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自分自身を認められません

回答数回答 3
有り難し有り難し 37

初めまして。

私は高校を中退し、高卒認定資格を取り、22歳で大学に入学し現在大学生でアパートで1人暮らしをしています。

高校を中退したのは学校に馴染めず、次第に学校に行かなくなり、そこからうつ病と強迫性障害を発症し、大学入学に至るまでの期間は空白の期間になっています。

自分自身この空白の期間はとても苦しいもので、強迫性障害の症状が酷くて日常生活や外出もままならない時期もありました。
その影響で通院も途中でやめてしまい、現在は普通に生活できる状態になりましたが通院によって完治したわけでは無いのが気掛かりになっています。

また、高卒認定資格と大学受験は独学で勉強し、偏差値は高くないですが現実的に自分でも入学できそうな狙っていた大学に入学できました。
こんな自分を見捨てずに今に至るまで支援してくれた両親にはとても感謝しています。

しかし、個人的にはやっとのことで大学に入学したと思っているのですが、その反面、この空白の期間の出来事は甘えなんじゃないかと考えてしまいます。
自分にとってはとても苦しい時期でしたが、他人には理解されないものだと思ってしまいます。

事実自分の人生はもう終わったんだと投げ出していた時期もありました。
そういった時期も含めると甘えていただけなんじゃないかと思ってしまいます。
もっと早く病気から回復できたんじゃないか、もっと早く大学に入れたんじゃないか、と思ってしまいます。
もっとうまく出来なかったのかと後悔してしまいます。

そのため、自分で自分を認められず、大学の友人にも自分は遅く大学に入ったのだと告げられずにいます。
自分をごまかして高卒でそのまま大学に進学したんだという振る舞いをしてしまったこともあります。

仮に誰かに認められなくとも、自分で自分を認めてやりたいです。
どうしたらこんな自分自身を認めることが出来るでしょうか。

どなたかご意見頂けたらと思っています。
よろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

早咲きと遅咲きの種子

亀山純史と申します。
お釈迦様は29歳で出家し、35歳で悟りを開かれました。悟りを開くのに6年間の年月を要したのです。様々な修行を通して、悟りに至ったのです。また、私の宗派の宗祖である親鸞聖人は、20年間の比叡山での修学ののちに、比叡山を下山し、念仏への道へと進まれました。その時、親鸞聖人にとって比叡山での20年間は無駄だったのでしょうか。私は親鸞聖人が念仏に出会うには、20年間もの月日が必要だったと思うのです。
このように、私たち一人ひとりの人生においても、時期が熟すことが大切なのです。一見無駄なように思える時期でも、そのような時期を過ごさないと発芽しない人生の種子もあるのです。私は普段、高校で高校生に教鞭をとっています。現在の勤務校は、いわゆる進学校と呼ばれる学校ですので、常日頃、生徒へは家庭学習の大切さを話します。でも、勉強をするかしないかは、最後は生徒一人ひとりにかかっています。ですから、生徒の中には3年生になるまで勉強に身が入らない生徒もいます。そのような生徒の勉強の種子は、結果的に、すぐには発芽しないものだったと言えるのではないでしょうか。それは植物には早咲きと遅咲きがあるようなものです。そしてそれは仏教の見方からすれば、どちらかが良くてどちらかが悪いなどとと言えるようなものではないのです。ですから、自分を認めてあげていいのです。そして、自分が持っている種子を大切に育てて、発芽させてあげましょう。
以上が私からの回答です。少しでもお役に立てれば、幸いです。

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おきもち

hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧...
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過去はもうない、未来はまだない、自分すらもない

病気と一生懸命戦い、独学で勉強を頑張って大学にも入り、頑張りやさんで素敵な人物と思いますよ(^_^)

自分という言葉が何度か出ましたが、仏教は「自分に執着するな」という教えです。

自分て、どの部分ですか?
肉体のことでしょうか?命のもとの心臓でしょうか?物事を考えている脳でしょうか?生きてきた経歴ですか?○○さんという名前ですか?

