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自殺 極楽浄土

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有り難し有り難し 51

私は、常々感じております。人の持つ歪んだ正義と言うものを。
今も執拗に不特定多数の人から、死ねば?とか、大したことねぇからあいつ。とか馬鹿なのに勉強するなよ、やっても無駄だよと言われたり、外に用事があって出掛けたら通りすがりにチッと舌打ちをされたり、流石に私もここまでされる覚えはありませんし、これじゃあ殺人を犯した犯罪者と扱いが変わらないのでは?と感じた事もあります。
何か気を悪くする事をしたかも知れないが何もそこまで、執拗に私の事を謗る必要は有るのだろうかと感じた事もあります。
家でゆっくり、読書をしている時も勉強している時も「もし、コロナが完全収束して外に出歩かなければならない状況が増えていったら自分の身が持たないな」と思い毎日が怖いです。
そんな時、たんにしょうと言う一冊の本が人生を変えると言う広告を見て、図書館で借りてみて読んでみたところ、どうやら死ぬ間際に南無阿弥陀仏と唱えるだけで自分が犯した罪が消えて仏様が極楽浄土に招待してくれるみたいな事が書かれていたんです。
今は、自殺したいと言う気持ちは全くございませんがもし、自殺する前に仏様どうか自分の命を無駄にしてしまう私の罪をお救い下さいと願いながら南無阿弥陀仏と唱えたら罪は許され苦しむことも無く極楽浄土に連れて行って貰えるのでしょうか?
御回答お待ちしてます。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

極楽往きは信心が一番重要

こんにちは。

これまで何回か縁がありました。
歎異鈔と縁があったのですね。
それは宜しいことです。

結論から簡単に言いますと、極楽浄土に往生できるのはただ一つ、信心のみであるというのが歎異鈔の本意です。親鸞聖人がかつて説かれたその重要な本意を、曲解誤解する人がいること(異)を歎くということが書の意味でもあります。

信心とは、阿弥陀様の必ず救うまかせよと仰る心を素直に受け止める心です。
肝心なのは、この信心はその阿弥陀様のお心を法話などで聞いて、聞いて、聞き続けて始めて得られるものです。

この意味から言えば、「死ぬ間際に南無阿弥陀仏と唱えるだけで自分が犯した罪が消えて仏様が極楽浄土に招待してくれる」ということは正確ではありません。

悩みを抱えていることは以前からの質問で承知しています。
もし、改めて歎異鈔について深く聞いていきたいのならば、また引き続きご質問ください。

最後に、「たんにしょうと言う一冊の本が人生を変えると言う広告」を見たと言われています。老婆心ながらアドバイスしますが、これはある浄土真宗を名乗る、伝統宗派からは異端視され、問題を抱えている団体の可能性があります。注意されながら読んだ方が良いです。

では、また。

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釋 悠水(しゃくゆうすい)
浄土真宗本願寺派報恩寺住職(兵庫県三木市) 本願寺派布教使 元本願寺布...
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大丈夫です。

浄土真宗本願寺派の教学伝道研究センターは
原始仏典と大乗仏典にさかのぼり仏典を読み直し
自死に関する数百カ所を分析しました。
その結果
釈尊は自死について価値判断をしていないことが判明しました。

例えば
「雑阿含経」にヴァッカリという弟子の話があり
重い病の苦しみから死を考える彼を
他の弟子たちは献身的に介護し
釈尊はどう仏法を学んでいたかを問うのみでした。
結局ヴァッカリは自死しましたが
釈尊は弟子たちに「亡くなり方」そのものについて非難しませんでした。
でも自死を容認している訳でもなく
釈尊が死を考えている弟子に対応する場面などでは
「生きていてほしい」と強く願っておられました。

みな成仏します。
地獄に堕ちることはありません。

今現在が地獄なのですから
南無阿弥陀仏を称えて
力を頂いてください。。

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和田隆恩
 浄土真宗(大谷派)/広島県広島市/17世住職。  1967年京都市生ま...
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普段から南無阿弥陀仏を

経典によれば、南無阿弥陀仏と念仏して往生極楽を願う人は、臨終時に阿弥陀仏が極楽浄土へ迎えてくださいます。
だからご安心ください。
ただ、私たちはいつ死ぬかわからないので、普段から南無阿弥陀仏の念仏を称(とな)えることが重要です。
なむあみだぶ
なむあみだぶ
なむあみだぶ
なむあみだぶ 
と口に出して一定リズムで何度も唱えてください。
そうすると脳のリズム運動にもなるのでセロトニンの分泌具合が良くなり、心が落ち着く効果もあるかもしれません。
また、善人でも悪人でも必ず救うと誓ってくださった阿弥陀仏の慈悲に共感しながら唱えれば、優しい気持ちになれるかもしれません。

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がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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念仏、題目や真言・陀羅尼等について

海藻類さま

念仏に限らず、題目や真言・陀羅尼等においては、その読誦による功徳を含めて、見仏、作仏、念仏、滅罪、悪業消除、悪趣清浄、浄土往生、または、延命、病癒、厄災消除、現世安穏等の現世利益などの世俗的な幸せや楽のための要素も含みますが、その目的は全て仏道の精進、仏道成就、つまり、「悟り」へと向けたものとなります。

「悟り」へと向けて、今のおかれてある立場としての自分が、どのように仏道を歩んでいくべきとなるのか、その道筋を示す方便的な機能を有するものになります。

ですから、仏縁もさることながら、それぞれの機根や気質等においても、その必要とする方便が異なってくるものにもなります。

滅罪、悪業消除、悪趣清浄、浄土往生へと向けたありようも、それぞれにおける必要とする方便によるものとなって参ります。

いずれにしても、仏教の目的である悟りへと向けては、三宝(仏法僧)への帰依と、悟りを目指す強い決意としての「菩提心」(皆を救うための悟りを目指す志)、そして、智慧(真理を悟る力)の力と福徳(功徳の実践)の力が欠かせないものとなります。

この悟りへと向けた方便(手段)として念仏、題目や真言・陀羅尼等の功徳や祈願・誓願の効果を活用することも重要になるということであります。

特に念仏における信心決定ということにおいても、悟りという目的へ向けてどうあるべきであるかについてお考えを頂けると良いかと存じます。

川口英俊 合掌

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Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