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死にたいと考えないようにしたいです

回答数回答 4
有り難し有り難し 23

こちらでは何度もお世話になっております。

長年大事にしてきた恋愛もあっけなく失い、ものすごい喪失感です。
おかげで職場でのパワハラにも耐えられなくなり、ついに鬱の診断を受け、仕事も先月辞めてしまいました。
しかしながら、哲学の本を読みいろいろと考え直し、病は気からのように体調は一ヶ月も静養すると戻りました。今は、数年前に働いていた企業にお世話になり、再就職をして働いています。

今ある恵みに感謝して、無いものにこだわらず、何を目指すでもなく、ただその幸せを継続して生きていきたいとは思うのですが、どうしても罪悪感と逃げたい気持ちに襲われて正気でいられない時があります。

2014年5月27日 22:01

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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自分が何をやっているか、わかる目を持とう

あなたは頭の中で幸せを求めることをも止めた方が良いですね。
得られなかった時に、ロス、ミス、損なわれる感覚が生まれるからです。
たてぬ的 引かぬ弓にて 射るときは 当たらざれども 外れざりけり
禅の幸せ探しは、幸せらしさを求めることすら止めれば すぐさま求めの方向性が変わり身近な幸せを感じ、幸せになるものです。
あなたが求めている幸せを求めることを止めた瞬間に、別ラベルのものが手の中に入っているのです。それを宝、一期一会、而今、現前などといったりもします。
そっちを大事にすることであなたは負のサイクル化抜け出せるでしょう。
あなたがかねてよりハマりがちである事の一つとして頭の思考のペダルをこいでしまう癖が強いと思います。禅は思考のペダルをこぐことをしない生き方です。
なにかの獲得を求めない、生き方です。
だからこそ哲学するのはやめたほうがイイでしょう。結局頭のペダルをこぐことですから。
禅は哲学ではありません。無自覚に思考している自分に気づき、思考ののペダル運転を止めるのです。
あなたはこの世界にいます。
私もあなたと同じ世この界を観ています。
あなたは頭の中のペダルをたくさんこいで幸せになろうとしますが、私は幸せも求めなくとも幸せです。むしろ求めていないしい、これから向かう先など設定してもいないからです。
だから得ようとするものもありません。
だから心が楽です。
かつて私も私なりに頭の中で一生懸命求めましたが、幸せは得られなかった。
その時にハッキリ気づきました。「ああ、自分がやってきた結果、幸せになれないという事は、幸せの求め方そのもの、姿勢が間違っていたのだ」と完全敗北です。
だから、あなたは自分の求め方が間違っていることを認めたほうがイイと思います。
考えたり、アタマの中で求めるのではなく、考えや思いから離れた世界がある事を求めるべきです。
今、自分が何をやっているかわかりますか。
ほとんど、思考のペダルをこいでいる姿ではないでしょうか。
それで幸せになれなかったのなら、それが答えです。
あなたがこぐべきペダルは考え、思い、思考のペダルではなく、
観えている、聞こえている、感じている、事実の世界のペダルです。
参禅をして思いや考えの世界から離れることをお勧めします。

2014年5月29日 14:32
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有り難し
おきもち

丹下覚元(たんげかくげん)
お悩み相談 ❝あなたの悩みという荷物をおろしてみませんか?❞ 「お寺で...

まず、ご自分を許して差し上げてください

鬱は病気です。
そのキッカケが何であろうと、体力が落ちて風邪を引くように、
ちょっとした心の抵抗力が弱る出来事で心の風邪を引いたのだと思います。

罪悪感と逃げたい気持ちは、まだ鬱が残っているからではないでしょうか?

