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助けようとした命を傷つけてしまいました

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はじめまして。ののと申します。

最近昆虫やカエルなどを面白半分でいじめ殺してしまった子供時代の反省と仏教の教えに感銘を受けた事から出来るかぎり命を大切にしようとしています。家に入った虫さえも潰さずに追い出しています。

しかしこの前歩道を横切っていた芋虫を逃がそうとして投げた時誤って草むらにあった鉄パイプに強くぶつけて怪我をさせてしまい深く後悔しました。そして今日は蛾を歩道から移そうとしてうまく捕まえられず蛾が車道に飛んでいってしまいそのまま車に潰される瞬間を目撃する羽目になってしまいました…。

助けようとした命を二度も自分の不注意で傷つけてしまった後悔で悲しい気分になっています。この辛い気持ちとどう向き合うべきでしょうか?またどのように傷つけた命に懺悔と供養をすればいいのでしょうか?

2021年9月4日 17:57

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

命を大事にするあなたのその「意識」の高まりこそが人類を救う

某国では人間の命すら軽視しています。
その事実を私はSNSで拡散していますが、削除されたり、アカウント停止された利を繰り返しています。
放置すれば、命の軽視が継続されその近辺に住んでいる人たちの人間性は「人の命ですら軽視するような非道な人間性が継続」されます。
だからこそ、世界全体で人命軽視や民族虐殺が行われなくなるように教育や人道主義、世間でまかり通っているいい加減な人権(利権活動としての人権)ではなく、本当の人権が広まっていく必要があります。
そして、その命の尊厳を守る精神は人間だけではなく、あなたのように動物や昆虫にも配慮やいたわり、慈しみのこころがめぐらされるようになるべきであると私も個人的には思っております。
とは言いましても、すべての命を保護することはできません。
人は他の生命を食することがなければ生きていけません。
コロナもウィルスですから(一説には人工的に作られた細菌兵器とも)、殺菌・除菌しなければ我が身を守れません。
形の大きな生命に対して人は命の尊厳を感じるものです。
ですが、象牙のハンターや動物の毛皮を狙う人たちは平気で動物を撃ち殺します。
人は地面にアスファルトを敷きます。土中の生命は軽視されたことになります。
人は花は好みますが、雑草は「雑草」扱いです。放置すれば文句を言う人もいます。草を刈れば生命の軽視でしょうか?野菜ならば頂戴すればわが身の命となりましょうが、ウルシなどはカブレます。歩いているだけでアリやミクロの生命体を踏んでしまうこともあるでしょう。雑菌を放置すればあなたの健康が損なわれます。
毛沢東がスズメを害鳥扱いした結果、イナゴが大量発生。森林伐採でカラスも野鳥、タヌキも住むところがなくゴミをあさる。
多くの命たちが共存、共生しているのがこの世界です。
一方で虫よりも大きな生命である犬猫が毎日のように殺処分されている。
この問題はこの記事をご覧になられたすべての人に捧げる「公案」です。
われわれは動植物を「虫けら同然に」扱ってよいのか。
扱うものは何者か?
扱う心はいかなる救いをもたらせる人間性か?
生活とは生きると記し、活かすと記す。
家の木、柱一本でも、雑に扱えば殺害。
善導すれば活性、生活、活道となる。
24時間すれ違う、生命、事象、心理。
一切を救済・済度せんと発願するのが人間が奮い起こすべき大誓願「菩提心」なのです。

2021年9月4日 22:41
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丹下 覚元(たんげ かくげん)
今月の提唱 「菩提心をおこす」 菩提心をおこすということは、たとえ...
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殺生は故意、過失は……

行為は言葉や体で表現する前に心で意図します。その意図が、業になります。
 布でくるまれて眠っていた赤子が樹の根元にいたのですが、ある長老がそれと気づかずその上に座り、圧死させてしまいました。世間では過失致死罪かもしれませんが、釈尊は業の面からその長老を無罪とおっしゃいました。
 しかし、助けようとしてうまくいかなかった分は、上手ではなく下手とは言えます。上手、下手も業になり、上手な方が良く、下手な方が良くないです。
 そのくらいの問題はありますので、次こそ頑張ろう、の気持ちで、他の生命への慈しみを持ち続け、なるべく手際よくやるよう工夫してみてください。

2021年9月5日 13:05
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おきもち


初期仏教というか仏教本来の教えを学びつつ、その在家信者のあり方から見た日本...
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質問者からのお礼

藤本様、丹下様
ご回答ありがとうございます!ハスノハでの初めての相談ゆえに緊張と不安でいっぱいでしたが投稿したその日に回答が来て驚いたと同時にホッとしました(笑)
実は今朝も歩道で蛾を見つけ、反省を生かして慎重に掴んで運びましたが逃す直前でまた予想外の方向に飛んで行ってしまい…。幸い傷つけはしなかったものの命を守る難しさを改めて実感しました。

お二方から頂いたご回答をもとに今後も一切を救済せんとする菩提心を起こして、尚且つ手際よく命を救う工夫も考えられるように精進いたします。本当にありがとうございました!

