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死とは

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有り難し有り難し 42

人は生き物は死んだら無になるのかならないのかその点について詳しく教えて下さい
私は正直言って死ぬのが怖いです


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

死が怖いということは釈尊と初めて肩を並べたということ

死んで無にならない生き方をする。すればいい。それをした人は死んでも死なない。死んだあとでも作用・遺徳・影響力として有でもなく無でもない輝きとなる。祖師や偉人たちは生きている人を死んでるのに救って導いているでしょうに。アンタもそういう生き方をしなさいヨ!…と、そういう立派な生き方をした人は説いているのよ。「そうだよな。そうしよう。」と思った人は宗教を信じるとか信じないとかに関わらず人としてそういう生き方をするようになる。
そうすると死とか死んだらウになるㇺになるとかいう虚無的な物質論やあの世論やら生まれ変わり論ではなく、日々、生きて不動。生老病死に接すれども動ぜず。八風吹けども動ぜず。雨風吹けど天にかかる月の動ぜざるがごとくにどーんとした生き方になるのですよ。いまのあなたはどうか。まだまだでしょう。だからこそそういう生き方を求めるべき時期に差し掛かったということです。誰でも最初は文字一つ知らない。数字一つ知らない。どんなインテリでもエリートでも勉強ができても心が弱い人間はちょっとしたことでぐらつく。そういうのを教育とは言わない。いくら要職についても人一人救えないからです。いくら富を集めても自分の為にしか使わんからです。そういうのを豊かとは言わない。だから死ぬのが怖いというのも、心がほんまもんの価値を知らん状態だから何かとおびえるようになるのですよ。守るものがある。あっても小さい。自分が自分が私が私がという主語の強さが己を小さい自分にくくってしまう。どんな高級食材とされる命も軽視すればゴミ同然。
いくら大国と言える国でも他国を侵略して人命軽視をすれば人間として小心。
どんな雑草とされる植物でも人を活かす働きがあることを知れば活用して人を療ずるダイヤモンド以上の価値と変わる。死、死の恐怖をこそ転ずる。山菜一つでも鬱やパニック症にも効果があるものがある。あなたの恐怖や迷いも不足する養分を摂取し健全な思考を用いれば自分自身をより聡明な心へと導くことはできます。ただし、人間の思考は現状維持・恒常性維持を好む。負のループにハマることを強い志で拒絶するよう決意する。その負の習慣を断ち切って、より大きな価値の為に自分の死を怯える恐怖を滅するための機縁とする。迷いを導きの功徳へと転ずべく発心すればあなたも祖師たちとスタートラインは同格。誰もが死は怖い。そこが仏道のスタート地点なのです。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

私も、死ぬのが怖いし、死にたくない。

でも
生まれた以上
必ず死ぬんですよね。
それはもう諦めています。

仏教では
お浄土で仏さまに成ると説いています。
それは科学的に証明されていませんが
それを信じたいと思っています。

ご先祖さま方も成仏されていると思っています。
私もご先祖の一員になると思っています。

でも
それでも死ぬのは怖いし
全然死にたくないんです。

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有り難し
おきもち

 浄土真宗(大谷派)/広島県広島市/17世住職。  1967年京都市生まれ。山形大学理学部卒業後、証券会社で勤務。30歳で脱サラし、親戚筋の超覚寺に入寺、45歳で住職継職。  遺族の分かち合いやお悩み相談などグリーフサポート活動を続け、お寺の掲示板による法語伝道にも尽力している。カープ坊主の会会員。
こちらに法事が入っていなければ、ご希望の日時に相談させていただきます。 想いを吐き出しても、あなたの環境は変わりませんが、あなたの気持ちは変わっていきます。 どうぞ安心してお話しください。

拝読させて頂きました。
私も死ぬのはとても怖いです。死んでどうなるのかは私はわからないです。
その様な弱くて怖がりなのが私達なのです。
死んでしまったら何もかもが無になるかどうかはわからないです。
死んでどうなるのかどこに行くのかも全くわからないのが私達なのです。
ですから余計に怖くなりますし、恐怖さえ感じるのが私達なのです。そして自分自身ではどうすることもできないのが私達なのです。
その様に限りなく弱くて怖がりではかなく愚かなのが私達なのです。

その様な弱くて愚かな私達を仏様は決して見捨てたりはなさらないとお経典には書かれています。死んでどうなってしまうかもわからない私達を必ず仏様はお救いなさって下さるとお経にはしっかりと書かれています。

私はその様な弱く愚かな自分であることを信じています、そしてその様な私を必ず仏様がお救いなさって下さり、仏様が極楽浄土にお導きなさって下さると信じております。

あなたはいかがでしょう、しっかりとあなた自身をお見つめなさってみて下さいね。

あなたが自らの死にお向き合いなさり、自ら生きることにお向き合いなさり、生きることの意味を見出されて、毎日をお健やかに生き抜いていかれます様に、そしてあなたが与えられた天寿を全うなさっていかれます様に切に祈っています。

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有り難し
おきもち

個別相談可能
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラーメンが有名な処です。)これからも皆様のご質問に対して誠心誠意回答させて頂きたいと存じます。まだまだ修行中の身ですので至らぬ点あろうかとは存じますが共に精進して参りましょうね。お寺にもお気軽に遊びに来てください。
ご相談は朝から午後5時まで受け付けております。 人間関係や恋愛のお悩み、自殺願望、大切な方の死に直面した苦しみなど、どんな内容でも構いません。一人で抱え込まずに、ぜひお辛いお気持ちを吐き出してください。 仏様や神様、ご先祖様は、いつもあなたを見守り、聞いてくださっています。あなたが少しでも穏やかな気持ちになれるお手伝いをさせていただきます。

スマナサーラ長老の

『死後はどうなるの?』角川文庫に簡単明瞭に書いてあります。悟ったら、死後の再生はない。悟らなければ、善業、悪業に従って六道の何かに転生します。怖くても怖くなくても仕方ありません。

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有り難し
おきもち

初期仏教というか仏教本来の教えを学びつつ、その在家信者のあり方から見た日本仏教、浄土真宗ということで活動しております。 先祖供養とか功徳回向とか、みんなお釈迦様が最初からおっしゃっていたって、ご存知でしたか。私たちも謙虚に堂々と日本仏教しましょう。

質問者からのお礼

沢山の回答ありがとうございました

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