風邪を引いて高熱を出した時にその理由や、その事で出来なかった事を責める人がいるでしょうか?
…普通は責めませんよね。

そう、あなたはまずご自分を許して差し上げる必要があるのだと思います。

普通は鬱で退職して他の仕事になかなかつけないものです。
あなたは、おそらくかなり頑張ったのですね。
素晴らしいです。
ご自分を褒めて差し上げて下さい。

それから、あなたがどんな時も文句を言わずあなたを支え続けてくれた身体に感謝してあげてください。

何よりも、本当に苦しかったのに死なずに足を踏ん張って生きてくださるあなたに、
私は感謝します。

本当に有難う!!!

どうか、他と自分を比べる事はしないでくださいね。
あなたはあなたの人生を生きているのです。
あなたはそのままで良いのです。

そのまま生きていれば、きっと時が来れば病気は消えて行きます。

それまでの間、宇宙の根源である大いなるもの(仏さまとも呼びます)に
襲って来る辛さをそのまま丸投げしてみてはいかがでしょうか?
好きな仏さまの名前を呼ぶのでもいいでしょう。
漠然と「仏さま〜!」って言ってもいいでしょう。

泣きながら仏さまの名前を呼んでみて下さい。

試してみる価値はあると思いますよ。

2014年6月3日 22:46
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有り難し
おきもち

仏道に入門して30年が経ちました。 死ぬまで修行を続けるのがお坊さん...

次の恋へと向けて

LIMI様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

大失恋による喪失感に苛まれてしまわれておられるご様子・・誠にお辛いことでございます・・

まだ失恋の悲しみを拭うためには時間が掛かってしまうことであるかとは存じます。

とにかく、この度の恋のことをあれこれと振り返って、後悔する、思い悩む、悲しむよりか、次の恋です。

恋愛につきましては、これまでも下記の各問いにてお答えをさせて頂いて参りました。

http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/cat_318674.html

問い「別れた人をどうしたら忘れられますか?」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002960601.html

「・・前を向くには、しばらくはまだ時間が掛かるかとは存じます。今はまだその恋の余韻に浸り、楽しむのも良いかとも存じます。時間が少しずつ解決してくれることもあります。そして、一方であなたには色々と心身ともに自由が得られたこともあるでしょう。その自由を活かして、友人や知人と旅行やショッピング・レジャーに出掛けて楽しんだり、また、更には色々な出会いの場へと出ることも一つでしょう。

今はもちろんまだまだ考えられないかもしれませんが・・失恋の一番の薬は、やはり、新しい恋だと思っております。

やがて、この失恋は幸せを掴むために必要なものだったと後に振り返ることができて、いい思い出へと変えることができれば良いですね。・・」

そして、恋はとにかく縁次第となります。善き縁を求めるところから始めないと何も始まりません。何事もそうですが、善き結果を望まれるのでしたら、善き縁に依らないといけません。善き縁、次の恋へとレッツ・ゴーです。

幸せに関しましては、これまでも下記の問いにて扱わせて頂いております。是非、ご参照下さいませ。

http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/tag/幸せ

LIMI様のお幸せを祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

2014年6月24日 12:37
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有り難し
おきもち

川口 英俊
「僧侶は、悩む人に正しいくすりを調剤できる薬剤師であれ」 http:...

人として生きる

LIMIさん、おはようございます。
「罪悪感と逃げたい気持ちに襲われて正気でいられない時がある」
人間誰しもこの気持ちは常に抱いています。
あなただけではないから、心配するのはやめましょう!!
  
さてでは、あなたのような状態の時に必要な事は?
それは、『読書』です。
まずは図書館に行きましょう。
そして目にとまった本を片っ端から読みましょう。
童話、マンガ、絵本なども。
子ども向けでしょ!! なんて言わずに読んでみて下さい。
思わず目からウロコなんてこともありますよ。
  
せっかくあなたがタダで使えるものが山ほどあるんです。
活用しなくちゃ「もったいない」ですよ。

2014年5月28日 8:32
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有り難し
おきもち

有坂脩岳(しゅうちゃん)
『般若心経』を梵語(サンスクリット語)で読める日本でも珍しいお坊さんです。...