「動物・ペットについて」問答一覧

昔出会った子猫のこと

5年以上前の話なのですが、田舎で一人暮らしをしていた頃、仕事帰りの道端で子猫に出会いました。 子猫が突然私の原付バイクの前に飛び出してきたので思わずとまると、原付バイクの下に潜り込みました。 捕まえて顔を見てみると、とてもとても可愛らしい小さな子猫でした。今でも鮮明に覚えているくらい愛らしかった… しばらく辺りを探しましたが親猫は見当たらず、連れて帰ろうかどうしようかしばらく悩みましたがいるかもしれない親猫と離れ離れにしてしまうのは悪いと思い、 元いた草むらの道路から離れた場所まで連れて行きました。 何度かついてこようとしていましたが、振り切って帰ってしまいました。 現在私は地元に戻り、家庭を持ち母親になっています。 随分昔の出来事ですがいまだにふと思い出すのです。 あんな小さな子猫を放って帰ってしまった事、 親猫は見当たらなかったのだから保護してあげるべきだったんじゃないか、 運命のような出会い方をしたのに、救ってあげる運命だったかもしれないのに救えなかった事、 あんな可愛い子猫は見た事がなかった。 無事に生き延びただろうか ふと思い出して悲しくなり、自分を責めてしまいます。 その頃は自分がとても辛い時期であり、救ってほしいと毎日思っていたのにその子猫に対しては救う事をしなかった自分が嫌だなと思います。 子猫に当時の自分を投影しているから今でも救ってあげたいと思うのでしょうか。 しょうがなかったと思うようにしても忘れられません。 ただただ元気に生きていて欲しいです。 ごめんなさい。

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ペットを虐待していたことを後悔しています

初めまして。 早速本題に入りますが、私はペットのうさぎ(便宜上、以降は"うさこ"と表記します)を虐待していました。 うさこが我が家に来た当時、私は学校で嫌がらせを受けていました。 悪口や陰口、ばい菌扱いなど、他愛ないものでしたが、その当時は深く傷ついていました。 そのときの状態を、私の親は「精神的におかしかった」と話しています。 そのときの私にとって、うさこは数少ない私の友人であり、家族といっても過言ではありません。 しかし、そんな支えになってくれるうさこを、衝動的に虐めてしまったのです。 うさこと一緒に遊んでしばらくすると、頭がボーっとして、気づいたら他人がうさこを虐めているのを画面越しに見ているような感覚になっていました。 ここでは詳細は省かせていただきますが、すごく酷いことをしてしまいました。 うさこは今では8歳のおばあちゃんになり、幸い大きな怪我はなく、元気に過ごしております。 今も指をなめたり、頭を撫でてとおねだりしたり、ご飯の時間には私や家族の後ろをとことこついてきます。 人なつこく育ってくれてほっとしたと同時に、このままうさこの近くにいてお世話をしていいのか分からなくなります。 私は今でこそ通院して、大分落ち着いたとは思いますが、行動の節々にまだ残虐性と衝動性が残っていると感じることがあります。 時にはそのときの光景や、その行為でうさこが死んでしまったり、怪我をしていたらという光景をフラッシュバックして、その度に自分を殺したくなります。 そんな人間が、うさこや周りの人間と一緒に生活していいのか、そもそも自分のことを人間であると自覚していいのかと考えてしまいます。 気心の知れた友人には既にこのことを話していますが、「うさこは近くに寄ってきてくれるんでしょ?じゃあ許してくれてるよ、一緒にいてあげなよ」と話してくれます。 ですが、私はもう自分が許せません。 どうしても、うさこは本当は苦しい思いを我慢していて、無理して私の元へやってきてくれるのではないかと考えてしまいます。 精神的にももう限界に近いので、誰かに吐き出して懺悔したくなったのでここに書き込みました。 厳しいお言葉も受けるのは覚悟しております。私はどうすればいいのでしょうか。 長文かつ駄文、失礼致しました。

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野良猫について

近所に怪我をしている野良猫がいました。 保護しようと餌をあげて少しずつ慣れてきてはいましたが、やはり野良なので警戒はしている様でした。 しかし日に日に怪我が膿んで酷くなっていくので早く保護しようと抱っこして連れて行こうとしてしまったんです。 驚かせてしまって私の腕から飛び出してしまったんです。 その時、車がきてしまい猫が車に飛び出す形になり、後ろ足あたりがぶつかったというか、はねられた様になってしまいました。そのまま草むらに走って逃げてしまい、探しましたが見つかりません。 元々怪我が酷かったのに私のせいで車にぶつかるという新たな怪我をさせてしまいました。あの猫はこのまま亡くなってしまうかもしれない。私が殺してしまった様なものです。しばらくは猫を探してみます。 私の早く助けたいという身勝手な気持ちで、あの猫を余計に傷つけてしまいました。 後悔の念が溢れて止まらないのです。 何故もう少し信頼してもらえるまで待てなかったのかと。 あの猫を探すこと、それ以外に私には何かできることはあるでしょうか? あのこがもし見つからずひっそりと亡くなってしまっていたら、私はあのこに何ができるでしょうか?怖がらせてしまい謝りたいです。

