生きる目的が見つからず、就職するのが憂鬱です
初めまして。
初回から非常に重苦しい質問をしてしまい、申し訳ございません。
私は、現在就職活動をしています。
その中でどのような職に就こうかと考えた際、これからやりたいことや、
生きる意味について考えてしまい、やりたい事も目的もないのに、
これからも生きるということに嫌気がさしてしまいました。
生きる上で苦しいことや、嫌なこともあるのは分かります。
それに耐えねばならないことも理解しています。しかし、
それに耐えてまで何故生きるのかということが、今は本気でわかりません。
大きな話では地震や災害、就職難、高齢化、経済危機など、
小さな話では人間関係や恋愛、就職、介護など、
不安なことやつらそうなことが多すぎて、将来生きてゆくことが不安です。
「生きる意味なんてない」あるいは、
「その内生きる意味がきっと見つかる」
と自分を励ましてきましたが、
そのごまかしにもそろそろ限界がきています。
生きていて良かったと思える為には、どうすれば良いのでしょうか。
途方もない質問でありますが、お答えを賜われれば幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
生きていて良かったと思えるまで、生き続ける。
もう、みなみさんも気づいていることだと思いますが、生きる目的は初めから分かっているはずもなく、既に与えられていたりするものではありません。例えば、私は理系出身ですが研究職に就かず金融機関に勤めて、縁あって脱サラして僧侶になるも住職と喧嘩して寺を飛び出し、フリーターになり派遣社員になり正社員になるも、また寺に戻って今に到りました。
30になるまで、まさか自分が僧侶になるとは全く思ってもみなかったですし、途中それこそ生き甲斐も何も無くうつ気味になったり・・・。でも今ではそれらの経験が全ておかげ様だと思えるようになりました。途中で死ななくて本当に良かったと思います。人生はこんなものなのではないでしょうか?
「不安なことや辛そうなことが多すぎて、将来生きてゆくことが不安です。」とのことですが、おそらくどの時代の人間も不安は抱えていたと思います。でも生きて・・・働いて・・・結婚して・・・育児して・・・介護して・・・、そういうことを経て、自分の幸せに気づくのではないでしょうか?
どうぞ諦めないで。何とかなるのが人生です。
坐禅で学ぶ心のコツを会得すれば地獄に在りても幸せになる。
「幸せな子を育てるより、どんな不幸の中でも幸せになれる子を育てたい。」
これは美智子皇后さまのお言葉だそうです。
(^<^)苦しみは耐えるものじゃないですよ。平気でいられるこころの在り方を学ぶことです。
耐える以外の心の処し方、それが仏教、禅です。
耐えなきゃ…なんて思っている時点で発想が間違っていると思った方がイイでしょう。
じゃあ、どうすればよいか?とりあえず私は耐えたことありません。今も沢山の雑多なことがあっても耐えたり我慢はしてません。
アレコレ拾い上げず、サラリとしています。拾い上げたり取り扱いがないから、何があっても平気でいるのです。
苦しみに「耐える」なんてこと自体、人間ムリだと思った方がイイですよ。
やめたほうがイイです。
これから待ち受けるあらゆる困難にあっても凹んだり、苦しんだりしなくなればいいのです。
一度坐禅会に参加することをお勧めします。
東京でしたら中野坂上、成願寺。恵比寿の福昌寺。
坐禅会はぶっちゃけドコでもやっています。
月に一度だけでイイですから井上貫道老師の元でご指導を三か月受けてください。
そもそも坐禅は座る事が目的ではありません。
あなたがこれから先どんな困難があっても大丈夫になる為の心の在り方を学ぶことが主眼です。今後禅ブームでチャラい禅会も多く開かれる事でしょう。
中身がちゃんとあれば結構ですが、上記のような指導をされている禅会は私はここを置いて他には知りません。
坐禅会の目的は坐禅をするんじゃありませんよ。自分が悩まなくなるような生き方、心を探すのです。そういう心を手に入れる。そういうこころを坐といい禅というのです。
でなければ誰も坐禅なんかしやしませんし、誰が喜んであんな足の痛い思いなんざしたがりますかい。(^▽^ )
心を浄らかにして、善き行いに努め励むこと
みなみ様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
「生きていて良かったと思える為には、どうすれば良いのでしょうか。 」・・
仏教的なお答えと致しましては、「心を浄らかにして、善き行いに努め励むこと」となります。
もちろん、世俗的には、何が自分自身にとっての幸せで、何が良い人生であるのかは、人それぞれの価値観により相当に異なってしまうものでありますでしょう。
ただ、仏教的には、みなみ様にも色々と悩み、不安を抱えておられる苦しみの現実がございますが、まず、この苦の現実をしっかりと受け入れて、その上で、その苦の原因や条件になっているものは一体何であるのかを詳細に見極めて、そして、その苦の原因や条件となっているものを仏道を歩む中で一つ一つ対治していき、やがて苦の滅を目指していくこととなります。(苦・集・滅・道の四聖諦)
この苦の滅という安楽なる涅槃、悟りの境地へ至ること、仏教ではそれを幸せで最良なることと考えることになります。
もちろん、別に今は涅槃・悟りに興味がなくとも、この人生での良い報い、良い結果を求めたいのであれば、やはり、そのための因・縁(条件)が必要となります。何もその因・縁を積まずにして、どこかから良い報い、幸せが勝手にやってくるわけはありません。種も発芽するには、水や光や養分やと発芽のための因・縁が必要であり、種だけで水や光や養分などの因・縁無しで発芽という結果が生じるものではありません。幸せという芽を出すためには、それなりの因・縁が必要であり、仏教では、それこそが「善い行い」となる次第でございます。
ただ「善い行い」と言ってしまうと抽象的ですが、一つは他に迷惑を掛けない、自分のされて嫌なことはしないという善い行い(代表的な十善)と、もう一つが苦しみ困っている者がいれば積極的に助けていく、施していくという善い行い(慈悲・利他行)となります。
是非、善き因・縁を積まれて、善き結果に恵まれますように、みなみ様のお幸せを祈念申し上げます。
「生きる意味」・「生きる目的」につきましては、最近では下記の問いにもお答えをさせて頂いておりますのでどうかご参照下さいませ。
問い「この世に生を受けたということ。」
http://hasunoha.jp/questions/468
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
途方もない質問に、とても丁寧な回答を賜ることができ、とても嬉しいです。
ご回答、本当にありがとうございました。
【和田様】
ご自身の経験を教えて頂き、ありがとうございます。
悩まれた時期があったことを知り、
生きがいについて悩むこともあるのだとわかったことで、
少し、自分の立っている今の状況を客観視できました。
生きていて良かった、と思えるまで歩いてみようと思います。
【丹下様】
苦難の中でも幸せに生きることができる様な、
芯の強い精神が今の私に必要だと、強く感じました。
物事を真っ正面から捉えすぎ、傷付くことが多いので、
少しの傷で喚かないように精神を鍛えたいと思います。
【川口様】
私が、今迄生きることが辛い辛いとばかり考えていて、
周りの人や物事をないがしろにしてきたのではないかと、
はっと気付かされました。
身の回りで、私に寄り添ってくれているものに感謝し、
善行を続けることを忘れないようにしたいと思います。