死んだら戦死した曾祖父に会えるのか
僕には戦死した曾祖父がいます
もちろん会ったことも話したこともありませし、僕のことも知りません
僕が一方的に会いたいと思っていても会うことはできるのですか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
故人を偲ぶことから、遺徳を感じ取ることはできます
私はまだ生きており、まだ「あの世」に行ったことはありません。また、「あの世」を見る能力を持っておりません。ですから、「死んだら、会えるか?」というご質問への明確な回答は出来かねます。
でもね、故人が生前中に一生懸命蒔いて下さった良い種は芽を出し、花開いております。故人を偲び、また故人生前中の思い出や業績を周囲の方々から聞くことで、いろいろと学ばせていただくことが出来ます。故人の遺徳の中で、今の自分が過ごさせていただいている。そう感じることは少なくありません。私はもともと違う寺で生まれ育ち、縁あって(いわゆる婿養子のような形で)今の寺の住職となりました。先代住職にも、先々代住職にも直接会ったことはありません。しかし、先代様先々代様の御遺徳を感じながら、住職をつとめさせていただいております。
至らない部分も多々ありますが、一生懸命寺を護持し、折々の年回法要等を心込めて勤めております。先日、先々代住職の50回忌を勤めました。
https://ameblo.jp/dorinji/entry-12751444841.html
但し、先代様や先々代様が一生懸命蒔いた種が、すべてが花開いたかどうかはわかりません。また、花が開いたとしても、一度きりの開花で後は萎れて枯れてしまった場合も多いと思います。私が遺徳として感じ取れるのはごく一部に過ぎないと思います。それだけに、若い方には日頃無縁の存在かもしれませんが、目上の御親戚や地域の古老の話を聞く機会は持った方が良いと思います。
とはいえ、現時点で曾祖父のことを知っている御親戚もあまり居られないと思います。ですから、曾祖父の思い出を聞き取ることは正直難しいかもしれません。祖父母や御両親はまだご健在なのだと思います。ご健在なら、今までの人生や歴史を聞く機会はあると思います。でもね、「いつでも聞ける」ようで、実際は限られます。曾祖父ことを考えたことはとても良い機会です。祖父母やご両親がどんな人生を歩んで来られてきたか聞く機会を持ちましょう。そして、其の遺徳をいつか次世代に伝えていきましょう。
最後に。もし死んだ後に会えるとしたら、其の時の自分がどういう自分であるべきか、考えて生きていきましょう。財産や名誉栄達を喜んでくれるかもしれませんが、其れ以上に「愛語利行の菩薩道」に生きてきたことを喜んでくれると思います。
生きている今でも
こんにちは。
NHKで昨年秋から今年の春まで放送されていた連続テレビ小説(朝ドラ)「カムカムエヴリバディ」はご覧になりましたか?その中でとても印象的な場面がありました。
8月15日の終戦記念日、正午のサイレンで黙祷をする主人公(るい)の隣に、戦死したるいの父親(稔)が現れます。稔はるいが生まれる前に出征したので面識はないのですが、るいはすぐに現れたのが父親であると気がつきます。サイレン吹鳴中の1分間、稔がるいに語りかける、という場面です。
サイレンの鳴るたった1分間だけ、一度も会ったことがない父親に会うことができた、とてもいい演出だったと思います。
今年の終戦記念日は過ぎてしまいましたが、あなたさまも来年の終戦記念日には正午のサイレンに合わせ起立し黙祷を捧げる事で曾祖父さまに会うことができると思いますよ。
終戦記念日でなくても、お墓の前やお仏壇の前で、目を閉じ亡くなった曾祖父さまに思いを致す事で、曾祖父さまに会うことができると思います。
俱会一処
『阿弥陀経』というお経の中に
「俱会一処」という言葉があります。
同じ一つのところでともに会うという意味ですが
同じお浄土に往生すれば
そこで再会できるはずです。
それを単なるファンタジーだと言ってしまえばそれまでですが
私はそれを信じたいと思っています。
質問者からのお礼
ドラマは見ていなかったので知りませんでした、とても素敵な演出ですね
終戦記念日じゃなくても日頃から曾祖父には感謝の気持ちを伝えるようにします
ご回答ありがとうございました。
皆さんご回答ありがとうございました。
これからも曾祖父のことを忘れず感謝の気持ちを伝えるようにします
ありがとうございました。