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死とは

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有り難し有り難し 40

人は生き物は死んだら無になるのかならないのかその点について詳しく教えて下さい
私は正直言って死ぬのが怖いです

2022年5月3日 19:18

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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

死が怖いということは釈尊と初めて肩を並べたということ

死んで無にならない生き方をする。すればいい。それをした人は死んでも死なない。死んだあとでも作用・遺徳・影響力として有でもなく無でもない輝きとなる。祖師や偉人たちは生きている人を死んでるのに救って導いているでしょうに。アンタもそういう生き方をしなさいヨ!…と、そういう立派な生き方をした人は説いているのよ。「そうだよな。そうしよう。」と思った人は宗教を信じるとか信じないとかに関わらず人としてそういう生き方をするようになる。
そうすると死とか死んだらウになるㇺになるとかいう虚無的な物質論やあの世論やら生まれ変わり論ではなく、日々、生きて不動。生老病死に接すれども動ぜず。八風吹けども動ぜず。雨風吹けど天にかかる月の動ぜざるがごとくにどーんとした生き方になるのですよ。いまのあなたはどうか。まだまだでしょう。だからこそそういう生き方を求めるべき時期に差し掛かったということです。誰でも最初は文字一つ知らない。数字一つ知らない。どんなインテリでもエリートでも勉強ができても心が弱い人間はちょっとしたことでぐらつく。そういうのを教育とは言わない。いくら要職についても人一人救えないからです。いくら富を集めても自分の為にしか使わんからです。そういうのを豊かとは言わない。だから死ぬのが怖いというのも、心がほんまもんの価値を知らん状態だから何かとおびえるようになるのですよ。守るものがある。あっても小さい。自分が自分が私が私がという主語の強さが己を小さい自分にくくってしまう。どんな高級食材とされる命も軽視すればゴミ同然。
いくら大国と言える国でも他国を侵略して人命軽視をすれば人間として小心。
どんな雑草とされる植物でも人を活かす働きがあることを知れば活用して人を療ずるダイヤモンド以上の価値と変わる。死、死の恐怖をこそ転ずる。山菜一つでも鬱やパニック症にも効果があるものがある。あなたの恐怖や迷いも不足する養分を摂取し健全な思考を用いれば自分自身をより聡明な心へと導くことはできます。ただし、人間の思考は現状維持・恒常性維持を好む。負のループにハマることを強い志で拒絶するよう決意する。その負の習慣を断ち切って、より大きな価値の為に自分の死を怯える恐怖を滅するための機縁とする。迷いを導きの功徳へと転ずべく発心すればあなたも祖師たちとスタートラインは同格。誰もが死は怖い。そこが仏道のスタート地点なのです。

2022年5月3日 22:07
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おきもち

私も、死ぬのが怖いし、死にたくない。

でも
生まれた以上
必ず死ぬんですよね。
それはもう諦めています。

仏教では
お浄土で仏さまに成ると説いています。
それは科学的に証明されていませんが
それを信じたいと思っています。

ご先祖さま方も成仏されていると思っています。
私もご先祖の一員になると思っています。

でも
それでも死ぬのは怖いし
全然死にたくないんです。

2022年5月4日 10:28
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有り難し
おきもち

和田隆恩
 浄土真宗(大谷派)/広島県広島市/17世住職。  1967年京都市生ま...
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拝読させて頂きました。
私も死ぬのはとても怖いです。死んでどうなるのかは私はわからないです。
その様な弱くて怖がりなのが私達なのです。
死んでしまったら何もかもが無になるかどうかはわからないです。
死んでどうなるのかどこに行くのかも全くわからないのが私達なのです。
ですから余計に怖くなりますし、恐怖さえ感じるのが私達なのです。そして自分自身ではどうすることもできないのが私達なのです。
その様に限りなく弱くて怖がりではかなく愚かなのが私達なのです。

