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宗派の違う人の供養の仕方

回答数回答 2
有り難し有り難し 9

教えていただきたいです。

大切な彼が自死を選びました。私は救うことも支えることもできませんでした。それなのに、最後に「ありがとう」と言ってくれた、心優しい彼でした。

彼は真言宗です。即身成仏で、現世において密厳浄土を目指す宗派と理解しております。
お父様の月命日には必ずお墓参りをしていた、心のきれいな彼です。

さて、ここからが質問です。
1 自死をした場合
自死を選んでも、心のきれいな彼であれば、密厳浄土に到達し、苦しみから解放されているのでしょうか。
2 逆縁の場合
彼のお母様は存命です。逆縁になってしまっても、密厳浄土に到達し、苦しみから開放されているのでしょうか。
3 供養の仕方
四十九日までは、追善供養が重要と理解しています。
家族でもなく、宗派も違う私の場合、彼を想って光明真言や般若心経を自分で唱えるようなことで、追善供養になるのでしょうか。
何をすることが、彼にとって最善なのでしょうか。
4 宗派の相違
私は真言宗ではありません。その場合、死後に会うことは叶わないのでしょうか。
5 悪人正機
私は様々な罪を犯しているため、こんな私でも彼のためになれるとしたら、高尚な真言宗ではなく、浄土真宗の教えに従い、阿弥陀仏に救いを求めることしかできないのではないかとも考えています。
真言宗の彼のために、南無阿弥陀仏と唱えることは彼のためにはならないのでしょうか。

質問ばかりで申し訳ありませんが、こんな私が彼のためにできることを教えていただきたいです。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

浄土真宗的アプローチの場合

こんにちは。

先ずはお悔やみ申し上げます。
身近な人を亡くされた、そのお悲しみをお察しします。

さて、ご質問は2つの宗旨にまたがったものだと拝見しました。

彼氏さんの宗旨は、真言宗。
あなたは、一先ず浄土真宗と縁があるようです。ただ、これはお家の宗旨がそうであるのか、「高尚な真言宗」との対比で「阿弥陀仏に救いを求めることしかできない」という思いで言っているのかは判断が付きません。よって、一先ずはその前提を保留にしつつ、あなたが浄土真宗というアプローチで考えた場合を述べます。

お経には、「無有代者」とあります。

これは人間は、いかに愛おしくて代わってやりたいと思っても、人間は誰かの代わりをすることは出来ないという意味です。ですから、基本的に人間は自分の日々為す行い(業)の行く末を、自分で引き受けていく必要性がある。もう少し言えば、その人にとっての幸せは、その人にしか問えない。いかに身近な者であっても、その当人に代わって幸せを決め、行く末を決めてあげることは出来ないということです。

浄土真宗的なアプローチで考えると、阿弥陀如来様の極楽浄土に往かせていただく因(たね)は、どこまでも信心(阿弥陀様の救いにおまかせする心)です。これは、法話を聞いて、聞き続けて始めて定まるものです。誰かに代わって、聞くということは出来ないし、代わりに信心を得るということもできません。

もし、あなたが法話を聞き続けていった末に、自分が極楽浄土に往かせていただく身なのだと知らされるとしましょう。その時に、彼はどちらに往かれたのだろうかというアプローチの仕方もあると思います。その際は、彼は私に極楽を、阿弥陀様のお心に引き合わせて下さった尊いお方なのだ、という気づきも生まれる可能性があります。

