認知症になった母に対する姑の言動に腹が立ちます
認知症になってしまった母に対する姑の言動がいちいち気になりついイライラしてしまいます。
私の母は昔からとても穏やかで優しくて人の悪口なども一切言わないとても素敵で可愛らしい女性でした。
私が22歳で、今の主人と知り合い先に子供が出来てしまい結婚をする時でも私の気持ちとお腹の赤ちゃんの事を一番に考えてくれて一所懸命力になってくれました。
実家に来て挨拶すらなかった主人のことを咎めることもなく、逆に気を使い、娘をよろしくお願いしますと頭を下げて、産まれてくる子供のため、私の新しい家族の為にただただ必死で動いてくれました。そのおかげで私は2人の子供を年子で出産してもゆったりと愛情たっぷりで育てる事が出来ました。
主人は複雑な家庭環境で育ち親とは縁を切っていると聞かされていたので私達が結婚したことも子供を授かったことも姑は知りませんでした。姑と初めて会ったのは娘が3歳の時でした。
母は認知症を患う前から少し鬱になっていたようでした。私達は子供達が小さい時に商売を始めたので土日は毎週のように母を呼びつけて当たり前のように子守、仕事を手伝ってもらいました。母も孫に会えて喜んでいると思い、かなり無理をさせてしまいました。
なのに子供達が大きくなり忙しくなったらぱったりと会う機会を減らせた私達。ちょうどその頃から疎遠だった姑や主人の方の親戚との交流が増えていきました。いつも受け身で優しい母は私達からのお呼びがなくなっても自分からグイグイくるようなことは決してせず忙しい私達を気遣い見守ってくれました。自分はいいから姑や親戚を大切にといってくれるのでした。そしてその頃から母は少し様子がおかしくなりました。
認知症でも言語障害があっても私にとっては偉大で大切な母。今は色んなことができなくなりましたが、自分の思いを言葉にする事ができませんが、私達の幸せを願い頑張ってくれているように思います。なのに姑さんは私の父親に会うと母がいるすぐ横でお母さんの介護は大変ですね、とかもし今一人になったらどんな事してみたいですか?とか平気で言います。よそ様の学歴のこと、悪口、不平不満を簡単に口にする姑を見るたびにムカムカしてしまいます。
こんな風に感じる私はおかしいでしょうか。どうしたら心を広く持てますか?よろしくお願い致します。
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お怒りは当然です。
年には勝てぬといいますが、どんなに年老いても親は親、子どもは子どもですよ。敬愛してやまない母親のことを、経緯経過もわからずにガサツに入って来て、デリカシーのかけらも感じられない発言をされたのでは、面白くはいはずがありません。お気持ちはよくわかりますよ。喧嘩するわけにもいかないしね。泣くこと地頭には勝てない。といったところでしょうかね。
どう気持ちを整理したらいいのかということですが、言葉に囚われいことです。聞き流すんですよ。いいとか、悪いとか、言葉を評価するから、イライラします。姑さんとは否が応でも長く付き合わざるを得ないんですから、これをいかに聞いていくかがら大事だと思いますよ。そうしたらこちらの気持ち1つですよ。相手がどういうかではなく、どう受け止めるかに転換してしまうんです。お母さん大変ね?と言われたら、何で本人がいるのにそんなこというかな。ではなく、嘘でもいいから、ご心配有難うございます。と転換してしまうんです。心で思えなくとも、そう心の中で呟いてみる。嘘でも多少楽になりますよ。
どういう生き方をするか、考え方をするのかは全てあなた次第です。どうかお幸せに考えるようにして、ほんとうにお幸せになってください。
お幸せを祈っていますよ。
くだらん言葉は聞き流す
あなたは誰よりもお母様の素晴らしさを知り、お母様のありがたみを感じ、お母様の恩恵を受けてきました。それらは認知症と言う病ごときで薄れるものでは無い筈です。姑の悪口ごときで、価値を失うものでは無い筈です。
ムカムカする気持ちはわかります。でも、そういう不快な言葉を平気で発すること自体、姑の人間性はお世辞にも高いとは言えませんね。 姑は所詮その程度の人間です。不愉快な言葉を言われれば、面白くないのは当然です。でも、そんな人間の言葉自体、反論したり抗弁するに値しないと思いませんか?聞くに値しない言葉は、聞き流す。それが一番だと思います。反論したり口論したりしたって、あなたが姑のレベルに下がってしまうだけです。
嫁姑の関係を悪化させないためには、最小限のコミュニケーションは必要です。無理して喧嘩する必要はありません。不快な言葉は聞き流すに、徹して下さい。