まぁあんまり問いかけると混乱するので省きますが、要するに「これが自分」と呼べるものはないんだよ、周りの存在によって価値が与えられてるんだよってことです。

他者とか自分とか、分けた考えをやめてみてください。
みんな同じような物質で作られてるんですよ。
そこに勝手に世間の価値観が乗っかって、翻弄されてるんです。

まずウソやごまかしはやめましょう。
あなたは頑張れる人です。
過去はもうありません。未来はまだありません。
それなら、これから進むべき未来にむけて、これからも精進していきましょう。

心願成就 祈 合掌

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おきもち

困っている人や悩んでいる人にとって、仏さまの教えが少しでも良薬となれること...
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すばらしいです

 すばらしいです。

 hasunohaには、強迫性障害やうつなどで悩み苦しんでいる方からたくさんの問いがきます。それらの問いは拝読していて私自身もとてもつらい気持ちになります。
 そんな中、あなたはそれを克服し、高卒認定資格を取り、希望の大学に入った!素晴らしいです。
 あなたのような話は、きっと強迫性障害やうつで苦しんでいる人たちの励みになるでしょう。
 一体どのようにして克服できたのでしょう?体験談を本に出したら売れるかもしれません。「ビリギャル」以上にすごい事ですよ。
 (通院によってではなく自力で回復したとの事ですが、高校生活がたいへん辛かったのかもしれませんね。自分の生活のリズムをうまく作ることができたのが回復のカギだったのかもしれません。気に掛ける事ではありませんよ。)
 甘えだなんて、全くそんなことありません。あなた自身の経験から十分わかると思いますが、強迫性障害の治療は大変時間がかかるものです。早く治るものではありません。後悔する事なんかありません。

 ちなみに私の大学時代の同級生で5歳かな?もっとかな?年上の同級生がいました。体が弱く高校卒業にとても時間がかかったようです。それでも私たちは(見た目は明らかに年上ですが)彼と全く対等にタメ口で仲良く学生生活を送りました。
 入学が遅くなったことの理由をあまり話したくなければ、別に無理して話すこともないでしょう。大学にはいろんな年齢の人がいます。浪人生もいるし、高校を留年した人もいるし、萩本欽一さんのように一念発起して大学生になった人もいます。本来の年齢より違ってもあまり不思議ではないので気にすることはないでしょう。

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有り難し
おきもち

・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoh...
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質問者からのお礼

光禪さん
ご回答有難うございました。
強迫性障害の症状が改善に向かうきっかけとなったのは3.11の地震でした。
大地震でライフラインが止まり、否応なく生活が劇的に変化したことによって、症状を繰り返さなくともやっていけるじゃないか、という気持ちになれました。
そしてそこから徐々に自分なりに気を付けながら改善に向かうことが出来ました。
今思うと、ある意味地震が起きたことが自分の症状に対してのショック療法のような形になったのかなと感じています。
励ましのお言葉身に沁みます。
客観的なご意見を頂けて嬉しいです。

日顕さん
ご回答有難うございました。
ご回答を読ませて頂いて、自分という言葉を多く使っていることに気付きました。
自分とはどの部分なのか、考えてみたこともありませんでした。
なんだか新しい考え方が自分の中で見つけられそうな気になりました。
過去はもうない、未来はまだない、自分すらもない という事をよく考えてみたいと思います。

亀山純史さん
ご回答有難うございました。
植物には早咲きと遅咲きがあるようなもの、という言葉で少し気持ちが楽になりました。
今すぐには考えが至らなくとも、自分の過ごした空白の期間は発芽するために必要な期間だったんだ、と思えるように精進していきたいと思います。

皆様ご意見有難うございました。
これからも気持ちが迷ったときに皆様のご回答を読み返させて頂きます。

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