自分の信仰、方向性が未定の上で彼を見る見方。
同じ真言宗に帰依した上で見る見方。
浄土真宗から彼を見る見方。

この三者によって方向性は随分違うものになるでしょう。
先ずは、自分の方向性を定めるところからだと思います。

補足
ご質問の1から4については、真言宗諸師のご回答が有効だと判断しましたので、回答は差し控えています。私は、5のみに関連して回答しました。

追記
ご丁寧な返信感謝します。
改めてあなたの真摯さを感じました。
今後、ここで問答を通して今後の方向性が見えてくるといいですね。

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釋 悠水(しゃくゆうすい)
浄土真宗本願寺派報恩寺住職(兵庫県三木市) 本願寺派布教使 元本願寺布...
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供養

nyantanさま

誠にお悔やみ申し上げます。どうか仏さまのより善きお導きがございますことを祈念申し上げます。

1 自死をした場合

自死は行き先を決定づけるものではありません。行き先を決めるのは業縁次第となって参ります。過去世、今世における様々な行いの集積である業と色々なご縁(仏教の場合は仏縁)によるところとなります。自死に関する業の考え方は下記拙回答をご参照下さいませ。

https://hasunoha.jp/questions/50460

2 逆縁の場合

この逆縁が行き先へと影響を及ぼすことはあまりないでしょうが、残された者の嘆き悲しみ、迷い苦しみの原因となっていれば僅かながらですが影響を与えることもあります。

3 供養の仕方

是非、こちらの拙回答をご参照下さいませ。

https://hasunoha.jp/questions/50702

4 宗派の相違

ご縁が調えば逢えることは十分にあり得ます。(別々の世界へ赴いても、その先の機縁にて、またお互いに同じ時に同じ世界へと転生することも)。ただ、過去世、前世の記憶というものは粗い意識が止むと共に大抵は消えてしまうものとなります。もちろん、その習気(薫りが染み付くようなイメージ)により微細な意識にその記憶が僅かながら留まることはあり得ます。その習気によっては過去世、前世における縁をまた感じることはあり得ます。

5 悪人正機

悪人正機は、信心決定と共に非常にナイーブな論点を有します。阿弥陀さまから見れば悪人正機でも、私たち凡夫の側から見れば色々と問題が生じるところがございます。

仏教はあくまでも七仏通誡偈の内容が基本中の基本です。

「諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教」

善き行いに励みて、心を清らかにすること。そのための仏道修行はそれなりにそれぞれ必要なものとなります。大乗仏教では六波羅蜜に代表されるものとなります。

真言や念仏、題目に関しては、下記拙回答で少し触れさせて頂いております。

https://hasunoha.jp/questions/50702

「南無〇〇」も亡くなられた方への供養とすることはできます。下記を参照に。ただ詳しく説明するには字数が足りません・・すみません・・

https://hasunoha.jp/questions/50525

川口英俊 合掌

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Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

川口英俊様
有り難いお言葉ありがとうございます。
善き行いに励み、心清らかに周りに慈愛を配ってくれた素晴らしい彼が、自死や逆縁により苦しんでいないかが最大の不安でしたので、死に方だけに左右されるものではなく、業縁次第とのお言葉に少し安心いたしました。
彼が苦しみから解放され成仏できるよう、私なりに精一杯供養したいと思います。
宗派に囚われすぎず、仏教という枠で、お釈迦様のお導きを少しでも分かることができるよう、いただいたお答えを何度も読み返し、理解を深めていきたいです。
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釋悠水様
有り難いお言葉ありがとうございます。
説明が不足しており申し訳ありませんでした。
私は自分の宗派が分かりません。父方は不明、母方の家は曹洞宗ですが、両親は宗教に対して肯定的ではないため、無宗教なのではないかと思います。
彼のためにどのような供養ができるかを考え、真言宗について学びはじめたところ、私が一朝一夕で何か彼のためにできるようなものではないことが分かり落胆しました。一方で、私のような心の弱い者でも救って下さる、親鸞上人の教えを拝見し、これであれば私のような者でも彼のために供養ができるのではないかと愚考したまででした。
教えていただき、親鸞上人の教えを私が理解できていなかったことも分かりました。
ただ、「阿弥陀様のお心に引き合わせて下さった尊いお方」とのお言葉は大変身に染みました。執着にまみれた私と異なり、常々、彼は悟りを開いた仏様のような方だと感じていました。彼は本当に、私を救ってくれたのかもしれません。
彼のために私ができることがない、ということは非常に辛いですが、少しでも彼のために何かできることがないか、このhasunohaや法話などを通じて学んで行きたいです。

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