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仏教の妄想について

回答数回答 3
有り難し有り難し 15

こんばんは。智慧を貸してください。

私は自分自身の目、鼻、口、耳、肌で感じるものが事実・真実
頭の中の考えごとや不安、過去や未来のことが妄想と認知しています。
しかし、ネットやテレビなどで観るニュースや事件等は、世の中の何処かで起きている事実…
頭の中でそのニュースに対して考え事をしてしまい、これは事実か妄想かと幾度も捉われてしまいます。

人から事実か妄想か自分で結論を出したことはあるのと聞かれた時、テレビ・ネットでニュースを見たということは事実で、それについて深く考えだすと妄想だと思うと考えを口にする事は出来ました。
その時は、自分はこう考えているのだなと理解して悩みが消えるのですが、少し経つと同じように事実か妄想かと悩んでいます。
長い間、同じ疑問や自分の中の問題にモヤモヤしてしまっています。

長くなってしまい、ごめんなさい。お力を貸してください!

2020年8月19日 21:58

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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

くろさま、こんにちは。

哲学してますね。いわゆる、伝聞にて得た情報が真実かどうか、ですが、仏教でも、真実とされることの根拠として、

1.直接知覚 (くろさまのいう、五感で知覚することですね)
2.推論(言葉と言葉の関係、因果関係から導き出すことですね)
3.随経書(お経に書いてある、信頼に足る人が言っているから)

と、分類されています。くろさまのおっしゃるニュースのお話は、この、3番に近いですね。科学者からすると、そんな曖昧なことが根拠になるのか、っといわれてしまうかもしれませんが、実際、私たちは、情報源によって、その情報を信じるかどうかは大きく左右されます。

「修行をすれば、苦しみを無くすことができます」

こんな一文をとっても、怠けている人がいうのか、一所懸命に修行に励んでいる人がいうかで、ずいぶん、聞く人の印象も変わることでしょう。言葉の奥にひそむ、その人自身の生き方から、信じるに足るかどうかを、人々は見ます。

ニュースを報道されている方も、誤った報道をすれば信頼を失いますから、それなりの責任や使命感をもって報道しているでしょう。報道している、としましょう。

と考えますと、素朴にいえばひとまず、報道されていることを真実と取ることには、それなりの合理性がある、といえるのではないでしょうか。

もちろん、見方によっては、様々な真実も出てくるでしょう。つまり、A事件については報道したが、B事件については報道しなかった…この、「報道しなかった、語らなかった」ということからも、報道者の意図や志向性が見えてきたりしますね。

また、仏教では、世間で素朴に「真実」とされることも、「諸行」(縁によって作られたもの)の1つとして扱われますから、真実と思っていることでも、それはしばしの間のことで、縁がなくなれば、真実ではなくなってしまったりします。「虚妄なる法」なんて呼ばれたりします。「妻は若い」と五感で知覚はしていても、変わりゆくそれを見れば、真実ではなくなってしまいますものね。

着地点が見つかりませんが、とりあえずこんなところで!

2020年8月19日 22:35
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菩薩になりたいです。 仏教は、ほんとうにすばらしい教えだと思います。...

『事実はひとつじゃない』。

こんばんは。
浩文(こうぶん)です。

うーん、、
実験してみますか。。?

例えば、”今”私がこうして
ここに回答していることは「事実」ですね。

見えますでしょ?
読めますよね。

でもこれ、
『例えば、”今”私がこうして
ここに回答していることは「事実」ですね。』

って私(くろさん)が読んでいるときには
浩文和尚はもう投稿し終わってるから
”今”ではないんだよな。『 』の中のことも妄想なんだよな。
ってなるじゃないですか。

でも浩文和尚からしたら実際に今こうして投稿してるわけですよ。

ということは『事実か妄想か』というよりも
くろさんの見ている事実は
浩文和尚の見ている事実と違う。

『事実はひとつじゃない。』
と考えた方が分かりやすいんじゃないかと思います。
ですからネットニュースも
見ている人の数だけ事実がある、と見れば
『自分の事実と、自分以外の事実がある。
そして自分以外の事実は触れようがないから、そこは想像するしかない。』

妄想も、その考えている”内容”を指して妄想ということはできるけど
考えているという”こと自体”は事実なわけじゃないですか。

そんなふうにして
妄想していた内容(仮説がそうですね)が、調べてみたらどうやら事実に近いらしい(実証)、とか。
事実だと思っていたけど妄想だったとか。(例:お金は”事実上”タダの紙だから、お金に価値があるというのは妄想。妄想だけど皆が価値があると信じてるから、”事実上”価値あるお金として使える。←やっぱり事実はひとつじゃない。)

きりはないですよ。確かにきりはないんですけど。

実際に調べてみて、少しずつ分かっていくことなんだろうと思います。
それでよいのではないでしょうか?

2020年8月19日 22:39
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koubun
Buddhism. knowing what it actually i...