その様な弱くて愚かな私達を仏様は決して見捨てたりはなさらないとお経典には書かれています。死んでどうなってしまうかもわからない私達を必ず仏様はお救いなさって下さるとお経にはしっかりと書かれています。

私はその様な弱く愚かな自分であることを信じています、そしてその様な私を必ず仏様がお救いなさって下さり、仏様が極楽浄土にお導きなさって下さると信じております。

あなたはいかがでしょう、しっかりとあなた自身をお見つめなさってみて下さいね。

あなたが自らの死にお向き合いなさり、自ら生きることにお向き合いなさり、生きることの意味を見出されて、毎日をお健やかに生き抜いていかれます様に、そしてあなたが与えられた天寿を全うなさっていかれます様に切に祈っています。

2022年5月3日 21:24
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おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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スマナサーラ長老の

『死後はどうなるの?』角川文庫に簡単明瞭に書いてあります。悟ったら、死後の再生はない。悟らなければ、善業、悪業に従って六道の何かに転生します。怖くても怖くなくても仕方ありません。

2022年5月4日 18:55
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有り難し
おきもち

初期仏教というか仏教本来の教えを学びつつ、その在家信者のあり方から見た日本...
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質問者からのお礼

沢山の回答ありがとうございました

「死について」問答一覧

死別シングルマザー

夫と死別し、半年経ちました。 死後の手続きなどでバタバタと、忙しくしていましたが、この頃PTSDの症状がでて、とうとう仕事にいくこともできなくなりました。 一ヶ月の休職ですが、休んでる間に収入の不安、子どもたちのこと…色々と考え過ぎてよけいに具合が悪くなっている気がします。 職場からは、また笑顔で戻ってくることを待ってますと温かい言葉を掛けてもらっているのですが、夫を看取った病院が職場の直ぐ側であることや、救急車が頻繁に通ることなどから、正直一ヶ月休んだところで復帰する元気があるかわかりません。何も前に進めない自分に自己嫌悪の毎日です。お金の不安と、パートナーを失くしたことから『風俗』で働いて少しでもお金を…と浅はかな考えも拭えません。時間が長く感じます。こんな姿を夫が見たらなんて思うだろう。夫じゃなくて、不器用な私が先に亡くなればよかったのにとまで考え込んでしまいます。周りには自分のように30代で配偶者を亡くした人はおらず、まるで腫れ物のように感じます。他の家庭を見ると、赤ちゃんが生まれた…家を建てる…夫婦仲良く子育てできてて自分にないものばかり目に映り、生きづらいです。

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「周りの人間の死」への向き合い方

「周りの人間の死」への向き合い方が分からず、恐らく変な方向に価値観が向かってしまい、常に一定の苦しみを抱えてしまっています。 無理やり挙げるとすれば、恐らく一番大きなきっかけは、2年前に母の母である祖母が急死されたことだと思います。大きな病気やケガもなく元気に畑で過ごしていた祖母の急死に頭が追い付かず、又様々な状況を理由にしばらく会えなかったことや、恩返しなども出来なかったと感じたことによる後悔と主に、「人は急に死ぬこともある」といった至極当然のことに恐怖を覚える様になりました。 その"急死"は脳内で"事故死"等に変換されたようで、現在は「自分が何か人に頼むことで事故死するかも」といった恐怖をもってしまっています。私が親に頼んだ買い物の道中で死ぬかも、私が選んだ待合場所のせいで、指定した時間のせいで友人が死ぬかも、と思うと、所謂"普通の価値観"で人に頼る事、あまつさえ意見や提案事の提示も難しくなってしまいました。 正直自分の死は大して怖くはありません。ただ、もしそういった状況で知人が亡くなってしまえば、仮に明らかに自分のせいではなくとも「自分がこの人を殺した」と思ってしまうに違いないと感じています。又そういった気持ちを抱えてその後の人生を全うできるとは到底思えません。 バタフライエフェクトのレベルで「人の死に関与したくない」といった気持ちが大きくなってしまい、生き苦しさを感じてしまっています。 この価値観が、俗にいう「変・ずれている・間違っている・過剰」ということは頭では理解できているつもりです。ただ、どうにも心がこういった考えを除いてくれません。 もし仏教などを用いて少しでも楽に生きることが出来るのであれば、と思い、相談させていただいている次第であります。ご意見をお伺いできますと幸いです。よろしくお願いいたします。

