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仏教は向上心を否定するか

回答数回答 3
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よろしければ皆様の意見をお聞かせください。


仏教は向上心を否定するか。
向上心とは現状に満足せず、さらに高い目標を目指す心の有り様を表す言葉です。
向上心は現代社会で広く受け入れられ、むしろ向上心が無いことは悪い事という風潮すらあります。

私は向上心の動機として、欲と執着は不可欠だと感じます。
小欲知足を基本とする仏教において、向上心は否定されるでしょうか。

否定される、と言うのが私の考えです。

現代社会は、キリスト教等の禁欲思想を否定し、
欲望を肯定し、それを達成する事で発展してきたように感じます。
ゆえに、欲望を受け入れ自らを切磋琢磨する向上心は、社会の発展に有意義なために広く受け入れられていると考えます。

人の無限の欲望をエネルギー源としている現代社会は、仏教思想と相容れない部分があると思います。
よって、仏教は向上心を否定すると考えます。

皆様はどのようにお考えでしょうか。また、お弟子さんやお子さん等、身の回りの方に向上心が見られない場合、どのように指導する(あるいは指導しない)か教えていただけると助かります。

2021年6月14日 12:25

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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

何ら矛盾はないし、否定もしていない

こんにちは。

前回も縁があって回答しました。
私は、仏教を思想で論じるのではなく、自らの体験として仏教を問わないと、それは机上の空論になりますと指摘しました。

これに対して、あなたはご自身を「仏教徒になりきれない仏教徒」「実践の伴わない、頭でっかちの仏教ファン」だと返信で語っていました。

前回、あなたは釈尊の求道が「極端なニヒリズム」ではないか、と述べていました。今回、あなたは「仏教は向上心を否定する」という仮説を述べています。ご自身を「仏教徒」「仏教ファン」であると自認しながら、なぜ否定的、批判的問いを続けるのでしょう。

前回、あなたには仏教の言葉、概念について基本的な理解不足と、自らの人生、体験を重ね合わせていない問いであることを指摘ました。今回も、同様の傾向を感じます。

「向上心」を、一先ず人格や技術等を「向上」させるための「欲」である、と言い換えます。その「欲」自体を仏教は否定していません。世俗にあって社会生活を営むには、さまざまな「欲」がなければ成り立ちません。

しかし、その「欲」が行き過ぎたり、方向性が間違っていたりするところに苦しみが生まれますよ、それを「貪欲(とんよく)」というのですよ、と仏教は教えます。「小欲知足」して、行き過ぎを省みたり、方向性の修正をしましょう、と教えているに過ぎません。

つまり、そこに何ら矛盾はないという事です。

こういった理屈の展開は、やはり基礎が出来ていないとそもそも難しいのです。一度、簡単な仏教入門を通読することをお勧めします。

あなたに、真に「仏教徒」、「仏教ファン」になって欲しい心から書きました。

追記
ご返信ありがとうございました。
あなたの質問の意図は承知しました。

ただ、ご自身でもお気づきのように、仏教について基礎的な内容を踏まえないで、先鋭的に突っ込んだ応用的質問を一度ならず向けられると、批判ありきではないかと受け止められてしまいます。

どうぞ、遠慮なくこれらからも質問をして下さい。
その際は、例えば仏教を理解したい、こんなところが好きのなのですがわからないところがあります、などの好意的スタンスで質問されてはいかがでしょうか。

では。

2021年6月14日 15:32
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釋 悠水(しゃくゆうすい)
浄土真宗本願寺派報恩寺住職(兵庫県三木市) 本願寺派布教使 元本願寺布...
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仏教の目的

ジョージ真壁さま

やはり、悟り・涅槃という目的、結果への向上力、仏教では心の対治力となりますが、もちろん必要となります。

欲、執着、慢の力も全てが否定されるものではなく、特に密教では、それらをうまくコントロールして(特に利他のためとして)、疾速に、加持力を頂戴し、悟り・涅槃へと向かわしめるために使うところとなります。

要は何のための向上であるのか、というところで、仏教では、世俗の幸せや自分の私利私欲とかを満たすものではなく、菩提心、全ての衆生を救うために仏道を進めていくということが大切となります。

川口英俊 合掌

2021年6月14日 14:24
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おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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出家と在家

出家か在家かによって優先順位は変わるでしょう。
在家の場合、日常の社会生活における向上心を捨てる必要はないと思います。
また、仏様の智慧と慈悲の教えを社会生活に役立てることも可能でしょう。

2021年6月14日 12:59
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おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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質問者からのお礼

皆様、貴重なご意見いただきありがとうございます。
釋様、私は仏教を否定するつもりで書いている訳ではございません。
誤解を与える書き方をしたようで、深く反省しております。
仏教の実践とは何をすべきか、ゴータマシッタルダは何をなして、何を見出したのか。
また、2500年前と現代では社会的背景も異なります。また、仏教そのものも変わってきていると感じます。そのような中で仏教をどのように解釈し、どのように伝えるか考えての投稿になります。

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良い人・優しい人が損する理由

YouTubeのオススメに「良い人・優しい人が損する理由はこれです」みたいな動画があったので、とりあえず観てみました。その動画には「ブッダの教え」というサブタイトルが付けられていました。 優しさと思いやりが、いいように利用され苦しむ主人公の話でした。 その後、主人公が見つけた答えは、 ①「自己尊重と他者への尊重のバランス(自分自身と他人の間に健全な境界線を引く)」 ②「自分の気持ちや考えを尊重してもらえない関係は健康的ではないと理解しそのような関係とは距離を置く」 ③「支援や協力が真に価値を持つ場合にのみそれらを提供するようにする」 というものでした。 私にはとても良い話に感じましたが「我を無くす」から遠のいてるようにも見えて、この話をどこまで鵜呑みにしていいのか迷っています。 「ブッダの教え」とありますが、この動画に出てくる登場人物名や逸話をネットで検索してもそれらしいソースが見つかりませんでした。 (生きにくさを抱えた現代人向けの創作?) ここでお坊様方にお聞きしたいのは①②③は仏教的に見て、実行しても大丈夫な内容でしょうか。 またお坊様方の考えなどもお聞かせ頂けたらと思います。 よろしくお願いします。 補足です。 私は優しさ・善良さとは程遠い人間ですが、周りではよく聞く話だったので、このテーマに関心がありました。

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