質問者からのお礼

回答ありがとうございます。

何か、すみませんでした。

「死にたい・死にたいほどつらい」問答一覧

辛くて死にたい。

 タイトル通り心身の不調が続く日が多くなってきており、死ぬことを考え始めています。  今まで頑張ればいつか良くなると信じて色々と頑張ってきました。しかし、あまり改善はしません。そんな状況に疲れました。そして、最近「そもそも死ねば苦痛から解放されるし、生きることをやめた方が良いのでは?」と強く感じます。  もちろん、私が死ねば残された人は苦しむかもしれませんがそれもその人にいつかは訪れる死が救ってくれると思うのです。亡くなった父も死によって救われたでしょうから苦痛に対する根本的解決を目指すなら生きることをやめる以外の方法はあるのでしょうか?  また、私は家族以外に心を許せる人が現在居ませんし結婚もしていません。年々段々と年老いていく家族を見て恐怖を感じています。このまま生き続ければ私は本当に一人ぼっちになって今よりもっともっと辛い苦痛が待ち受けていることが確定していると感じます。もうあんな辛い喪失体験をこれ以上重ねられる自信もないし、そんな未来に耐えられないと思います。 それならばまだ自由に身体が動く今の内に決着をつけてしまった方がまだ良い選択な気がするのです。  また、こちらのサイトでこういった死にたいという考えをお持ちの他の方の質問も拝見しました。その際に、「家族が悲しむ」や「様々なものによって生かされている命だから」という回答を拝見するのですが、そういった正論を見ても考えを変えることができない自分の器の狭さにも絶望しています。とにかく自分がもう楽になりたいという気持ちで頭がいっぱいです。また、ただ「死にたい」という漠然とした気持ちではなく、明確な悩みがある状態での死を希望する気持ちがありますので、心の病気ともちょっと違う気がするのです。この悩みを解消するには時間が必要なこともわかっています。でも、もう頑張りたくない。自分が怠け者で最低だと思います。病院にも行っていますが、症状を誤魔化しているだけで解決には至らないのも辛いです。本当に辛い時に誰にも相談出来ない状況なのも苦しくなってきました。  色々なことに苦痛を感じている自分を誤魔化すことに疲れてしまいました。もう苦痛から解放されても良いでしょうか。

有り難し有り難し 18
回答数回答 1

転職で死にたくなるほど不安になる時

8月に8年間勤めていた会社を辞め、9月より転職します。 転職理由は、スタッフと人間関係で誤解がある事を上に伝えても聞き入れてもらえず異動になってしまい、収入減になり体調を悪くしてしまい、会社に不信感を持ち転職に踏み切りました。 一応、今より条件の良い転職先が決まり、後は9月入社するだけなのですが、 ①また人間関係でつまづいてしまうのではないか ②しっかりと家族を養っていけるのか(8月に2人目の子供が生まれます) ③転職をした自分はまた何か悩みが出てきたら転職を考えてしまうのではないか この上記の不安が頭の中につきまとい、前を向かなきゃと思う反面死にたいという思いがよぎり頭が痛くなる時があります。 もちろん家族の大黒柱として次は何があっても辞めず、定年まで勤め上げようと思っております。 しかし、ふとした時に周りの同世代と比べ、転職をした事への劣等感から弱い気持ちが出て来出てしまいます。 2人子供がいる身として、このような弱い気持ちではいけないと思うのですが、このような気持ちを断ち切り、前を向く為にはどのような心構えで過ごせば良いのでしょうか。 死にたいと思うのはいけない事だと重々承知しております。 この不安を拭い去りたいです。

