やつを床に強い力で踏みつけ、それなりの力で殴って、蹴り続けました。
悲鳴を上げて、叫んで、呻いてました。
本当は殺害する気だったけど、いざ踏みつけていると何か重さのようなものを感じてできないとわかりました。今目の前で動いてるものを一生動かなくすることの大変さというか。
途中で痛めつけることに方針を抱え、今でも不完全燃焼ですがいくらから痛めつけて帰りました。
やつは追いかけてきてどこに住んでるのか連絡先を教えてほしいとか、父親と連絡を取っているのか聞いてきました。
自分は歩きながら住所も連絡先も教えず、父親との連絡も「知らない」とだけ答えました。
本当はここでもう少し殴るべきだったと思います。
そしてちゃんと生活しているのか、幸せに暮らしてるのか聞いてきました。
子供でまだやつの家に暮らしていた時けなして、追い詰めて、苦しめてきた人間が今更そんなことを言ってくる。本当に頭に来ました。でももう外にいて人もいる。自分にそれを見られながら殴る気持ちは整理できなかった。
自分は笑いながら、幸せに暮らしてるし、普通に生活してるとか答えました。
何度もそれを聞いてきましたね。本当に殺してやりたい。今思い出しても胸糞悪くなってくる。
最後にヒステリックに自分がいなくなればいいの?!とかわめきだしました。
意味がわからなかった。もとから自分の周りにいない人間のはずなのにいったいどこにいたというのか。
「なんでそんなことを聞くのか」とキレると奴は帰りました。
幸せに暮らしてるのね、それだけわかればいいからと言って。
奴を痛めつけてるとき、リビングにはTVがついていた。それも許せない。奴にはまだまだ年齢からして30年近くは人生を楽しめる。
日本はやさしい国だ。年をとっても快適に暮らせる制度、環境はごまんとあります。
まだ足りないです。今回のことで実際に殺害することは難しいとわかりました。
だけど痛めつけ足りない。次は警戒されて難しい。今回はインターホンで自分を名乗って入った瞬間殺しかかりました。
次は難しいが奇襲しかないと。
だけどそれだけではできるかわからない。
何か、何か最高の復讐を教えてほしいです。
今回のことで自分に人は殺せないかもと感じました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
負の連鎖を断ち切ること
拝読させて頂きました。
最高の復讐はあなたが心から幸せに生きることです。
あなたが受けた様々な心の傷や被害をあなた自身が遠ざけてその負の連鎖を断ち切ること、怒りや憎しみや殺意から離れてあなた自身が穏やかに安心して生きることが一番です。
あなたが怒り憎しみ人を傷つけ人を殺してしまってはあなたもその負の連鎖を背負ってしまい、同じ道を歩んでいくことになります。つまり負を継承していくことになります。
あなたが心から安心して穏やかに毎日を生きること、それが負の連鎖を断ち切ることです、すごいことです。
どうか愚かな負の連鎖をしっかりと断ち切ってあなたの心が円満になりますようにあなた自身が心から生まれ変わりましょう、そして善き道を歩みご精進なさって下さい。
あなたを心から応援しています。
約束してください
こんにちは。
悩みが多いこととは思います。
親御さんとの間に複雑な思いもあるのでしょう。
しかし、あなたが現に暴力をふるっていること、これから暴力をふるう事を前提として、言葉を掛けることはできません。
今後同様のことをしないと、約束してください。
それを決意されたら、またご質問してください。
復讐を考えるよりも、憐みの心で
復讐を果たして、あなたの心が平安になるとは限りません。
あなたが今まで受けてきたことが、かなり凄絶だったことは解ります。あなたににとって毒親だったかもしれませんね。
今の居場所や近況を聞かれても、今のben hymさんにはウザイだけかもしれません。でも、そういうふうに聞いてくるのは「子供の現在を知りたい気持ち」「子供が元気でいることを願う気持ち」の表れだと思います。子どものことを心配する気持ちはあるんだと思います。でも、実際のben hymに対する言動はと言うと、ben hymが殺意を覚えてしまうようなものであった訳ですね。ben hymにとって、痛く辛く不快であったと思います。他人である私が聞いても、不快です。初めから「虐待しよう」と思っていたわけでは無くても、其の時其の時の言葉と行動が極めて暴力的なものになってしまった訳ですね。結果的にそういう親にしかなれなかった、ということかもしれません。
私には3人の子供が居ます。決して子供の人格を踏みにじるようなことはしないつもりでした。暴力はいけないことだ。言葉も時として暴力になるので気をつけなければ、と自戒しているつもりです。でも、ほんの数回ですが叩いてしまったことがあります。心を傷つけるような言葉を発してしまったことがあります。決して頻繁ではないにしても、私も偉そうなことは言えません。人間もいつもいつも正しい言葉を発し、正しい行動を取れるとは限りません。出来ないことも多いからこそ、仏前で懴悔し、仏前で正しく生きることを誓っています。
親が子に暴力を振るうことを肯定する気持ちは毛頭ございません。有ってはならないことです。ただ、人間誰しも間違いを犯し、間違いを改められない弱さを持っているんです。お母様も自分の行動を「親として正しいんだ」と思い込もうとしてきたのでしょう。でも、どっかで「本当にこれで、いいのか?」と自問自答したこともあったと思います。
