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お釈迦様の幸せとはなんですか。

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有り難し有り難し 46

以前、般若心経について書かれた本を家で見つけ、読んでみました。

その中に、「お釈迦様の幸せとは」というタイトルがありました。

私にとっての幸せは、無い物ねだりというのもありますが、心豊かに善の道へ進むことだと思っています。

しかし、生は苦と言いますし、なかなか実現しにくい、ただの欲望なのでしょうか。

お釈迦様の幸せなことって、なんでしょうか。
いろいろな考えを聞けると嬉しいです。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたがしあわせになること

世の中に心の善玉菌が増えていく事です。
そうすると世界がケンコウになります。
体も善玉菌が増えれば健康、幸せ、よろこびにあふれます。
一度トコトン健康になってみると、健康の素晴らしさを教え、広めたくなると思いますよ。
悩んで苦しんで、そこから救われた人は、その方法を説いてゆくようになるのです。

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有り難し
おきもち

お釈迦様の幸せは・・

西海様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「お釈迦様の幸せ」は、私たち世間における幸せの概念とは異なるものとなります。

仏教では二つの真理を扱います。

一つは、世間的な真理としての世俗諦。

もう一つは、究極的な最高真理としての勝義諦。

仏教では、勝義諦を了解し、悟り・涅槃という究極的な幸せを目的と致します。

般若心経の説く「空」も勝義諦を志向するものでございます。

「空」を了解する智慧と福徳(方便・功徳)を円満に成就することで、究極的な幸せへと至ることを目指します。

「お釈迦様の幸せ」は、全ての迷い苦しみにある衆生がその究極的な幸せへと至れた時にこそ、達せられるものとなるのではないかと存じます。

深遠なる真実義を説示なされましたるお釈迦様、誠に有り難しです。

これからもどうか仏教を学び進めていかれて下さいませ。共に頑張って参りましょう。

川口英俊 合掌

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有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

丹下さま、ありがとうございました。
このような質問にご丁寧に答えて下さり、大変助かりました。
いちど、トコトン健康になれるよう頑張ります。
ありがとうございました!

川口さま、私にもわかりやすく、ご丁寧に答えて下さり、ありがとうございました!
正直、この質問をするとき、かなり心配でしたが、こんなに親切に答えてくれて嬉しいです。
因みにその本は私の父が所有する本なので、今度はちゃんと読み、少しでも仏教について学びたいと思ってます。
これからも質問が来ると思いますが、よろしくお願い致します。

「お釈迦様・ブッダ」問答一覧

釈尊の教えについて疑問があり悩んでいます

人生がつらいので少しでも楽になりたくて仏教の勉強をしているものです。 お釈迦様の説いた教えについて質問です。 最近、初期仏教の経典スッタニパータを読みとても感動しました。 その結果お釈迦様はこの世の全てが縁起によって繋がっており結局は全てが同一の価値ある存在である事を理解すれば最終的には自己に囚われることもなくなり現世の苦しみをなくすことができると説いているのではないかと自分なりに解釈しました。 しかしそう考えるといくつかの疑問が浮かびました。 スッタニパータでは父母や我が子に対する愛執を捨てる事を悟りへの道とする一方で、父母に従うことが幸せであり老いた父母を養わない者は卑しいと書いてあります。 しかし無我の境地を目指すのであれば血縁関係に固執してはいけないのではないでしょうか?何故父母に限定して言及したのでしょうか?目の前で父母と知らない人が同じ様に病気や貧困や老いに苦しんでいてどちらかにしか手を差し伸べられない状況の時、知らない人を切り捨てて親子だからと特別扱いして父母に手を差し伸べるのは果たして正しいのでしょうか?両親が仏法を汚す人間であってもそれに従うことが幸せなのでしょうか?  私の父親は酒に溺れた非常に暴力的な人間で犬や猫に対して無益な殺生もしていました。母も暴力的な人間でしたし噓つきでした。私はこの両親に従うべきだったのでしょうか?老後の面倒も見なくてはいけないのでしょうか? また怒りや嫌悪についても疑問があります。 スッタニパータでは怒りや嫌悪を煩悩とし捨てることのできないことをなまぐさと言い汚らわしいことだと言う記述があります。 しかし世の中ではしばしば想像を絶するほど卑劣で残忍な事が起こります。  例えば女子小学生に乱暴して殺害した犯人をたまたまニュースで見て犯人に怒りや嫌悪感を覚えるのはなまぐさなのでしょうか?実際に知り合いの僧侶はその事件について犯人を殺してやりたいとまで言っていましたが彼は僧侶失格なのでしょうか? 自分の周りでより強いものによって不当に傷つけられている弱者を見ても怒らず苦しみも感じないことが美徳なのでしょうか? 他の記述が自分の人生価値観を根本から変える素晴らしいものだっただけに、私はこの二つの疑問に苦しみ悩んでいます。 悟りを目指す僧侶の方々にお話を聞きたいです。

有り難し有り難し 43
回答数回答 3

真言宗と浄土真宗の中のお釈迦様

はじめて質問させて頂きます。 プロフィールに記載しておりますが、家族の問題を抱える中、昨年暮れに仏教の教えに出会い、本当に心が穏やかになれた体験を得る事ができました。 それまでの私は、実家が高野山真言宗のお寺とご縁があり、結婚後も実家の仏壇を預かり、月参りや納骨堂のお参りをはじめ、いろんな関わりを持ってきて、仏教と深く関わってきたつもりでした。 しかし昨年暮れ、心身共に行き詰まり疲れ果てた時に出会った教えは浄土真宗(真宗大谷派)の教えだったのです。 その時はじめて、今までずっとお寺に関わってきたつもりだったのに、「仏教の教え」についてほとんど何も知らなかった事がわかったのでした。 それから改めて今求道中なのですが、今まで聴いてきた真言宗のお経と、浄土真宗のお経がまったく違うのにびっくりして、元は同じお釈迦様なのに、どうしてこうも違うのか。 両派ともご本尊がお釈迦様ではないとはどういう事なんだろう。 両派の中の、お釈迦様の教えと、各ご本尊様(大日如来様と阿弥陀様)の関係性って何なのだろうと、今切実に知りたく質問させて頂きました。 私にとって真言宗は小さな頃からずっとずっと触れてきた大切な宗派であり、また浄土真宗は昨年暮れ、本当に行き詰まってどうしようもなくなっていた時に、私の心を救っていただいた大切な宗派なのです。 どちらも私にとっては大切な宗派なので、どうしたらいいのかわからない状況になってしまいました。 ただその中で、元はどちらもはじめはお釈迦様だったのでは?と思い至り、タイトルにある質問をさせて頂きました。 どうぞよいお導きがあればよろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 6
回答数回答 1

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