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いずれ死すなら今死んでも

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有り難し有り難し 24

日々を楽しく...とは胸を張って言えませんが、自分なりに出来る事を苦楽噛み締め、本気で日々を一生懸命生きて来ていると思います。
ですが時々思うのです。「別に今死んでも良いのでは?むしろ死んだ方が後の面倒がなくてせいせいするのでは?」「いっそ死んだら色々と楽になるのでは?」
この先を生きることに絶望を感じることが多くあるんです。
「貴女が死んだら親はどう思うと思うの?」「周りの人のことも考えなさいよ」等色々あると思いますが、何故「私の生命」に関して、育ててくれた親以外に他人に意見されねばなりませんか?
さらに言えば人類皆絶滅した方が地球にとって自然にとって良いのでは?
そんな思いを抱えつつ毎日を生きています。
私1人が生きるために必要な他者の力に(生きる全てにおいて、例えば宅配便やゴミ収集小売店を利用する事も欲しいものが手に入ることも)ありがたく感謝しつつ頼っております。
であれば私1人減れば小数点以下でも人類や自然のサイクル的に多少楽になるのではないだろうか?と思ったり、私自身「このまま生きてて何かあるの?」と思ったりします。
大変な事も仕事も、責任を伴う事も配偶者も、必要で大切なものはたくさんあるので「生きててつまらない」とかじゃないと思うんです。
只ひたすら「別に今死んでも良いのでは?」と思うんです。
付随するとさらに追加で「面倒なく死ねるならすぐに死んで良いと思う」と思うんです。
痛いのや苦しいのや辛いのは嫌ですが今日眠って目が覚めなければ良いのにな。といつも思います。
なぜこんな想いを抱きつつ生きなければいけないのか。
なぜ「生きている事」がこんなに苦しくなるのだろうか。
インスタントで簡単な答えはないと思いますが、仏門を志され生きている皆様はどのようにお考えになられているのか。
恥ずかしながらご教授願えたらと思います。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「我、思う故に我あり」

質問を拝読して、タイトルの言葉が浮かびました。

フランスの哲学者、デカルトさんの言葉だそうです。
貴女は、いずれ死ぬなら今死んでも、という考えが浮かぶとのことですが
貴女の御両親以外に、生きる事について、とやかく言われる筋合いはないと、お考えになるかもしれませんが、誰にでも両親がいて生まれてくる命です。

貴女のご両親にも両親がいて、その方々にも更に両親がいて…と、遡るほど沢山のご先祖様の意思が繋がって、今の貴女の命へと繋がっています。
だから、貴女の命は貴女のものであって、貴女だけのものではありません。

この世に生み出してくれた方々の思いや、繋げてくれた努力の結果ですから。

それが縦の関係性です。

同時に、周りにいるすべての方々も、状況の差はあれ、みんな同じ立場であることです。

だからお互いに大切にする事が望ましい。

横の関係性とは、『お互い様』であるということです。

そんな関わり合いの中に生きている私たちですし、貴女もお書きになっている通り、さまざまな方の恩恵を受けています。

共に生きている人たちの中には、幸せを噛み締めながら感謝する事が出来る人生を送る人もあれば、
苦しみばかりに目を向けて、自分の不幸に失望される人もいます。

その差はどこから来るのだろう。と思う事があります。

全てはものの捉え方によりますね。

仏教には、『有学』と『無学』という言葉があります。

どちらが優れているか、というと、実は『無学』なのです。

学びが無い、知恵が足りない、ということではなく、『学ぶ事がない』境地という事で、

『有学』は、まだまだ学ぶ事が沢山有る、ということです。

『無学』の境地に至るくらい、それこそ真剣に生きていこうとするならば、生きていく事が苦しいと感じる時間がなくなるのではないかな?、と思いました。

今すぐに死んでしまいたくなるような、そんな逼迫した状況では無いのなら、自分が生きている意味、生きてきた中から感じられた事から、答えを探してみたり、

自分が学ぶべきものを探し、見つけてみてもいいのでは無いでしょうか?。

長いようで短く、いつまでも生きているようで、誰もいつ死ぬかなんてわかりません。

せっかく生きているのだから、生きている事を無駄にはしないで欲しいと思います。

当然私自身も、真剣に生きていこうと思います。

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因果・因縁

LALAさま

お釈迦様は、私たちの苦についてお説きしめされ、またその苦の原因についてもお説き示され、そして、その苦は無くすことができるとお説き示されまして、そして、その苦を無くす手段、方法についてお説き示されておいでであります。

簡単な答えとしては、全てには因縁(原因と条件)が必ずあるということになります。

結果を望ましいものとするのであれば、その望ましいための因縁を調えてあげればよいということになります。

結果が出ないとなれば、因縁が調っていないというだけで、調えられるようにしていくことが必要になるということであります。

仏教の場合では、悟り、涅槃、簡単に言えば、究極的な安心という結果へ向けた因縁を調える教えであると言えるのであります。

人生というものも、今の自分に至るための因縁は必ずあります。

例えば、もしも、(主観となりますが)虚無的な、悲観的な、冷笑的な人生となってしまっているのであれば、やはり、その因縁(今生も含め過去世からの業・カルマも相続した因縁)があり、迷い苦しんでしまっているということになります。

それを(主観となりますが)有意義な、安寧な、幸せな人生とするのであれば、そうなるための因縁が当然にあると言えるため、それらを調えることが必要なことになります。

仏教の場合は、それが悟り・涅槃というものであるということであります。

川口英俊 合掌

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