余裕を持てるようになりたい
私は何かと無意識に緊張しやすい質で、小さなことでも気付いたら身構えてしまうのですが、その延長でか、いつも頭の中がぼんやりすることにずっと悩んでいます。
例えば、街でショッピングをしているとき。友達と会話したり、遊んだりしているとき。近所や自然の中を散歩しているとき。日常のあらゆる場面で、ふとすると、頭部が張る感じと共に、寝惚けたみたいに思考がぼやけてくるんです。
景色はわかるし、見ているモノも認識できますが、度が合わない眼鏡を掛けているのかと思うくらい視界が霞んできて、意識を運べる視野の範囲がぐっと狭くなります。家から出て数分でもこの状態です。
誰かと話していても、声が聞こえて返事もできるのに、内容をしっかり咀嚼できず、自分が返した言葉すら、まるで隣席の会話を聞いている様というか、他人事の様というか、地に足着かない感覚で響いてくるんです。
今のままでは、誰かと会うたびに、散歩や買い物や遊びに出掛けるたびに、ひどく疲れてしまっていますし、余裕がなくてぶっきらぼうな態度になるのも少なくないので、私的な場面だけでなく、仕事も円滑に回せません。
そもそも、外出もおしゃべりも好きなのに、ほぼ常に緊張状態で、それを穏やかにできないのがとても辛いです。
肩肘張らずとまでは言いませんが、安らかに日々を過ごしたいです。
深呼吸と、動きや話し方をゆっくりにしてみるのは試しているのですが、効果がなくて...。
すぐに心に余裕がなくなる自分を克服するにはどうしたらよいのでしょうか......。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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リラックスタイム
1人でいる時間に、認識機能を休め、体の機能のまま座ってみたらどうでしょうか。
考えたり気を使いすぎて疲れてしまっているのかもしれませんね。
例えば人がものを食べるとき、舌の動きを意識して食べる人はあまりいないと思います。これを意識して動かしていたら多分失敗してしょっちゅう舌を噛むことになるでしょう。体の機能は無意識に物事と一体となり働くようにできています。目を開けたらものが見える。認識しなくてもきちんと受け止める。外から音が聞こえれば必ず耳はありのままを受け入れる。認識機能はその後自分で好きとか嫌いとかやるんでしょう。
そうしたことを一切やめて、座るつまり坐禅です。静かな環境をつくり、部屋を片付け、できたら香を焚いてみてください。目を開け腰骨を立てて座ってみてください。ぜひどうぞ。
質問者からのお礼
お礼が遅くなり大変申し訳ございません。
邦元さんのお言葉を、時間をかけて咀嚼しました。
私は体感したものを、自分のなかで断捨離できず、結果、過剰に考えたり、要らぬ気を使いすぎていた思います。
ご回答いただいてから、身の回りの物は、煩雑にならないよう、適度に整理したり減らしたりしてスッキリさせ、一息つけるときは、目を閉じ、できるだけリラックス状態で過ごしてみました。
そう続けることで、直面している様々な物事へ向いている意識から自分を切り離し、一歩俯瞰した心情を持てるようになったことで、外出先や会話でも、僅かづつですが冷静な言動ができるようになってきました。
まだ改善と呼べるには時間がかかりますが、穏やかでいられる状態が平常となれるよう、もう少し続けていこうと思います。
ありがとうございました。