病気を繰り返し、散財したこと。
どうしても過去に執着。忘れられない。
煩悩を断ち切るには?
執着してしまう。過去に使ってしまったお金。 病気にも、受け入れているつもりでも、向き合えず、他の健康な人を羨んでしまう。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
過去の意味を変えていきましょう
こんにちは。
仏教には、「煩悩を断ち切る」前提の宗派と、「煩悩を断ち切」る能力が人間にはそもそもないという前提の宗派があります。私は後者で、浄土真宗です。先ずは、あなたのご縁の有る宗派がどのような立場なのか、お付き合いのお寺さんに聞くとはっきりするでしょう。
「散財したこと」が、「忘れられない」のなら忘れなくても良いのではないでしょうか。記憶は無理やり消すことはできませんから。ただ、過去の事実が忘れられないのなら、過去の意味を変えていきましょう。高かったけれど、それは勉強代だったのだ、と。今後「散財」しないための勉強だったと考える。
「病気を繰り返し」たことが、「忘れられない」のなら忘れなくても良いのでは。
「病気」をしたからこそ、気付ける人の優しさ、人間の弱さに感慨を深めることが出来たという事はありませんか。
「散財」「病気」という事実を自分がどう見るか。
見方を変えていくことは、「断ち切」らなくても出来ると思います。
それは、今日から、今から出来ることです。
どうぞお大事に。
「わたしが私がワタシが」という無自覚の脳内優先に気づく
今から申し上げることをあなたは正しく受け止められないかもしれません。
つい、自分の頭の中で思う事を優先させてしまい、本当に向き合うべきことに向き合わずに他のことに意識を向けようとしてしまうかもしれません。それではこの話の効果が薄まりますので、数十秒、数分、心を静めて「これは自分の治療のため、向上のため、今後お金もかからずに済むため」にと、真剣に読むことです。効果があるように読めば、損した気持ちも無くなり病院で薬代がかかることもなくなる可能性があります。なぜなら、心と言うものはある時から考え方、処し方が悪くなっただけなのでその前の健全な運転状態に戻ればよいのです。
あなたも含め、多くの人は「自分中心のエゴではないエゴ」が苦しみの原因になっています。
このエゴとは自分の身を守ろうとしたり、二度と苦しみを味わいたくない保身的な心理です。先入観、慣習、つい繰り返してしまう事、習慣的な心理リアクション。常に自分が思うことが最優先で他の視点や他の思考法や他人のより良い助言にも耳を貸さず、自分が自分が、私がワタシがという意識に追われていつも自分ファーストになってしまっているのです。そういう心理の人がお釈迦さまや悟った坊さんの話を聞いてもわかりません。なぜなら自分の思い込み思考優先だからです。
だから、それを無くせばいいのです。
たとえばわかりづらいかもしれませんが、カレンダーに
「悪いことをするな、良いことをせよ。」と書かれていたとします。
この時に自分を中心としている人は標語が他人のことに責任転嫁します。
「ああ、本当だ。あの人は本当に悪いことをやめてもらいたい。いいことをしてくれればいいのに。」と自分のことになりません。優れた人は、言葉を自分を向上させる糧とします。自分を責めたりもしません。人は心が幸せに満たされていると、すべての言葉も自分の為に行われていることに感謝の気持ちが沸くほどなのです。
人生は歯磨きもトイレもお風呂も自分が自分のことをするしかないのに、心の向上はいつも人間は他人まかせ。
世界中の人が「我が心」と言う名の苗を与えられているのですが、人はこの「我が心」という苗を放置して、成長させることや育てること、病気も他人まかせなところがあるものです。
あなたの心を育てる方法は、ずっと選択してきたもののそれがために治らなかった私ファースト意識をまず静めることからです。
質問者からのお礼
お礼のコメント欄があるのを知りませんでした。申し訳ありません。大変に有り難いお言葉を頂戴いたしました。前向きに生きたいと思います。