暴力に対して、暴力で返しても、相手に痛みと傷を負わせるだけです。あなたの心の傷をいやすことにはなりません。お釈迦様は「この世において、怨みに報いるのに怨みをもってすれば、ついに怨みのやむことはない。」『ウダーナヴァルガ』と説いて居られます。怨み、よりも憐れみの心を持つ方が、ben hymさんの心を軽くしてくれると思います。
あなたが母親の嫌なところを真似しない
今まで、母親に色々な不愉快な思いをされてきたことでしょう。それは同情しますが、暴力で訴えるのは間違いです。本当に復讐したいなら、母親にされた嫌な事を他の人にしない。人から憎まれない生き方をする。それが1番です。暴力で返したら、いつかあなたも誰かに同じことで返される。それは本当にそう思います。自分が正しいと思ったときに一回立ち止まり、足りなかったこと、悪かった事を反省して次に生かすことが大切です。憎しみは分かりますが、憎しみ自体を冷静に見直す必要があります。『サムライジャイアンツ』という漫画がありましたが、それはジャイアンツに恨みのある主人公がジャイアンツに入団し無茶苦茶ににしたろうという話しですが、手を抜くと2軍に落とされ、活躍すると首位に立ってしまう。結局復讐とは私が観た感じはこの主人公がいなくてはジャイアンツが成り立たないと思わせる事が復讐だったという結末だったと思います。
あなたも母親にこの息子ナシに自分は生活出来ないという事をすべきだと思います。しっかり働き、安定した収入を得て、家のことをすべてする。偶に外食して贅沢させる。病気になれば看病し、病院に連れて行く、もうあなた無しでは生活できません。あなたがいなくなると思うとゾッとするはず。これは凄い復讐ですね。
最高の復讐は思い浮かびませんが…
質問を拝読させていただきました。
私には想像難い強い憎しみをお母さんにお持ちなのですね、そしてお母さまを傷つけできれば殺したいという気持ちに悩みや迷いもない。
そのうえで最高の復讐についての提言を求めておられますね。その方向性での提言を私は持ち合わせておりませんが、思ったことをお話しします。
最高の復讐はあきらめて自分にとって最善の行動を探してみてはいかがでしょうか?なぜなら、復讐という行為があなたにとって社会的なデメリットを生ずることが容易に想像できるからです。まずは、憎いお母さんとの距離を置く。かかわらないで済む方法を探す。自分を大切に、自分が幸せに近づく方法を貪欲に考えてみられるのはいかがでしょう。
業は自分に帰ってくる
一般的に、何かをおこなった結果として受けるものを業と言いますが、将来の業になるおこないを今おこなうことも、行為の意味で、業と言います。
仏教に限らずインドでは、行為とその結果はセットで、何かの行為をしたら、その結果は必ず自分に帰ると思っています。
仏教でも、業は自分に帰ってきますと言います。
業はこの一生涯に受けたりおこなったりする分だけではありません。何億回も繰り返してきた前世からのものを含みます。
悟りを開いたら、この一生涯が最後で、その後に生まれ変わってこれまでの業の結果を受けることはなくなります。悟らない限り、また何かに生まれ変わります。
業の法則から見ると、「親が自分を傷つけた」場合、傷つけられた分は、傷つけられた人の業です。傷つけた分は、傷つけた人の業です。親子関係が縁になっていますが、各自の業は各自が引き受けます。
「自分が親を傷つけた」場合、傷つけられた分は、傷つけられた人の業です。傷つけた分は、傷つけた人の業です。
対等な関係でおこなう業は、対等な結果を生じます。
自分より目下の生命におこなう業は、少なめな結果を生じます。
自分より目上の生命におこなう業は、多めの結果を生じます。
例外は、困っている生命や苦しんでいる生命を助ける業です。緊急事態を救う行為は、特別大きな結果を生じます。
来世には必ず天界に生まれることが決まる大きな善行為と、
来世には必ず地獄に落ちることが決まる大きな悪行為があります。
天界行きが約束されるのは、完全な悟りではなくてもその前の悟りの段階に入ることです。無常、苦、無我を納得しただけでも、悟りの段階に入れます。
地獄行きが決まる業は、六つあります。
①父を殺すこと、
②母を殺すこと、
③悟った人を殺すこと、
④釈尊にけがをさせること(これはもう無理ですね)、
⑤修行に励む比丘たちを仲違いさせること、
⑥業とか因果とか来世とかをまったく信じないで好き放題生きること。
良い行為をおこなうとき、二種類の動機があります。
①何が善か悪かを冷静にわきまえて、悪は絶対犯さない、善には励む、と頑張ること。
②業が自分に帰ってくることを計算して、悪をなるべく犯さず、善になるべく励むこと。
計算して悪業を犯さないことも、善行為です。
最高の復讐・・・縁を切る=一切会わないこと。
最高の復讐は完全に忘れ去ること。
マザー・テレサが
「愛の反対は憎しみではなく無関心です」
と仰ったと伝えられています。
母親は
あなたに対して親としての愛が残っていたのでしょう。
それに対してあなたが復讐したいなら
母親を憎むのではなく
母親としてのその人間の存在を
あなたの中から完全に消し去ってしまうことでしょう。
もし殺してしまったら
あなたの中の母親は
消え去ることなく
永遠に居座ることになるでしょう。