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妻と離婚したくてもできない

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妻はもともとヒステリーなところが少しありましたが、子供が産まれてから人が変わったようにひどくなり、半年ほどでこちらが鬱になってしまい1ヵ月ほどの別居でこちらの体調が改善したのでまた元の生活に戻りました。
それ以降も関係は良くなく、今も些細な事で週に1回から2回ぐらいのペースで怒鳴りあいの喧嘩が絶えずあります。
ほぼ毎回喧嘩の時に離婚したいと伝えますが、妻が少し冷静になってくるとさっきまで激怒していたのが急に人が変わったように号泣しながら、怒ってごめん、私が悪かった、離婚はしたくないと謝ってくるので結局こちらが折れてしまうのを繰り返しています。
毎日が本当に窮屈で、とにかく妻の機嫌に振り回され、自分のための自分の人生では無くなってしまったようで、生きているのは辛いです。
綺麗事に聞こえると思いますが、些細な事でキレてくる妻を許せずに激怒し返してしまう自分が嫌いで自己嫌悪しかありません。自分が自分で無くなってしまったように感じます。
絶対に離婚した方が幸せになれると思いますが、号泣しながら謝られると結局それ以上は何も言えなくなってしまい、普段は妻も普通の人なので子供が可愛いし、離れたくないのでこのままでもう少し頑張ってみようと思ってしまいます。
それなりに今まで幸せで楽しい人生でしたが、現在は本当に楽しくない辛い人生だなと感じています。
このまま頑張って夫婦生活を続けていくしか無いのでしょうか?


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

父子家庭も選択肢。離婚しても親。

離婚する場合、そのようなヒステリックなママに子供を監護させるのはリスクがあります。
日本では離婚した場合に母親が子供を引き取ることが多いですが、父子家庭もあります。
あなたの質問からはお子さんの状況がわかりませんが、親となったからには、自分よりも子供を第一に考えてください。
今まであなたが味わった楽しい人生を、今度はあなたが子供に与えてあげる番です。
仮に離婚して相手が子供を引き取る場合には、あなたは、子供が大学を卒業するまで養育費を払い続けることを文書で約束してくださいね。
大事なのは、離婚したとしても父と母である責任は消えないし、子供には父とも母とも面会交流する権利があるということです。
それと、激しい夫婦喧嘩を子供に見せることは、場合によってはお子さんに対する心理的虐待つまり児童虐待に該当する可能性があります。
離婚の理由として「このままでは子供にとって平和な家庭を作れない。」と説明するのも方法の一つかもしれません。

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がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

やれることは全てやってみましたか?

質問読ませていただきました。

夫婦の間柄というのはなかなか難しいものですね。心中お察しいたします。

さて、関係が良くないことは質問文からよく伝わってきました。
出産を機にとのことのようですが、出産を経るとホルモンバランスが崩れて一時的に精神が不安定になる方も少なからずおられるようです。

また、男性というのは女性よりも自分の子供(特に赤ちゃん)に対しての責任感が薄い方が多いように感じられます。男性からすれば「自分が赤ちゃんのことをやらなくても妻がやるだろう」という考え方が思考のどこかに潜んでいることが多いので、子育てにどこか無責任な部分が見られたりします。しかし、女性というのは自分が赤ちゃんにとっての最後の砦なので、全ての責任を負いながら必死で子育てをするのです。「女性は子供を産めば母親になるが、男性はいつまでたっても子供だ」というような意見をよく耳にするのもそういうことでしょう。
その不満がたまりにたまって、些細なことでご主人に辛く当たる、もしくは愛想を尽かされるという話はよく聞きます。

もちろんこれは一般論なので、質問者様に当てはまると言っているわけではありません。普段の生活の部分は、こちらには見えませんので。しかし出産を機にということでしたら、そこに何か理由があるのでしょう。
また、奥様への愛情も無くなってしまったわけでもないようですし、質問者様も別れるか別れないかを大いに迷っておられます。それは、「ひょっとしたらまだやり直せるかも・・」という期待が残っているからではないでしょうか?

別れるのは簡単かもしれません。しかし一度手放したものは二度と戻ってきません。それなら、自分がやれること全てをやってから決断しても遅くないでしょう。

なぜ奥様がそんなにすぐ怒ってしまうのか?子育てに関して自分に至らない点はないか。奥様への感謝の気持ちを伝えているか?今までより自分も頑張るし、奥様もできる限り気持ちを抑えて、お互いに笑顔で「ありがとう」という機会を増やしてみよう。
そんなことをじっくり冷静に話し合ってみてください。そして、そんな話し合いの機会を増やす努力をお互いにしてみてください。
お互いの本音をさらけ出すことで、気持ちのすれ違いが解消される場合もありますよ。

