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宗教によってあの世は違うのですか?

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お世話になります。

こちらで沢山の質問、相談を自分におきかえて、自分と似たような思いをされてる方など、読ませていただいてます。

よく見るのが、亡くなったら、仏教は、みな同じ、自死になろうが、悪いことをしてた人生であろうが、皆同じ、お釈迦様がお浄土へと導いてくださる。

しかし、別の見方では、自死はずっと同じ事をしてあの世で苦しむ…
自死の行為を何度も繰り返して苦しむとか…
地獄行きなど、針の山などある、などなど…あると聞きます…

また、ご先祖様は、修行を積み重ねられ、上の方に行かれているとか…

主人がどういう場所で、どんな修行をしているのか…
また上の方に行かれたご先祖さまと同じ場所におれてるのか。

考える日々です…


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

大切な問い

お久しぶりです。再びご縁をいただきます。

ご主人を亡くされて悲しみや寂しさは尽きないけれども少し落ち着いて向き合えるようになってきたのかなと拝察いたします。

さて、亡き方の行先は宗教によって異なるのでしょうか?〇〇宗なら〇〇に、△△教なら△△に行くのでしょうか。

でも誰も実際に亡き人がそこに行くのを見て確かめた人はいません。

つまり、亡き人の行先は宗教によって異なるのでなく、亡き人の行先を考える人によって異なる。
もっと言えば、亡き人の行先というのは「亡き人自身の行先」としてでなく「私にとっての亡き人の行先」という様に、考える人の問題としてしか明らかにはしていけないものなのです。亡き人の問題でなく私の問題なのです。

私は死んだらどうなるのか。それを確かめる歩みが宗教の学びであり、実はその学びを与えてくれたのは亡き人です。その時に亡き人は私にとって大切な問いを与えてくれた人として見出されてくるのです。

亡き人の迷いは私の迷い。私の安心は亡き人の安心。もう亡き人は私たちを離れてはいないのです。
ご主人からいただいた大切な問いを胸に生きていきましょう。

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おきもち

個別相談可能
はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
基本的には平日13時~15時のみ対応可能です。お寺の行事、急な法務で対応できない場合もあります。

一考察

亡くなったらどうなるのか。ということですが、実際のところは、よく分からないと言えます。私は(宗派とは別)死後の世界はあると考えますが、生まれてくる前のことも分からず、そして死後のことも説明がつかないのです。
でも、本当は皆さん知っているのかもしれませんが、忘れているのでしょう。むしろ忘れるような仕組みなのかもしれません。その方が真剣に生きられるからだと思います。

この課題は仏教でさえ、宗派によって、さらには個人によっても全く異なった解釈となります。しかも死後の世界はないという議論まであります。
いずれにしても、何を信じるかは自由ですし、そのことにより心の安定が図れるなら、それはそれで良いと思います。

ただ、私たちは意味があって誕生し、それぞれの経験をしていることは事実です。無意味に生きている訳でなく、どのような状況であっても生きていることには意味があると言えます。言い換えれば、わざわざ生まれてきたと言えるのです。

さらに、どのような理由があるにせよ、死を選んだとしても、実際は肉体の変化に過ぎず、魂、意識は継続していると考えていますから(私は)、決して終わった訳ではなくそのまま継続していると思います。そういう意味では死によって、すべての苦しみ、悩みから解放された訳ではないと言えます。ではどうなったのかも、次元が違う(肉体がない)ので説明はできません。
そのような意味では、ご葬儀や、ご法事、供養の必要性は大きいです。

また、世の中には、説明のつかない不思議な現象もあります。たとえば死者との会話や、見えない世界が見えるなど、これも全面否定はしませんが、完全なる証明も現状では難しです。

kayamaさんは、ご主人を通じて、様々なことに悩まれ疑問を抱かれていますが、これも決して偶然ではなく、それなりの意味があってのことだと思います。
全く死後についてや宗教や、それらのことについて学ぶ必要がなければ、今のような心境になっておられないと思います。
今回の人生での夫婦、親子、兄弟もすべて偶然ではないのですから。

充分な満足して頂ける答えにはなっていませんが、まずは納得でき安定した日々を送られますようにお祈り申し上げます。

そして本当のことは、いずれ分かる日が来ると思います。
なるほどこういう仕組みなのかと。

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おきもち

日蓮宗のお寺で、名古屋市南区にあります。 ”お寺は生きている人のためにもにある”と発願し、法筵寺を新寺建立。住職として41年になります。どこまで、その思いを達成しているか分かりませんが、少しでもお釈迦様、日蓮聖人の教えに触れて頂けたら思います。 FB https://www.facebook.com/kaisho.suzuki 法筵寺FB https://www.facebook.com/houenji/ 日蓮宗ポータブルサイト内 https://temple.nichiren.or.jp/3031069-houenji/

宗教宗派によって、様々な表現がされています。

でも
どれも科学的に証明できるものではありませんから
正しいとか間違っているとかは分かりません。

ただ自分が信じたいものを信じるだけです。
私は浄土真宗なので
亡くなった方は皆お浄土に往生されていると信じています
と言うか信じたいです。
どのような亡くなり方だろうと
地獄に堕ちることなく
阿弥陀如来がお救いくださると信じたいです。

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有り難し
おきもち

 浄土真宗(大谷派)/広島県広島市/17世住職。  1967年京都市生まれ。山形大学理学部卒業後、証券会社で勤務。30歳で脱サラし、親戚筋の超覚寺に入寺、45歳で住職継職。  遺族の分かち合いやお悩み相談などグリーフサポート活動を続け、お寺の掲示板による法語伝道にも尽力している。カープ坊主の会会員。
こちらに法事が入っていなければ、ご希望の日時に相談させていただきます。 想いを吐き出しても、あなたの環境は変わりませんが、あなたの気持ちは変わっていきます。 どうぞ安心してお話しください。

ご質問ありがとうございます。
死後については宗教それぞれ人それぞれの解釈がありますが、私個人としては「極楽浄土で家族とまた会えますように」と念仏を唱えながら阿弥陀様にお願いするだけであります。
あなたやご主人がどのような宗教であっても、またいつかどこかで再会できますように。それまであなた達家族を見守ってくれていますように。
南無阿弥陀仏

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私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答していますが、無知未熟ゆえに質問を読ませていただくことしかできないことも多々ありますがお許しください。 回答は私個人の意見や解釈もあり、場合によっては浄土宗の教義とは少し異なることもあるということをご了承ください。 また、寺の紹介ページに電話相談についても紹介していますのでどなたでも気兼ねなくご利用ください。 ハスノハのお坊さんがもっと増えますように。 合掌 南無阿弥陀仏

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