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病気にとらわれず、元気に生きたい

回答数回答 4
有り難し有り難し 96

心の病で入院中です。

病気は、心の葛藤が身体にあらわれるもので、15年以上わずらっています。今の症状は、1ヶ月以上つづく、腹痛です。検査では、身体的には異常はありません。

痛みがやってくるたびに、辛さとともに、身体には異常がないのに、なんで…と悲しみと怒りの気もちがわいてきます。

心の問題なんだから、自分の力で闘うしかない、と病院では、誰ともコミュニケーションをとらず、個室にひとり、こもっています。

この病気を手放すことができたら、と思うのです。
いっぽ踏みだして、変わりたい、と思うのです。

しかし、どこにむかって、どう変わればいいのか、わかりません。

道標がほしいのです。

自信と力をもつには、どうすればよいのでしょう。

アドバイスいただけたら幸いです。よろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

こころはこころだけでは解消しません。

ご投稿どうもありがとうございます。
15年以上わずらっているということで、あなたにとっては大変な日々だったことと案じます。
まず私より言っておきたいことは、こころはこころだけでは解消されないということです。
仏教には思想だけでなく、身体からアプローチすることによって、心と身体を同列に考え、生きている存在丸ごとを許し高め、元気にする方法がいくつもあります。

闘うのではなく善悪や快不快を抜きにして観察すること。
特に、呼吸を観察することが大切な方法です。
呼吸は人間の随意と不随意をつなぐ唯一の機能です。
わかりやすく言うと、呼吸というのは普段は勝手に動いているけれども、自分でもコントロールできるもの。
気持ちが落ち着きゆったりしている時は、呼吸もゆっくり深くなっているはずです。
呼吸と心は連携しているのです。
手始めに、目をつぶって数十回呼吸を観察してみて下さい。注意としては呼吸をコントロールするのではなく、あくまでも「観察」するのみです。また、観察し続けると出てくる想念も、善悪ではなく、客観的に観察し、沸き出させてあげて下さい。
身体は善悪なくフォーカスすることによって、認めてくれたと感じ、自然に善き方向に変化していきます。
「観察」に慣れてくると、「今ここ」にいる自分と向き合うことができるようになっていきます。
すると自分自身への微笑みが生まれてきます。
自分とコミュニケーションできるようになれば、他者とコミュニケーションできるように変化をしていきます。

まずは
「コミュニケーションをとらなければいけない」
「身心を治さなければいけない」
という善悪を含む固定観念から一時離れ、まずは現在の自分を観察してみること。それも知識や言葉でない自分の身心感覚を正直に観察すること。

あなたはどこにも向かいませんし、何も変わりません。
病気を手放すことも必要ありません。
自信も力もいりません。

道標は、今この瞬間だけということを自覚するだけで、
あなたは誰かからも、病気からも、自分自身にも囚われるのではない、
その瞬間は自分で自分を「生き」ています。
「生き」ている時間が少しずつ増えていけば、
きっと現実生活も少しずつ変化をしていくことでしょう。

あなたの今後の身心安楽な生活を祈念いたします。

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有り難し
おきもち

曹洞宗(禅宗)僧侶。整体師。愛知県豊橋市一月院副住職。八王子市在住。寺院に...
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道標:自分をイジメることをやめればイイだけです。

