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犠牲になったもののことを考えると辛いです

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有り難し有り難し 16

私の今の暮らしがたくさんの犠牲の上に成り立っていることを考えると、このまま生きていて良いのか疑問に思います。
食べるために動植物の命をいただくのは、仕方のないことだと思っています。それは感謝して頂く他ないと思います。
しかしそれ以外にも薬の開発のための動物実験だったり、開発による自然破壊だったり、多くの命を奪っていると思います。私の生活は様々な科学技術に支えられていますが、その技術が開発されるまでには事故が起きたり、誰かが命を落としたりしています。私が安い洋服を買う背景では、途上国の綿花生産者や工場労働者が苦しんでいるかも知れません。

食べるのは良いのに、矛盾していると思われるかも知れませんが、私の便利な暮らしの背景で何か・誰かが犠牲になっていると思うと辛いです。生きている限り何かを犠牲にし続けると思うと、そこまでして生きる意味はあるのか疑問に思います。
自分でも気持ちをきちんと整理できていないのですが、消えてしまいたい、死んでしまいたい、という強い思いがあるわけではなく、生きるていることは新たな犠牲を産むことに加担していることのように思われるということだと思います。私が生きることで間接的に何かの命を奪っているのも、誰かを苦しめていると知りながら何もできないのも辛いです。
生きている限り何か・誰かが犠牲になっていると思うのですが、お坊さんはこのような犠牲についてどのように考えますか。

読みにくい文章だったと思いますが、最後まで読んで下さり有難うございました。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

そこからが人間としてのスタート

こんにちは。

あなたは、「生きるていることは新たな犠牲を産むことに加担していることのように思われる」と書いています。あなたは、様々な命の問題について、自分が直接間接に関わらず問題の当事者の一人として考えている。これはとても大切な問題意識の持ち方だと感じました。

また、あなたはご自身で「矛盾」と表現しているように、自分の思考に辻褄の合わない点に気がついてもいます。「食べるのは良いのに、矛盾していると思われるかも知れませんが、私の便利な暮らしの背景で何か・誰かが犠牲になっていると思うと辛い」と書いています。

そもそも「犠牲」という言葉自体が、既に人間を中心にした視点です。人間が人間のために利用するのが「犠牲」という言葉であって、動植物が動植物同士での食物連鎖があってもそれを「犠牲」とは言いませんから。

人間は、いや自分は、とても自分勝手である。
これが紛れもない現実であり、事実です。
「食べるために動植物の命をいただく」ことに、「感謝して頂く他ない」と一応の理屈付けをしたとしてもその事実はなんら変わりがありません(但し「感謝」が必要ないとは言っていません)。動植物にとって命を奪われることが本意であるはずがなく、「感謝」してもその自分勝手な行為が正当化されるはずもありません。

また、生きるということは、そもそもがとても自分勝手なことです。
「生きている限り何かを犠牲にし続けると思うと、そこまでして生きる意味はあるのか疑問に思います」とあなたは書いています。それは、今後「犠牲」にしないことを優先して、人間が食べもせず命を奪わず生きるという営み自体を停止する方が「犠牲」になるものが居なくて人間にとって、いや自分にとって良いという意味になるでしょうか。

しかし、それは現実的にご自身が選択できる方法ですか。
実際、難しいでしょう。

人間は、いや自分はとても勝手である。
それが人間としての(仏教としての)スタートラインです。
自己中心で物事を考える姿を顧みて、ここから自分がどうしていけばより「犠牲」を他に強いない世にしていけるか。そう考えるのです。

他の「犠牲」と、迷惑の上に成り立つ自分がどう生きていけば良いのか。
逆説的ですが、それが人間として生きるということです(字数制限)

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有り難し
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釋 悠水(しゃくゆうすい)
浄土真宗本願寺派報恩寺住職(兵庫県三木市) 本願寺派布教使 元本願寺布...
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供養

りこさま

最近、このように他の命についてのことを考えて下さるご質問が多くあり、誠に有り難いことでございます。非常に大事なことです。

是非、善き供養をなさって頂けましたらと存じます。

https://hasunoha.jp/questions/53869

https://hasunoha.jp/questions/54069

https://hasunoha.jp/questions/53960

・・

仏教ではどの命も平等であり、共に大切にしなければならないものであります。

例え人間に害ある生き物たちであっても。新型コロナウイルスもです。

もちろん、綺麗事だけでは私たちは生きてはいけません。

頂く命、やむなく奪わなければならない命があります。

ですから、感謝して頂く、供養することが大切となります。

そして、できるだけ奪わなくて済む命は奪わないようにしなければいけません。

みだりに生き物を殺めてはいけない。仏教における不殺生戒です。

下記拙法話も是非参考にして下さいませ。

拙法話「追善供養」


川口英俊 合掌

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おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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