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以前、相談をしてお答えを貰った者です、あれから色々ありまして、毎日今この時を大切に共に生きようと楽しく生きてきました。今回は前に相談した家の老猫の話です。 前回、居なくなるのが不安で仕方ないと言っていましたが、あの時はまだ老化が出てきたばかりでジャンプをしたりご飯を食べたりと今思えばまだ元気でした。 先月辺りから食欲もなくなり元気もなくなり眠ってばかりで、病院に連れていき検査をしてもらいました。 膵炎と診断され、高齢猫、16歳なのでいつ最期がくるかはわからない覚悟をしていて下さいと言われました。 膵炎の薬は無いとの事で、対処療法として皮下点滴をしに病院に通っています。 次の血液検査で数値が下がっていればいいのですが、そうでなければ治療が長引きます。 高齢猫にとって病院に行くストレスも物凄いものだと思います。 膵炎は痛みが出ると先生が仰っていました。 猫本人は皮下点滴をすることで少しは痛みも楽になっているみたいで、今はゆっくりゴロゴロしています。 私はこの子と出会って沢山の事を教わりました。 だから最良の選択をしてあげたい。 本音を言えばもっともっと一緒に暮らしたい。 でもここまで一生懸命生きて今苦しんでいるこの子にまだまだ頑張って生きろとはさすがに言えないと思いました。 お坊さんに質問です。 人間でも自然死が尊重されつつあります。動物もそうだと思います。 同じ死を迎えるにあたって、私は自然死が良いと思います、何もせずゆっくりと死に向う方が穏やかな死に方になると聞いたことがあります。 ですが、痛みだけは取ってあげたいと思っています。 でもそれは病院で点滴をしなければなりません。 私が愛猫にしている行為はただのエゴでしょうか。 この子を苦しめているのは病気だけではなく私自身なのではないかと思ってしまい、悩んでいます。 私がしている行為、お坊さん方はどう思われますか? お答えを頂けましたら幸いです。宜しくお願いします。

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以前別のことで相談した時にとても心に響くお言葉を頂いたのでまた相談させて頂きます。 わたしの家は家庭環境が子どもの頃からあまり良くなくて、そんな理由もあり中学の時に不登校になってしまいました。その時に母がわたしの為に犬を飼ってくれました。辛いときも嬉しい時もその子が側にいてくれてわたしの中では家族より大事な存在になっています。そんな子も、もう老犬になり去年心臓病と診断されてしまいました。 まだすぐにどうこうなるという訳ではありませんが毎日毎日、その子がいなくなったらわたしはどうなるんだろう。 お願いだからわたしより先に死なないでほしい、この子より先に亡くなりたい、わたしの寿命を全部あげても良いから先に死なないでって思ってしまいます。裏庭にお稲荷様の祠があってそこで毎日祈っています。 そのぐらい毎日この子がいなくなってしまうことへの不安に押しつぶされそうになっています。 家族にも友達にも職場の人にも誰ひとり心を開くことが出来ないわたしですがその子だけには心が全部開けます。 大事な存在の為に自分の寿命を捧げたいって思う心はいけないことなのか。 お忙しいところ申し訳ありません。良ければ回答お願いします。

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親が猫を捨ててしまった

三匹飼っていたのですが、全員捨てられてました 理由は祖父が重い癌を患っていて、呼吸器系に猫の毛が悪かったからです 里親に預けるための期間を設けるのは、祖父のリスク的に無理だったようです まだ学生の私に伝えるのは可哀想だということで、黙って実行したそうです 私は親を責める訳にもいかず、自分の中で飲み込みました 祖母も両親も、とても辛そうで責める所ではありませんでした でも今思うと何か出来ることはあったんじゃないかと思います 探しに行ったり出来たんじゃないかと後悔します 冬の度に思い出してしまいます 猫は弟と私が、近くの公園から拾ってきた猫でした 拾わない方が良かったのでは、とすら思います そうすれば人間に二回も捨てられることには、ならなかったのではないでしょうか なにより嫌なのは、あれからもう三年も経っていることです それなのに私はずっと忘れられません もう忘れたいと心から思っているのに、忘れられないことが辛いです 本当なら猫を忘れたいと願うことすらせずに、穏やかに思い続けたいです でも、思い出すと辛いので楽しい記憶すら忘れようと努力してます 存在すら無かったことにしようとしています それが一番辛いです どうにかこの罪悪感と、寂しさのようなものを消し去ってしまいたいです そして、猫達と過ごした記憶を思い返す事ができるようになりたいです

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