有り難し有り難し 5
回答数回答 2

芸術家になれないなら死にたいです

3歳の頃からピアノを習っていました。その頃からいつだって私の一番は音楽でした。 しかし、同じ時から「音楽だけで食べていける人なんて一握りだから(私はそうではないから)」と自分と家族に言い続けていました。ピアノ教室にはその後十数年間は通いましたがプロを目指そうとしたことはありませんでした。どういう理由でそんなことを言い始めたのか自分でもわかりません。ただ時々、音楽家になれない自分の苦しみを家族のせいにしたくなった時は、「幼いながらに家庭の経済事情を慮ったからではないか」と考えます。 映画と美術品と文学も好きです。そして、それらを創作する人々にどうしようもなく憧れています。 この質問のタイトルの「芸術家」について、「創作活動と表現活動が生活の一番大きな部分を占める人」と私なりに定義してこの名称を使いました。私はそのような人ではありません。今は大学の勉強、卒業すれば(今のままならおそらく)会社勤めを中心とした生活を送り、趣味で芸術に触るだけの人になるのでしょう。 「音楽だけで食べていける人なんて一握りだから」という呪いを無意識に自分にかけ続けてきた。それが呪いだということにも今更気がついて、残っているのは後悔だけ。 そして現在は、「音楽だけでは食べてはいけていない人」を見つけては自分を慰めています。自分からその人たち世界に飛び込むこともしない。私は醜いです。 音楽を、映画・美術・文学に置き換えても同じです。毎日、毎分毎秒、芸術を追いかけて、新たな芸術に出会うたびにそれを愛して、同時に「自分には創り出せる代物じゃない」と泣き喚く。 悲しくて悔しくて恥ずかしくて苦しいです。しかし芸術への執着に折り合いをつけたい訳でもありません。 ただ、こんな無様でみっともない人生ならさっさと幕を下ろしたいです。 この質問を書き込んで、これからも芸術を一番に愛します。芸術家になりたいなりたい、なれないなれないとどうしようもない事柄を嘆き続けます。自殺に失敗するようなリスクは取れない臆病者のまま生きていきます。

有り難し有り難し 24
回答数回答 3

満たされているのに早く死にたい

人生においては満たされています。波はあれど幸せな部類に入るよう努力してきました。 もうずっと昔から「死んだら今世クリアだから、早く死にたい」という気持ちがあり、困っています。 仏教や精神世界について学ぶことが好きで、自殺することが業と繋がることは理解しており、能動的に自殺を考えることはありません。 ただ、人生をゲームのように捉えており、「今世の課題をクリアするために、生かされてるうちは面倒だけどとりあえず無理のない範囲で善行を重ねて心を豊かにして生きていれば、そのうち死ねるからそれで今世はゲームクリア!肉体脱出できるのが楽しみ!」みたいな感じの認識です。 無意識的に強くそう思い込んでいるようで、日常生活に支障が出ることがあります。 例えばですが、物質的な執着心がなく、親しい人にお金をあげるように貸してしまったり、何かにつけ問題が多く振り回されるような相手を恋人にしてしまい(振り回されているようで、それを望んで楽しんでいると思います)悲しい思いをしたりしています。 それでも私は懲りずに、死ねないならせめて日常がぐちゃぐちゃに壊されてしまうことを望んでいるようです。 本当に生活に不満はありません。収入も働き方も望んだとおりになっていますし、物質的にも満たされており、問題はあれど愛している恋人もいます。所謂、雑誌の中のような暮らしです。ですが、私はこの生活を今すぐ全て捨ててもいいと思うくらい物質や社会的地位に執着がありません。恋人や人間関係のことはまだ学びが残っている気がするうちは捨てられないのですが、基本的に天国に持っていけないものにそれほど執着できないのです。 一番問題に感じていることは、この生きることをゲームのように認識していることが根深く、そのため自分も他人も特に幸せになれないような、そして自分には損になるような選択を無意識にしがちなことです。私が楽しんでいるときはだいたい破滅に向かっています。 これは何が原因と推測され、どんな解決法や考え方があるのでしょうか。また、多くの人は生きることをどういった認識で暮らしておられるのでしょうか。 長くなりましたか、読んでくださってありがとうございます。 もし何か思うところがありましたら、ぜひご返答がいただければ幸いです。

有り難し有り難し 11
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