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病気になって死を考えるようになった

現在,一人暮らしをしている中年男性です。 先日から病気をしています。病気になって,一人暮らしなので,闘病しながら食事,洗濯の家事をしないといけません。また,食事のための買い出しも必要で,誰か助けてくれないかと,常に考えています。 知り合いに食事を作って持ってきてください,といった厚かましいお願いはできないもので,そういったお願いができる知り合いがいるわけではありません。 闘病を続けながら,食欲もなく,痩せていくし,気力も失ってきています。 また,コロナ禍で,一人亡くなっていった方もこのようなつらい状況であっただろうと想像し,そのため可能であれば入院させていただいて,看病していただけないかと,勝手な思いが巡ります。 そして,こんなに苦しい状況なのに,これを乗り越えて「生きる理由」はあるのだろうかという考えが頭をよぎっています。 ある程度の人生は送ってきました。これから先もいろいろと楽しみもあると思いますが,生老病死は,四苦なので,病気を克服するのも,その後,克服した後に生きていくのも苦しいのだろうと,勝手に解釈をしたりします。 だったら,もうここでいいや,と思ったときは,死ぬことができたらいいなぁ,眠るときにこのまま目覚めなければいいな,と考えるようになっています。 自死については,以前は否定的ではありましたが,闘病の中で,それは個人個人の自由でいいのではないかと思うようになりました。 自死していった方は,苦しい中,生きることに耐えられなかったのだろうなと,共感できる心持になっています。 病気をして,手厚く看病してくれる人がいる状況であれば,それはそれで,心配してくれる人のために生きる理由があっていいのですが,そうでない私は,一人で非常に苦しい,不安です。そんな私が,命尽きるまで闘病するかもしれないという選択をして,生きる理由はなんでしょうか。 誰も助けてくれる人もいない,ただ病気と闘って,死を待つだけかもしれない。 最後は,一人,孤独死を迎えるのかもしれないと思うと,寂しく,不安です。 そういった中で,このサイトに行き当たりました。 取り留めない文章になりました。 回答をいただければ幸いです。

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死んではいけない理由を教えてください

駄文につき失礼致します。 私は大学生です。 様々なストレスが重なりうつ病を発症しました。目下治療中です。 薬を飲み始めてからは落ち着きましたが、昔は希死念慮がよくありました。漠然と死んでしまいたいと思うことがよくありました。 投薬による治療や、様々な死生観等に関する書籍を読むうちに次のような価値観が形成されました。 死んでしまっては選択肢がなくなる。 生きているうちは選択肢が無数にある。 生きる事に行き詰まって選択肢がなくなってしまったと思ったら、死ぬことを考えよう。 これは今私が生きている理由の一つですが、この考えは一見生きることに前向きなようで死ぬことを否定していないのです。 言い換えれば、いつでも死ねると言う風にも捉えられます。 私は今のところ死ぬことは勿体無いと考え自殺を踏みとどまっていますが、自殺を否定する理由は未だに見つけられていません。 生きている限りいつかは死が訪れるものであり、やがては受け入れなくてはいけないものだと考えていますが、自ら死に近づく行為はいけない事なのでしょうか? 確かに、人が皆自殺を礼讃するようになれば人間社会は成り立たなくなってしまいます。 しかしながら生きることが権利ならば死ぬこともまた同様なのではないかとも考えてしまいます。 どなたかお力添え頂ければ幸いです。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