人生の問題の9割は人間関係です。表面的にはそう感じなくとも根底に人間関係に由来しているものがほとんどです。
あなたの今の悩み、自分がそうなった原因も絶対に人間関係が問題になっていない、とは言えないはずでしょう。
まずは①原因に向き合い、その出来事を悪い評価のままにせず、視点を変えて肯定的にとらえることをお勧めします。過去を怨んだり呪ったりしてもまったく利益がないことを知り、変えられない過去への評価だけを変えるのです。
次に②悩みそのものを心で見抜いて、自分の心から自立することです。
あなたの心の扱いはあなたしかできません。
自分の心に使われて、自分で使いこなそうとしていないから自分の負の思いに支配されてしまうのです。
病だ病だとネガティブに自分をイジメたり、自分を卑下、貶め、凹み、落とさず、
まずは、何におびえているのではなく、❝誰に❞おびえているのか、誰に対して意識をはたかせているのか、誰にどうなってほしいのか、を具体的にしてからもう一度改めてご質問ください。
そして誰が自分を悩ませているのかがハッキリしたなら、それをこちらに表明してください。悩み相談はそれからです。
全部あなたがご自身で、ご自身を苦しめておられるです。
何故ならば、あなたは誰とも接していないでしょう。
あなた一人でしょう。あなたの心の中を動かしているのはあなたでしょう。
暗い事を考えたり、いやなこと、悪いこと、落ち込むことを考えて、自分を嫌な思いにさせているのも全部、自分という工場内部でしょう。
あなたの言う自信がない、といわれる時。
心の中で何をやっておられますか?
自分をイジメてはいませんか。
自信がない、ということを具体化してみてください。
心が落ち込む、悪いことを考え始める、フラッシュバック、過去の失敗経験の再発の恐れ。
仏道は自分の心で自分の心を見抜き、自分の心に苦しまなくなれる道です。
自分を見つめる事につとめてください。その中でどうあればいいかについて再質問してみてください。いつの世の誰であっても自分を苦しめるのは自分なのです。自分を自分から自由にしてあげてください。

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おきもち

ご自身を追い込み続ける事だけは無いように

サン様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

心の病で入院されておられて、しかも、検査では異常がないのに身体的な苦痛も現れてしまわれておられますこと、誠にお辛いことでございます・・

検査で異常がない・・でも激痛を伴って苦しむ・・異常がない、診断が出ていないだけに、周りの理解やサポートが得られずになお一層に苦しまれることになってしまう・・

膠原病や線維筋痛症、自己免疫疾患など、まだ十分な原因の解明が進んでおらず、治療法も確立されていない病気があることをなかなか世間も理解できていないところがあるのではないかとは存じております・・

本当にそれらの病気に対しての理解がないと、ただサボりたいからじゃないのか、楽したいからじゃないのかと、時に酷い偏見の目でみられてしまうこともあり、二重苦、三重苦に耐えられない場合もございます・・

サン様も恐らくそのような苦しみの中で闘っておいでであるのではないかと存じます・・

正直、自分の力で闘うしかないとはお考えにはならないで、無理にご自身を追い込んで孤立させるようなことはなさらずに、もっと周りの皆さんに対して、抱えておられる病気のことを理解してもらえるように、色々な人とコミュニケーションを取られていく、あるいは情報発信もされていく、例えば、無理でなければ、ブログやSNSなどで理解をしてもらえるように声なき声を上げられてみられることも一つかもしれません。

もちろん、ネット上では実名での怖い面もありますから、匿名でも構わないかとは存じますし、コメント欄等も規制を掛けられたりして、プライバシーの問題は慎重に考える必要があるかとは存じております。

やがて、色々とコミュニケーションが増えて参りますと改善へと向けたアドバイスや治療例についての情報を頂けたり、同じような苦しみを抱えている方たちとの交流や励まし合い、助け合い、支え合いにも繋がっていくかもしれません。もしか致しますと、完全に治癒へと向かう方策も見つかるかもしれません。

とにかく決してご自身を追い込み続ける事の無いようにだけは、どうかくれぐれも宜しくお願い申し上げる次第でございます。

川口英俊 合掌

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おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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道標は・・・

サンさん。今の状態はおつらいでしょうね。

体の状態は、検査をしても大丈夫。

なのに、あなたのおなかは痛んでいるのですね。

他の人にはわからない、あなただけの苦しみだとお考えになり、心の問題だから、自分の力で戦うしかないとお考えになっている。

そのような状態であれば、誰も皆同じように考えるのかもしれません。

仏教では、「諸法無我」と申します。

一言で言えば、私という存在は関係性の中にある、ということになるでしょうか。

私が一番心配するのは、あなたがコミュニケーションをとらず、関係性を断とうとしているところです。

あなたの苦しみをわかってくれる人は、なかなか見つからないかもしれません。

でも、あなたが結んだ関係性の中にこそ、あなたがあるのです。

もしかすると、わかってもらえなくても、あなたの苦しみを和らげる関係性に出遇うかもしれません。

どうか、自ら周りとの関係性を断たずに、周りをちょっと見てみてください。

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有り難し
おきもち

真宗山元派上西山正善寺住職
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