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死が恐ろしい

回答数回答 2
有り難し有り難し 28

こんばんは、高校生です。
最近、父と、私の死が怖くてたまりません。
現在、両親と離れて生活していますが、たまに私の様子を見に来てくれます。しかし、運転する父は大変忙しい職業柄で、時々目に大きなくまを作ったりしながら車で遠い私の家まで来ます。
「様子見に行こうかな」と言われると、途端に交通事故で死んだらどうしよう、、等考えてしまいます。
私は私のせいで親が死ぬのが嫌なのでしょうか?
また、私は暗闇も極端に嫌いになり誰かいるのでは無いか? 物音がしたら、殺される!と、パニックになる事が多々あります。
病気なのでしょうか?
よろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

過去を思い未来をここに引き寄せて今現在を常闇にする

人は過去のことで悩む。あなたがああなったらどうしようこうなったらどうしようというのも過去の脳内データ、経験によるもので過敏に、あるいは過剰に防衛反応しているのです。
また人は未来のことで悩む。ああなったらどうしよう、こうなったらどうしようというのはいまだ来たらざる先のことを今から悩んでありもしないことを妄想し、その網で現在を常闇(とこやみ)にする。
幽霊とは、髪の毛を後ろに引きずり過去のことに縛られて、
先を憂いては暗い顔をして未来を恐れて不安になっている。
成仏が出きていないその姿はいわゆる髪が長く、地に足つかず、手を垂らし憂いの表情で描かれるものです。
その幽霊とは外にあるのではない。
あなたがまさに過去にとらわれ、未来を恐れ、現在に地に足をつけずに現実離ればかりしている姿と言えましょう。そういう妄想にとりつかれた状態を念が残って残念というのです。残念な生き方をされているのが成仏できない様子です。
仏教とは、人がこの上なく晴れやかなる心、安らかなる心、聡明な心、優しい心、成仏の生き方です。
成仏とは死んでからの事ではない。
今、そこで、今日、今から、たった今から!
あなたが今もずっと今日まで繰り返してきた憂いの思いの無限ループを継続すればそれはあなたがあなたの習慣・慣習、負のループを好き好んでその生き方を選択しようとする姿です。ニートさんが働きたくないからと布団やこたつの中から出てこないように自分でその生き方を選択すること。いやいや、もう冗談じゃない。こんな生き方嫌だわ!と思ったら誓願を立てる。それが発心というもの。
今までのような自分で自分を苦しめて死を恐れていつも何かが失われるんじゃなかろうかという妄想に振り回されるのはもう沢山とおもうのであれば、もうそういう生き方を止めようとあなたが志す。
そして、冒頭に記したような過去に縛られ、未来に案ずる生き方をせず、現在を明晰な心でちゃんと地に足つけて現実離れのない生き方をすることです。
何故僧侶たちが坐禅なんぞをするのか。役に立たんと思われるかもしれない。とんでもないことです。役に立たなければ僧侶もやらん。人が坐禅をするのは、そのふらふらさまよう成仏できない迷いの心をしっかりと禅定で定めることで心がふらつかんようになれるからです。
今のみで後先なしが真の法 過去も未来も今の一念
我が身はいつも今の事しかないはずです

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有り難し
おきもち

どうか安心して下さいね

拝読させて頂きました。
あなたが自分の死そしてお父さんの死をとても怖いとお感じなさるお気持ち、そして暗闇を怖いと感じておられることを読ませて頂きました。あなたのお気持ちとてもよくわかります。あなたのそのお気持ちを心よりお察しします。
私もあなたと同じくらいの時かそれ以前に死をとても怖いと感じました。自分の死もそうですが周りにいる人々全ての死が怖くて怖くて居ても立っても居られない状況で、毎日布団かぶってふるえていました。ですから学校に通うことも出来ず友達とも話すこともできず、ましてや家でも日常生活を普通に送ることさえできなくなりました。何を聞いても何を考えても全て死に直結して考えてしまいますし、暗闇を極端に怖がって夜も照明をずっとつけっぱなしにしていました。ですが一向にその恐怖はぬぐえなかったです。
とはいえある時仏壇や仏様に向き合った時でしょうかね、ほんの少しずつですが怖さが薄れていくような感覚になりました。本当に少しずつ少しずつですね、ゆっくりと心が落ち着いていくようになったのは。
今でも死は怖いです。ですからあなただけがその様に死を怖いと思っているのではありません。
ちょっと一息入れて考えてみて下さい。私達の生活や人生或いはあまたの生きものには必ずその死がやってきます。それは誰しもが変わらずに平等に与えられたものです。生あるものには必ず定められたものです。逆を言えば死があるからこそ生つまり命が恵まれて生きているということが分かります。生きることも死ぬことも曖昧だったら生きているのか死んでいるのか判断つきませんよね。ですから生と死は常に表裏一体なのです。
死は決して終わりではありません、死つまり与えらた命である天寿を全うした時には必ずお迎えがきます。仏様や観音様や菩薩様がお導きなさって下さり、先に往かれた親しい方々やご先祖様が必ずお迎えになって下さいます。そして仏様のもとで皆さんに付き添われて心から安らかに穏やかになっていき、一切の迷いや悩みや苦しみからも救われていき、心清らかに成仏させて頂くのです。
そしてそれからもこの世に生きる皆さんをご先祖様方と一緒に優しく見守っていくことができます。あなたもお父さんも皆様もそうです。どうか安心なさって下さいね。
あなたがお父様や親しい方々と共にご先祖様方に見守られ心健やかに幸せに生き抜いていかれます様切に祈っています。

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有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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質問者からのお礼

お返事ありがとうございます。
皆様の回答が、まるで昔よく面倒を見てもらった恩師からの言葉のようで心にすっと入ってきました。
アドバイスを心に置いて継続ではなく新しい見方も心がけていこうと思います。
ありがとうございました!

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