少しでも参考にしてみてくださいね。

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個別相談可能
京都府・大阪府・奈良県の県境に当たる、京都府京田辺市の天王院というお寺でお勤めさせていただいております。山手の方にある、自然に囲まれた日蓮系宗派のお寺です。 13才から僧侶となり、たくさんの方と関わってきました。 現在は42才となり、3人の子育てに奮闘中です!また、教育関係の仕事にも勤めたことがあります。 自分の経験したこと全てが私自身の糧となり、それが人を救う力になればいいなと、何があってもポジティブに考えるようにしてます。 その経験を活かし、 ・人間関係 ・将来の不安 ・仏事全般 など、様々な質問に答えていきたいと思っております。 何か悩み事がある、個人的に相談したい、質問について他の人に知られたくない、という方は遠慮なくメールにてご相談下さい。 今までにたくさんの方からメールにてご相談をいただいておりますので、気軽にご相談してみて下さいね! また、ハスノハの回答には字数制限があり、私の回答に対するお礼に返事が出来ない場合も多々あります。ですので、返事を望まれる場合もメールにてご連絡下さい。 メールアドレスは下記をご参照下さい。 一両日中に返事をするようにしておりますが、こちらからの返事が届かない場合は、 ・メールアドレスを間違えていないか ・受信拒否設定はどうなっているか を確認して、もう一度メールを送っていただければありがたく思います。 また、お寺に直接訪問されてのご相談も受け付けております。その場合は、まずメールか電話にてその旨をお知らせ下さい。 お寺の予定と照らし合わせて、日時を調整させていただき、お寺の詳しい場所などをお伝えいたします。 ただし、電話回線が1本しかないこと、他の法務の電話が多いことから、失礼ながら電話での悩み相談は承っておりません。 直接お寺に参詣されての相談か、メールにての相談に限らせていただきます。 また、直接お寺に参詣されての法事や、ZOOMを通じての法事なども受け付けておりますので、希望があれば何でもご相談ください。 メールアドレス joukai4378+soudan@gmail.com 電話番号 0774-65-0161
法事や行事がなければ、平日・休日共に 9:00~12:00 14:00~17:00 の時間帯で相談できます。 土曜日や祝日の前の日なら、お寺の予定が何もなければ 21:00~ でも相談できます。 他にも調整できる場合もあるので、お問い合わせください。 人に話をしたり言葉に出すことで、気持ちが晴れたり、考えがまとまったりすることもあります。 どうぞ遠慮なくご相談ください。

ー菩提心ー お互いの人間性の向上を約束する 

我が家でも夫婦で菩提心を大事にしております。
菩提心とはわかりやすく言えば自己の人間性向上を一生続けていくこと。怒るなんてトンデモナーイ!という心の最高クオリティーを目指し最上コンディションでお互い人畜無害で自分も救われ相手も救える善玉菌な人間性をキープ&継続することです。仏教はそれなしに仏教とは言えませんし、菩提心のない瞑想や供養はマインドフルネスや供養ビジネスのように営利に利用されて終わる。人間性向上が抜ける。
人生も夫婦関係も同じです。菩提心、人間性の向上精神なくして夫婦とは言えません。そもそも宗教というものがこの世にある理由は何か。人間という動物は宗教・倫理的なルールに基づいて行動しなければ獣と変わらないからです。無宗教での結婚とは結局形だけになってしまう。昨今では結婚といってもキリスト流で式を挙げるとか、みりん風調味料、しょうゆ風調味料のような、形は似てるけどその精神・中身が別物な結婚が多いと思います。結婚をするというのはある種、日本人同士でも国際結婚ですから(当方切実に痛感)男女の両者がお互いに人間性の向上精神を持たずに形の上で「誓いましゅ♡」と口約束しても本当は約束になっていないというものではないかと思っております。これはあなた方夫婦のことではなく日本中のすべての夫婦が、です。
別にその人間性の向上精神を菩提心とか難しく言わなくてもよいのですが、菩提心とは悟りを求め、この上ない人間性を求め、優しい心を求め、自分も相手も一切の人々をも救える心ですから、こんな素晴らしい心を求めないなんて人生ドブに捨てているようなものでしょう。
今日から、以下のようなことを約束をしてみるとよいでしょう。
1怒りは自分も相手も損ねるから怒りは慎む
2不機嫌は相手も損ねるから不機嫌になる前に会話を優先する
3相手の助言は自分を損ねるためではなくお互いの生活向上のためと受け止める
4不平不満は相手を損なわないよう言う側も聞く側も礼節を重んじる
5相手の望む愛の形を提供することが愛でありそうでないものは自己愛

どうして愛を誓い合った者同士でありながら口を開けば相手を傷つけ家庭崩壊につながるように受け止めてしまうのでしょう。哀しい生き物です、人間。
だからこそ、そこを補完するために必要な精神があるのです。
それが菩提心であり、十重禁戒という戒め、四弘誓願文という誓いなのです。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

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