事実と妄想の区別は大変

初期仏教のアビダルマの視点からお話します。
 まず、細かいことですが、順番は、目、耳、鼻、舌(味わい)、身(接触)、意で覚えると良いと思います。最初の五つは外界を含む物質的な情報を得る質・量ともの重要性に寄ります。天界では鼻からの香りさえ下位の天界にしかなく、上位では音と光だけを楽しみます。逆に餓鬼界、畜生、地獄は光や音を楽しめず、ひどい匂い、味、苦痛を感受します。人間は、機能としては五根すべて、しかも楽も苦も感受します。
 五根から感受したものを受けて、そして意自身で、いろいろ妄想します。
 というわけで、初期仏教のアビダルマでは、外界や物質(体)から五根が何であれ感受したところは、まあ、事実。意が五根からの情報を感受したり自分で考えたりする活動自体も、まあ、事実、と見ます。で、意が考える内容や持ってしまう感情は、ほとんど妄想で、わずかに、論理的で苦の滅に進む思考、すなわち悟りに導く思考だけは、妄想とは言いにくいということになります。
 詳しくは、スマナサーラ長老の『ブッダの実践心理学』全七巻(サンガ)をお読みください。

2020年8月20日 8:52
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初期仏教というか仏教本来の教えを学びつつ、その在家信者のあり方から見た日本...

質問者からのお礼

浩文和尚様、Ryuko様
とても早く御回答頂きまして本当にありがとうございます。
自分では辿り着けない御回答を頂き、とても嬉しく思っております。
お忙しい中、私の質問に御回答していただき本当にありがとうございました!

藤本晃様、御回答していただきありがとうございます。
とてもわかりやすく説明していただけて、モヤモヤがすっきりしました。
より、仏教を学びたくなりました。
ご紹介いただきました、スマナサーラ長老の本を読ませていただきますね。
お忙しい中、私の質問に御回答していただき本当にありがとうございました。

「仏教全般」問答一覧

成仏とは

母が突然死しました。 数日前までとても元気に食事をし、健康診断も主治医から太鼓判を頂いたと喜んで報告してくれたので、しばらく信じられない気持ちでした。 きっと母自身も突然この世を去り驚いているだろうし、無念だったのではないかと気がかりでした。 母の死後、四十九日を待たずに地元で有名な霊能者の方にいろいろ視て頂きました。 信じる信じないは別として、ポッカリ空いた心を穴を埋めて欲しくて伺いました。 先生からの第一声が、母の生き方が素晴らしいとの事でした。 確かに母は誰にでも平等で優しく、穏やかな人でした。 しかし苦労が絶えず、娘の私から見ても果たして幸せな人生だったのか、そして誰にも看取られる事なく逝ってしまった最後が悲しすぎて後悔ばかりしておりました。 しかし、母は四十九日を待たずに天界へ登っているとの事でした。 すでに成仏しているとの事です。 例えて言うなら普通の方が徒歩で一歩ずつ天界へ登る所を、母はエレベーターで上がっていったようだとの事です。 今は6年前に亡くなった父よりも少し高い場所にいるとの事でした。 仏教は詳しくありませんが、人は亡くなってから四十九日間をかけて世話になった方等に挨拶周りをしてあの世への旅立つと祖母から教えてもらいました。 霊能者を疑ってるわけではありません。 それがでたらめでも心が救われたのは事実です。 そのまま胸に止めて生きていこうと思いましたが、ふとお坊様ならどうおっしゃるのだろうと気になりましたので質問させて頂きたいのです。 生前の生き方と言うのは成仏の仕方にも影響があるのでしょうか? 悪事を行えば地獄、良い行いをすれば天国。 それは子供の頃から頭の片隅に何となくありましたが、天国への上がり方にも生き方は反映するのでしょうか? 心が清らかな母だからそうなれたのでしょうか? そんな事って本当にあり得る事なのでしょうか? 母は悲しい最後で旅立ちましたが、人間、死に方ではなく生き方が全てと言う霊能者の言葉を信じても良いのでしょうか? 否定されても信じて行くつもりですが、仏様にお仕えするお立場からのご意見をお願い致します。

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こんなことをしていても大丈夫でしょうか?

もともとお線香の香りを楽しみたくて仏壇用のお線香をよくたいていました。 最近、1週間に1回お花が届く「お花の定期便」というものを始めたのですが、 そのお花と、お線香と、元々家にあるLEDろうそくを並べてみたら…三具足!?と思いました。3つ並べた状態でLEDろうそくをつけてお線香をたいてみたらなんだか仏壇に向かっているような気持ちになりました。 お線香に火をつけた後は何故か自然に手を合わせたい気持ちになるので手を合わせますが、この時の私の気持ちは何か1つを思うわけではなく、祖母や無くなった友人のことを思い出したり、大好きな仏様のことを考えたり色々です。 私の格好もお風呂上りだったりけっこうラフな格好で夜にこうしている事が多いです。 そして「この三具足のようなもの」はパソコン机の上なので、定位置に置いているわけでもありません。何か作業を始めたら隅っこに追いやってしまいますし、お線香が燃え尽きたらお花を移動させてしまうこともあります。 でも、もうすぐお盆ですし今度はお供え用のお菓子も置いてみようかな?と思い、お菓子を買ってきてしまったりもしています。 いつまでこれをやってみたいと思うのか自分でもわかりませんが、 今みたいな事をしていても大丈夫なのでしょうか?疑問に思い質問させて頂きました、よろしくお願いします。

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